若き鷹の羽ばたき

作:澄川 櫂

12.宇宙が凪ぐとき

 両肩にジャイアントバスを担いだグレーのリックドムⅡツヴァイが、幾重に行き交う火線の合間を疾駆する。僅かな隙を逃さず、敵艦艇目掛けて引き金を絞るが、その都度、肉迫する後期型ジムによって狙いを狂わされるのだった。
 ミハイル機の振るうビームサーベルが、左のバズーカを中ほどより分断する。そのまま後方へと抜けたジムは、少し距離を取ったところでAMBAC反転。ビームガン一射。最後の予備バズーカに手をかけるツヴァイを牽制する。
 軽く機を流して閃光をいなすツヴァイ。右手に残るバズーカを三段撃ちして投げ捨てる。ジムが回避運動を取る間に予備バズーカを手にしたツヴァイであったが、後方で走った別の火線に気付いてモノアイを向けた。敵の増援が遂に現れたのだ。
 エンジン付近に被弾したゼブラークの速力が、さらに落ちる。傷付いた旗艦を護るべく、僚艦トチュニークが前に出るが、こちらはゼブラーク以上に満身創痍だった。既に主砲は一門しかなく、メインエンジンに至っては、左舷ブロックがそっくり欠落している。
 バーンシュタインは呻いた。打撃力と俊敏さを共に欠いたトチュニークに、盾以上の役目が果たせるとは思えない。
「こちら……時間を稼ぐ……」
 先だって同艦に移乗していたスタンレー中尉の、途切れ途切れに無線を伝う言葉は、バーンシュタインの印象を肯定するものでしかなかった。
 主砲を二度放つ間に倍以上の火線に晒されたトチュニークが、たまらず傷だらけの船体を宇宙に散らす。湧き上がる核の大輪——。
 オーガスト・スタンレーは、かつてバーンシュタインのチームで二号艇のチーフナビゲーターを務めていた。パイロットのパーシー・ルービンと共に、バーンシュタイン、ブルックナーコンビの一号艇フラッグシップをよく盛り立てたのだった。
 バーンシュタインがサイド1の灰色熊グリズリー・オブ・ザーンの異名を得たのは、もちろん、彼自身の腕があってのことだが、その陰にスタンレーら二号艇の並々ならぬ支援があったことを、バーンシュタインは誰よりも深く理解している。
 サイド3ムンゾを巡る情勢が緊迫の度合いを増しつつあったあの頃、バーンシュタインのチームは陰に陽に圧力をかけられた。レース中に受けた妨害行為を見過ごされた事など数知れない。二号艇はそれら他チームの妨害行為から、文字通り体を張って一号艇を守り抜いたのだった。決して目立つことなく、それでいて確実に。
 度重なる理不尽に打ち勝った自分達は、その根元に横たわる圧制を打破すべく、行動を起こした。ジオンという新国家の旗の下に。だが、その選択がもたらしたものはなんだったか。
(まるで、己が悪業に対する裁きだな……)
 開戦直後のサイド2ハッテの戦場が脳裏に浮かび、諦観に似た思いがバーンシュタインの胸を満たす。
 一方、ゼブラークを指揮するブルックナーもまた、同様に沈みゆく僚艦の姿を見送っていた。旧友の最後に短い黙祷を捧げる。
 バーンシュタインがまだ連邦軍に籍を置いていた頃のブルックナーは、エンジン整備技術の高さで知られた町工場のマネージャーだった。エンジニア出身の彼は、スペシャリスト集団を自ら率い、選抜を目指すバーンシュタインらをサポートしていたのである。駐留軍の技術向上施策の一環として、特に請われての参加であった。
 サイド1ザーン駐留軍の技術部門では、選抜用機体のカスタマイズに際して新しいエンジンの開発を進めていた。そのプロジェクトの予算および進行管理を担当していたのがスタンレーで、技術アドバイザー的な立場にあったブルックナーとは、時に技術上の懸案がもたらす影響について意見を交わした仲だ。
 スタンレーは特段技術に明るいわけではなかったが、理解が早く、幾度となく要点を抑えた質問を繰り出した。ブルックナーはその明察ぶりに舌を巻いたものだ。
 プロジェクトは順調に推移し、試作エンジンを実機に搭載しての飛行試験へと至った。特に大きなトラブルもなく、エンジンも期待以上の性能を叩き出している。あとは細かな調整を残すばかりで、関係者の誰もが成功を信じて疑わなかった。
 だが、プロジェクトは唐突に凍結を命じられた。地球資本以外の技術に関する信頼性について、第三者機関の審査を受ける必要がある、との理由で。サイド3ムンゾの情勢に危機感を覚えた軍上層部の圧力に因るもので、プロジェクトチームは即日解散。実質的な開発中止だった。
「我々の造るものはそんなに信用できませんか……」
 理由が口実に過ぎないと解っていても、ブルックナーはそう口にせずにはいられなかった。同様に無念の表情を浮かべるバーンシュタインに向かって言葉を続ける。
