若き鷹の羽ばたき

作:澄川 櫂

11.変転

「上方より敵機。数三、急速接近!」
「B小隊、迎撃任せる。A小隊は予定通りムサイにかかるぞ」
 モニカ機からの警報に続いて、パウエルの指示が間髪入れずに無線を伝う。
「各機散開!」
 了解、と短く応えて、ミハイルは操縦桿を左に倒した。そのまま少し手前にグリップを引きつつ、フットペダルを踏み込む。左に急旋回しながら上方へ向かって加速するミハイル機。その右手では、牽制のビームを放つアルバート機が、弧を描きながらヨークトンの作る火線の向かう先へと流れてゆく。
 遠ざかるアルバート機を視界の端に捉えつつ、ミハイルはジムにビームガンを構えさせた。引き出した照準器のターゲットスコープに映る敵影が、急速に確かな輪郭を持ち始める。
「やっぱりこいつが……!」
 見覚えのあるグレーの新型リックドムが、アルバート機の牽制に動じることなくバズーカを構える。その挙動から、因縁浅からぬ“グリズリー”であると直感したミハイルは、咄嗟に照準器を下げていた。
 リックドムⅡツヴァイがバズーカを撃つ。ミハイルは機を右に流した。左手にしたシールドを弾頭の侵入方位に向けてかざす。
それは“グリズリー”に対する警戒がさせた無意識の操作であったが、結果としては正解だった。後方へ抜けるかと思えた砲弾が、唐突に弾けたのである。
「榴弾!?」
 シールド伝いに次々と襲う振動に、ミハイルは呻いた。敵が近接信管装備の砲弾を用いたことに、驚きを禁じ得ない。
 ミノフスキー粒子散布下では、電波を用いる兵器は誤作動する恐れが高かった。なぜなら、ミノフスキー粒子には電波障害を引き起こす性質があるからだ。
 この戦争の序盤において、ジオン軍が数で勝る連邦軍を圧倒した理由の一つに、このミノフスキー粒子の存在があった。連邦軍の誇る高度な電子兵器のほとんどが、ミノフスキー粒子散布下では機能しなかったのである。
 一方、ミノフスキー粒子の研究に早くから取り組み、その特性を熟知していたジオン軍は、宇宙世紀開闢以来初となる有視界戦闘に適応した人型機動兵器“モビルスーツ”を開発。前線に広く投入して、ミノフスキー粒子に溺れる連邦軍を次々と打ち破ったのだった。
 そのような背景を持つジオンに属する敵機が、近接信管を使った。彼らにしてみれば骨董品とも呼べる代物を、だ。まさか遊びで使ったわけではあるまい。
 経験的に、この状況下で誤作動する恐れはないと知っていたのだろう。バズーカを投げ捨ててこちらに向かってくるツヴァイの姿に、ミハイルはそう理解した。戦場の状況を冷静に見定めた上で、手持ちの兵器特性を存分に生かす。エースと呼ぶに相応しい手練れであることを、改めて噛み締める。
 ——攻めないと負ける。そう悟ったミハイルは、迷うことなく乗機を前へと押し出していた。