「いっそ機体から作り直して、やつらに一泡吹かせてやりませんか」
 ようやく形になったばかりの機体を自在に扱って見せたバーンシュタインと、このプロジェクトチームの力があれば成し遂げられる。根拠のない自信が言わせたことだが、スタンレーを始めとする軍のスタッフまでもが次々と賛意を示したのは、彼らがブルックナーと想いを共有していたからだろう。
 サイド1ザーンという片田舎のチームが、自らの技術でもって、中央の資金潤沢なチームを打ち負かす。その舞台に上がるには、むしろ軍の外にあった方がやりやすい。一同の胸に滾る熱き想いが、独立チーム立ち上げのきっかけとなった。
 そしてバーンシュタインは、彼らの期待に見事応えた。一泡どころか、ふた泡も三泡も吹かせたのである。サイド1の灰色熊グリズリー・オブ・ザーンがスペースノイドの英雄の称号となるのに、そう時間はかからなかった。
 だが、時代が悪かった。サイド3を巡る情勢がいよいよ緊迫する中、連邦政府に目を付けられた彼らは、ジオンへ逃れるより他はなかった……。
(ジオンがまともとは言わないが、少なくとも、能力を正当に評価する気風はあった)
 バーンシュタインが公王の子息、ドスル・ザビに気に入られたこともあって、ブルックナーらチームのメンバーも、亡命直後から悪くない待遇を受けた。故に妬まれもしたが、艦隊を一つ任せられるまでになったのは、その後の働きに依るもの、との自負がある。成果の無い者を優遇するほど、中将閣下は甘いお人ではない。
 もっとも、その点でもバーンシュタインには到底敵わなかったのだが。
「大尉の技能は天井知らずだな」
「手足が付いても変わりなし、か」
 あれは、バーンシュタインが初めて“ザク”の実機を用いた模擬戦に臨んだ日のことだ。結果を伝え聞いたスタンレーとブルックナーは、揃って感嘆したものだ。
 ジオンの開発した新兵器、モビルスーツは、それまでの戦闘兵器とは一線を画すマシンだった。四肢を備えた一つ眼の巨大ロボット。全高18メートルの鋼の巨人に乗り込んで戦うなど、漫画の世界もいいところだが、ミノフスキー粒子散布下の戦場においては、確かに有用な兵器であった。
 故に、従来兵器とは異なる適性が求められる。戦闘機や宇宙艇の経験があるからと言って、必ずしもモビルスーツのパイロットが務まるわけではない。
 バーンシュタインは、そのモビルスーツを難なくものにした。空間戦闘はもちろん、当時はまだイレギュラーケースだった格闘戦においても、抜きん出た成績を示したのである。バーンシュタインが開戦の時点でモビルスーツ一個中隊を任されていたのは、伊達ではないのだ。
 バーンシュタインのチームがジオン亡命後も概ねチームとして存続し得たのは、やはり彼の技量に負うところが大きい。バーンシュタインが最大限のパーフォーマンスを発揮するための環境を、ジオンは惜しげも無く用意した。
 そんな中にあってスタンレーがチームを離れたのは、兵站業務の経験を買われてのことだ。
「人には得手不得手があるからな。いつまでも大尉、いや、少佐に負ぶさっているわけにもいかねぇさ」
 見送りに出たブルックナーに、スタンレーは言った。
「別にエルナンドのことを悪く言ってるんじゃない。お前は俺と違って前線向きだからな。今じゃ名実共に少佐の右腕だ。これからも変わらず少佐の支えであってくれ」
 ブルックナー自身は、一号艇でコンビを組んでいたが故の結果に過ぎないと思っていたが、面と向かってそう言われてしまうと、黙って頷くしかない。
「……これまで多くのことを少佐に依ってきた。その恩はいずれ返さんとな」
 独白するように続けたスタンレーの言葉が思い出される。彼はその言葉通り、バーンシュタインの乗艦たるゼブラークを護って逝った。ならば、自分に課せられた使命は、このままここで散ることではあるまい。
 一瞬の回想から戻ったブルックナーは、バーンシュタイン機のいる方角へと目をやった。絡み合う二つの光点が、ごく小さな火球を残して別れる。そのうちの一方が、速度を増してこちらに迫るのが判った。
 恐らくバーンシュタインだろう。見慣れた軌跡からそう理解する間もなく、左手にサーベルを握ったツヴァイがパスする。
 そのグレーの機体には右腕がなかったが、敵増援部隊のただ中に飛び込む動きに迷いはない。モノアイを鮮やかに煌めかせるツヴァイは、敵モビルスーツの一機を横凪に斬って捨て、次いでモビルポッドボールを蹴り飛ばしてゼブラークの正面へと戻るのだった。
(……もう充分だ。ここらで幕を引こうじゃないか)
 片腕を失ってもなお奮戦するバーンシュタイン機に向かって、ブルックナーは心中で呼びかけた。確かに彼の技量は優れている。だが、現状が挽回不能なほどに劣勢であることは、誰の目にも明らかだ。グリズリーの咆哮に畏縮し、今は遠巻きに様子を窺うばかりの連邦兵も、いずれ徒党を組んで傷ついた獣を追い立てることだろう。
 静かに長く息を吐くと、キャプテンシートに深く腰掛けるブルックナー。彼はただ一言を短く告げた。「降伏する」と。
「え? しかし、少佐は……」
「俺は、コーリーを死なせてまで、生き延びたくはない」
 ブルックナーの言葉に揃って沈黙するブリッジクルー達。彼らの大半が、かつてバーンシュタインのチームで快哉を上げた口である。皆が無言で同意を示すのに、さして時間はかからなかった。
「信号弾用意」
「はっ」
 部下に命じながらツヴァイの光跡を目で追うブルックナー。我々は充分に戦った。ソロモンすら落ちたのだ。青息吐息のパトロール艦隊が投降したところで、なんの恥があろう。
「終わりにしよう、コーリー」
「停戦信号弾、用意できました」
「発射」
 ブルックナーの声が静かに響く。それが、今生で彼の発した最期の言葉となった。
「な……?!」
 その瞬間、バーンシュタインは状況が全く理解できなかった。ゼブラークのブリッジが吹き飛ぶのと同時に、停戦信号が鮮やかに宇宙を彩ったからだ。頭の中が真っ白になり、つかの間、操縦を忘れる。
「もらった!」
 ようやく追いついたミハイルは、その僅かな隙を逃さなかった。右腕の肘から先を失ったジムが、左手にしたビームガンで狙いを定める。だが、コクピットに響いたのはロックオンを意味するビープ音ではなく、敵味方識別信号の警告だった。
 ビームガンの射線軸上に、アルバート機が割って入ったのだ。
「アルバート……!?」
 利敵行為か。目を疑うミハイルの耳に、だが、リー少尉の冷静な声が届く。
「停戦だ、ミハイル」
 言われてようやく、信号弾の光に気付くミハイル。爆発に比べれば随分と侘しいが、長く続く輝きの意味するところは明確だ。
 いかに集中していたからとは言え、南極条約で定められた停戦信号の見落としは重大な戦闘犯罪である。首筋にひやりとするものを感じながら、ジムにビームガンを下ろさせる。
灰色熊グリズリーの確保はお前とアルバートに任せる。周囲の警戒を怠るな」
「了解」
 短く応えたミハイルだったが、ふと首を傾げると、機をゆっくりとアルバート機の方へ流した。敵機、ツヴァイが抗うような素振りを見せたからだ。
 と、その時、ツヴァイのパイロットと思しき声が、ノイズ混じりに無線を伝った。接触したアルバート機を通して伝わったのだろう。途切れ途切れで聞き取り辛いが、アルバートの説得を拒絶しているようだ。ミハイルはますます首を傾げた。
 彼が命じたわけではないのか?
「私はまだ……!」
「お仲間の想いを無駄にされるんですか」
 不思議なことに、そのやりとりだけは明瞭に聞こえた。深く沈み込むようなアルバートの言葉に、敵のパイロットグリズリー・オブ・ザーンが沈黙するのが判る。
 やがて、ツヴァイは静かにサーベルを離した。
「……ジオン公国宇宙攻撃軍第751パトロール艦隊に所属の全将兵、並びに、周辺の連邦軍に告げる。私はコーリー・バーンシュタイン少佐」
 ジオンと連邦。双方の帯域にバーンシュタインの声が響く。
「我が艦隊は現時刻をもって連邦軍に投降する。各員は速やかに武装を放棄し、連邦軍の指示に従え。連邦軍の指揮官殿におかれては、我が艦隊員の生存者救出にご尽力いただけることを切に願う。以上」
 彼が簡潔に言い終えると同時に、ツヴァイは瞼を伏せた。機動制御プログラムを落としたのだろう。モノアイの灯りのみならず全身が脱力した機体を、アルバート機が脇から抱え込む。通信機能は生かしているらしく、ガーランド艦長の問いに応える声が別チャンネルに聞こえる。たがその声音には、先ほどまでとは打って変わって、疲労の色が濃いように思えた。
「手伝うか、アルバート」
 当該チャンネルの音声を切ったミハイルは、アルバート機に向かって訊ねた。
「片手の機体に手伝わせる訳にはいかないな。一人で迎撃はごめんだぜ?」
 案外と明るい声が返ってくる。
「それもそうか」
 故郷の仇グリズリーを前にしながら、常と変わらぬ様子で応えるアルバートの声に、ミハイルはほっと肩の力を抜いていた。少なくとも、変な気を起こす心配だけはなさそうだ。
「ヨークトンへ移動する。周囲の警戒を」
「了解」
 短く応えて機を離すミハイル。バイザーを上げ、時折スラスターの輝きが瞬くばかりとなった宇宙をゆっくりと見渡す。
 実はこの時、アルバート機からの通信は彼の応答を待たずに切れていたのだが、ミハイルはそのことを知らない。

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