「やるな」
 シールドを立て、コースを変えることなく突き進むジムの姿に、バーンシュタインは素直に感嘆した。回避に転じるところをマシンガンで仕留めるつもりだったが、眼前の敵はそうそう思うようには動いてくれないらしい。自分でも口元の緩むのが判る。
「そうでなくては……!」
 バーンシュタインもまた、ペダルを踏み込んで愛機を加速させた。左手にサーベルを抜き、同様にビームサーベルを手にするジムへと突撃する。心意気には心意気で応えるのが、戦士の礼儀というものだろう。
 ツヴァイの打突をジムが払う。返す刀で襲い来るビームの刃をかわして、マシンガンで牽制するツヴァイ。僅かに距離を取るジムに追いすがり、ヒートサーベルを逆袈裟に振り上げるが、ジムは機体をひねってやり過ごすと、ビームガンを至近距離で放つのだった。
「やる!」
 急加速で難を逃れたバーンシュタイン。次いで減速、AMBAC反転。全身を覆うGに耐えながら、マシンガンを撃つ撃つ。
「くっ……!」
 断続的に襲う弾丸の群に、ミハイルは唇をかんだ。正確な射撃は狙いを外すことなくジムを捉える。シールドのおかげで致命傷こそ免れているが、気付けばいまや防戦一方。このままではいずれ敗れる……。
 マガジン交換のタイミングを待つんだ。ミハイルは焦る己の心に言い聞かせた。
 永遠に弾を撃ち続ける銃器など存在しない。幸い、ジムが装備するシールドは、装甲よりも丈夫なルナチタニウム製だ。今少しの打撃に充分耐える。
(——堪えろ。シールドで止められる間は負けないんだ)
「ほう」
 愚直に直撃弾への対処を続ける敵機の姿に、バーンシュタインは再び感嘆の声を漏らした。思い切りがあるばかりでなく、忍耐強さも備えている。よいモビルスーツ乗りパイロットだ。
「このまま続けてみたいところだか……」
 ツヴァイのコクピットに残弾僅かの警告音が響く。素早くコマンドを叩き込むと、バーンシュタインはグリップを握り直した。
「あいにくと、お前の相手ばかりをしているわけには行かんのでな!」
 弾が尽きると同時にマシンガンを放り投げるツヴァイ。左手に握るヒートサーベルの切っ先を突き出し、ジムに向かって加速する!
「こいつ——?!」
 想定外のドムの動きに、ミハイルは一瞬、息を呑む。だが、相手がサイド1の灰色熊グリズリー・オブ・ザーンと知って警戒していたことが、反射的な防御行動をジムに取らせていた。
 迫り来る灼熱の剣先に対し、シールドを立てるジム。打突の衝撃が伝わる直前、シールドのロックを解除する。同時にビームサーベルオン。シールドを突き飛ばした拍子に上擦るヒートサーベルを、手首を返して一気に跳ね上げた!
「なんと!?」
「このおっ!」
 ミハイルの気合いを乗せて繰り出される後ろ回し蹴りがドムを捉え、振動を残してジムが離れる。すかさず向き直り、ビームガンの銃口をドムに合わせる。
「もらった!」
「なんの!」
 迸る鮮やかな閃光は、だが、リックドムⅡツヴァイの装甲を僅かに泡立てただけだった。ミハイル渾身の一撃を紙一重でかわしたツヴァイ。モノアイを煌めかせ、予備マシンガンを手にジムに迫る。
「シールドさえなければ」
「……くっ!」
 一回の弾数を絞り、小刻みに狙撃を繰り出すバーンシュタインの手腕に、ミハイルは再び防戦に追われた。何度か反撃を試みてはみたものの、相手は決してロックオンを許さない。ビームを数発、無駄に使わされただけだ。
 もっとも、それはバーンシュタインの側も同じである。巧みに致命傷を避け、一定の距離を保ち続けるジムの姿に、さすがに焦りを覚える。
 明らかに今が退き時である。だが、相手が易々とそれを許さない。母艦の援護に回す余力はないかもしれなかった。
 共に望まなかった膠着状態。再びの忍耐勝負は、いつ果てることなく続くかに思えた。だが、ソロモンの一角で生じた眩い閃光が、二人の戦いを中断させるきっかけとなる。
 連邦軍の城塞攻略兵器、ソーラシステムが、ソロモン第六宇宙港を焼き払ったのである。

 ソーラーシステム。それは太陽光を一点に集めるだけの、至極単純な兵器である。だが、数百万枚にも及ぶミラーの生み出す熱量は膨大で、焦点付近にあった物体はたちまち溶解し、あるいは蒸発した。
 被害のあまりの大きさに、ソロモン基地司令ドズル・ザビ中将は、展開中の部隊を一時的に後退させた。積極的な迎撃から水際での撃退へと、戦術をシフトしたのである。
 その一方、戦艦グワランを中心とする特戦隊を、ソーラーシステム擁する連邦軍主力ティアンム艦隊へと向かわせた。これはもちろん、戦局打開を期してのものだったが、無慈悲なミラーが二度目の輝きを放ったことで、彼らはあえなく壊滅した。
 事ここに至って、ドズル・ザビ中将はソロモン要塞の放棄を決定。麾下の全将兵に対し、速やかなる戦域離脱を命じた。それは、ソロモン方面へと抜けるルートを攻めたバーンシュタインらにとって、災厄と呼ぶに相応しい事態である。
 かくして第751パトロール艦隊は、壮絶な撤退戦を強いられることとなった。
「敵の動きは?」
 ようやくゼブラークのモビルスーツデッキに接触したバーンシュタインは、ブリッジとの回線が通じるや否や、短く尋ねた。取り付く整備員の動きに注意しつつ、ほとんど柄だけになったヒートサーベルを手放す。
 熱を失って久しいそれを、こうなるまで使い続ける必要に迫られたのである。特殊合金製のヒートサーベルは、物理打撃兵器としても有用に機能したが、肉迫したモビルポッドボールに叩きつけたところで、遂に断末魔の悲鳴を上げた。根元近くで折れた刀身は、回転しながら飛び去るボールの機体と共に、宇宙の藻屑と散ったのである。
 そうして敵の第三波を退けた彼らの周辺は、一見すると平静を取り戻したかのように思える。だが、ブリッジを預かるブルックナーの言葉は、芳しいものではなかった。
「変わらずだ。波はあるが、確実に狙ってきている」
「振り切れそうか」
「この足ではどうにもな」
 憮然とした面持ちで頭を振るブルックナー。エンジン付近への直撃が災いし、最大戦速比で半分程度の速力しか得られないのである。僚艦のトチュニークも同様で、今や敵陣と化した戦域を抜けるにはなんとも頼りない。
 だか、ブルックナーの表情が晴れない理由は、そればかりではなかった。
「もうひとつ、悪い知らせがある」
「なんだ?」
「例の艦の反応を再び捉えた」
「……やはり来たか」
 バーンシュタインもまた、顔をしかめた。例の艦——ヨークトンのことだ。
 敵の第一波として仕掛けてきた彼らに対し、第751パトロール艦隊の直援部隊は善戦した。モビルスーツ二機を失ったものの、艦そのものには致命傷を被ることなく、これを退けたのである。
 バーンシュタインが別働隊を率いて彼らの戦力を二分したことも、艦の防衛に成功した要因のひとつだろう。いかに相手が戦闘慣れしていようと、一個小隊規模の攻撃であれば、直援部隊のみで耐えしのぐ術はあったのだ。
 しかし、今は違う。第二波、第三波と続いた攻撃を、ようやくにして切り抜けたのだ。第751パトロール艦隊に残された戦闘力は限られている。対するヨークトンのモビルスーツ隊は、補給を済ませた万全の状態で襲い来るに違いない。
 艦外で各々補給と応急処置を受ける僚機の姿を見ながら、バーンシュタインはさすがに嘆息した。事前に脱出ルートを検討させていた甲斐あって、敵に取り囲まれる事態こそ免れてはいるものの、強敵相手にこの状態でどこまでやれるか。
 いや……。バーンシュタインは思い直した。
「これこそ腕の見せ所、だな」
「あ?」
「四年前と同じさ。無いなら無いなりの戦いをするまでのこと。そして、勝つ」
 分の悪い勝負は何も昨日今日に始まったことではない。思えば連邦軍を辞め、チームを起こしたあの日から、挑戦に次ぐ挑戦の日々だった。度重なる理不尽をも食い破り、互角以上の戦いを続けてきた結果、今の第751パトロール艦隊がある。
「……そうだな。これしきの不利がいかほどのものか」
 ブルックナーの声が、通信機のスピーカ越しに静かに応える。彼もまた、ここに至るまでの日々に思いを馳せていたのだろう。やや複雑な響きが混じっているのは、副官故の苦労があったからか。
 だが、バーンシュタインがそれを気にすることはなかった。
「その意気だ」
 にやりと笑みを浮かべると、コクピットハッチを開く。機付きのメカマンがすかさず寄ってドリンクチューブを差し出した。ありがたく受け取りつつ、ノーマルスーツの無線を近接チャンネルに切り替える。
「ここが正念場だ。ありったけの武器を頼むぞ」
「予備のバズーカもマウントしていますよ。ただ、バランス調整までは手が回りませんので、気をつけて下さい」
「了解。やってみせるさ」
 こともなげなバーンシュタインの応えに、彼は笑みを返すと背負った袋の中身を重ねてバーンシュタインに押しやった。ノーマルスーツ用の酸素カートリッジだ。
「古いやつは後ほど回収しますんで、一服したら早めに」
「ありがとう」
「では」
 ハッチの閉スイッチに触れて離れるメカマン。正面ディスプレー越しにそれを見送ったバーンシュタインは、エアー良しのサインが灯るのを待った。いつもより長く感じるのは、喉が乾ききっていることの証だろうか。
 ほどなく点いた灯りを見つめたまま、バイザーを上げ、ドリンクを口に含む。とろみの強いそれは、戦闘用流動食とでも形容すべき代物で、味も素っ気もないのだが、それでもバーンシュタインの全身を潤すには充分だった。
 ひとしきり体内に収めたところで、大きく長く息を吐く。
「どうせやるなら楽しまねばな」
 頭をヘッドレストに預け、独りごちるバーンシュタイン。コクピットの一点を見上げる彼の、それが偽らざる本音であった。

「目標捕捉。総員、戦闘用意。総員、戦闘用意。モビルスーツ各機は発艦位置へ移動。繰り返す。モビルスーツ各機は発艦位置へ移動」
 ヨークトン艦内に鳴り響く警報音を裂くようにして、ルースの声が艦内回線を伝う。艦首ブロックのモビルスーツハッチが開放され、第117MS中隊所属のモビルスーツ六機は各々発艦位置へと引き出された。
「ここらで熊野郎とはケリをつけたいですな」
「仏の顔も三度まで、というからな」
 ヤン曹長の軽口に合わせるパウエルであったが、僅かな間をおいて「だが」と続ける。
「アルバート、ミハイル。気負うなよ」
「え? あ、はい」
「……了解」
 ミハイルに少し遅れて、アルバートの抑制した声が短く応える。その口調の低さに、ミハイルは思わず左のモニターを見やっていた。ハンガー越しに見え隠れするアルバート機の、静かに佇む横顔に、先のミーティングで目にした彼の表情が重なる。
 サイド1の灰色熊グリズリー・オブ・ザーン再び。半ば予期していたためか、アルバートの表情は微かに緊張の色を強めた程度の、ごく落ち着いたものであった。だが、強く握り締められた彼の両拳が、前回同様に震えていたことをミハイルは見逃さなかった。
 故郷を蹂躙された場に居合わせたことを思えば、グリズリーに対する敵愾心はアルバートの方が強いだろう。そう思うミハイルは、故に気になるのだった。頑なに私情を抑え込むアルバートの振る舞いが。
(そんなんじゃ保たないだろうに)
 軍人としては模範的な反応なのだろうが、仲間に本音を漏らすくらいのことはあってもよいと思うのだ。自分達には無理でも、モニカやロッドあたりなら気心も知れているだろうし。
 だが、それとなく話してみた感じでは、そんな様子もなかった。もちろん二人も感づいてはいるようだが、あえて口にすることを避けているように思える。特にモニカはその傾向が強いようだ。
 ミハイルは後部サブカメラの映像を呼び出した。ハンガーの隙間に見え隠れする、ガンキャノンの赤い機体。アルバート機の背中を見つめるモニカは今、何を思っているのだろうか。
「モビルスーツ各機、発艦用意」
 淡々と告げるルースの声が、ミハイルの思考を遮った。反射的にサブカメラの映像を閉じ、正面へと視線を戻す。そういえばルースには探りを入れてなかったなと思うのもつかの間、発艦コールに押されて機を動かすミハイル。
 テールノズルの煌めきを残して飛び立った第117MS中隊の上方を、ヨークトンとサスカトゥーンの放ったビームが抜けてゆく。入れ違いに伸びる応戦の火線。
 グリズリーとの決戦の火蓋が切られた。

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