若き鷹の羽ばたき

作:澄川 櫂

10.因縁のグリズリー

 弦は弾かれた。チェンバロ作戦の開始である。
 地球連邦宇宙軍第三艦隊所属の攻撃参加艦艇は、横一列になってソロモン要塞と相対した。各々加速を始めるサラミス級巡洋艦を主体とした艦隊の間から、数多のパブリク突撃艇が最大戦闘速度で突出してゆく。胴体下部に二本の大型ミサイルを抱えたパブリク突撃艇は、黄色い船体を揺らしてソロモン要塞を目指した。
 ソロモンは上下、左右、前後がそれぞれに突き出た形をした小天体である。元は資源採掘衛星としてアステロイド帯から運ばれてきたものだが、開戦を意識したジオン公国によって、要塞化されていた。ドズル・ザビ中将率いる宇宙攻撃軍の拠点であり、ジオン本国への侵攻を防ぐ要害でもある。
 月のグラナダとソロモンを結ぶ防衛ラインの破壊。それこそが、ソロモン要塞を攻めるチェンバロ作戦の最終目的だ。
 迎撃砲火の合間を縫うようにして要塞に近付くパブリク突撃艇は、腹に抱えた大型ミサイルを放って離脱に転じる。ミサイルは要塞から一定の距離に至った所で炸裂し、内部に詰め込まれた粒子を撒き散らした。
 だか、彼らの全てが一連の動作を完遂できたわけではない。ソロモン要塞の対宙砲台と邀撃機の繰り出す迎撃網は厚く、突入、または離脱するパブリク突撃艇を次々と捉えてゆく。彼らは無数の火球となって咲き乱れながら、ビーム攻撃を無効化する粒子——ビーム攪乱幕——を粛々と散布するのであった。
「ビーム攪乱幕の展開に成功。作戦はフェーズツーに移行します」
 ヨークトンの艦橋に戦闘概況を読み上げるルースの声が響く。
「どうやらここまでは順調のようだな」
 戦術モニターを見やったガーランドは、誰ともなしに口にすると、正面に視線を戻した。遠くガラス越しに映る光球の明滅を、じっと見つめる。
 ヨークトンの属する第38戦隊は、予備兵力として後方にあった。第三艦隊の攻撃参加艦隊と、補給艦を始めとする補助艦艇群のちょうど中間に位置している。命令次第で前線に馳せ参じるのはもちろんだが、万一、補助艦艇群に護衛部隊の手に余るような事態が生じた場合には、それを支援する役割も課せられていた。
「後ろの様子はどうだ?」
「異常なし。十五分前の情報ですが、周辺宙域にも不審な兆候は見られません」
「そうか」
 小気味良いルースの報告に頷くと、ガーランドは再び戦術モニターへと視線を戻した。補給艦の群れる宙域は平穏そのものに見える。眼前の戦闘が嘘のようだ。
「モビルスーツデッキより報告。モビルスーツ各機の補給作業完了。予定通り発艦できます」
「あと十五分か……。総員、第一種警戒態勢へ移行。各機の発艦は予定通り。哨戒データの引き継ぎを万全にな」
「了解」
 ガーランドの指示に簡潔に応えると、ルースはインターカムのマイクに手を当てた。

「ブリッジより発令。総員、第一種警戒態勢へ移行。繰り返す。総員、第一種警戒態勢へ移行。モビルスーツ各機の発艦は予定通り。以上」
 ルースの声が歯切れよくモビルスーツデッキ流れた。ジムのコクピットでミハイルと談笑していたロッドは、その艦内放送を耳にするや、コンソールにコマンドを打ち込むのだった。
「表示が消えたらデータリンク完了だ。システムは立ち上がってるから、OK押して待機してくれな」
「ありがとう」
「いえいえ」
 片手を挙げて応えながら裏のアルバート機へと流れるロッドの姿を見送ると、ミハイルはグリップを軽く握った。心地よい緊張が胸を満たして行くのが判る。
「各機、今のうちにシステムを再チェックしておけ。時間になったら泣いても直せんのだからな」
「了解です」
 パウエルの声にシートベルトを締めながら応える。その間に表示されたデータリンク完了のダイアログをOKで閉じると、正面に視線を戻した。
 徐々に開くハッチの向こうに、穏やかな星の海が広がる様をしばし見つめる。
(不思議なもんだな……)
 セルフチェックプログラムを走らせつつ、ミハイルはふと思った。自らの心境のことだ。
後方の警戒という、言ってみれば裏方的な任務になるわけだが、不思議と焦燥感がない。宇宙に上がって間もない頃に抱いていた気負いが、まるで嘘のように和らいでいた。
 もちろん、ジオンのコロニー落としで家族とメイを奪われた怒りは消えないし、ジャブローに散ったアンドリューら戦友達の仇を討つ気持ちにも変わりはない。それでも、こうして戦場の後方で平然と任務に臨む自分がいる。
 ミハイルは後方を映すサブカメラの映像を呼び出した。メンテナンス台の合間から、ガンキヤノン量産型の赤い機体が丸みを帯びたラインを覗かせている。そして、その合間を甲斐甲斐しく動き回るメカマン達。
(母艦、か……)
 サブカメラの映像を切って、正面に視線を戻す。ジャブローにも気の合う知人は何人もいたが、ここまでの連帯感を覚えることはなかった。
 一つ艦で共に寝起きすることが、部門を越えた繋がりを育むのだろう。だがそれ以上に、サイド2ハッテ義勇軍という仲間に恵まれたのが大きいと思う。
 彼らと共に艦隊を守る。その積み重ねが、ひいては味方の勝利に結びつく。彼らの待つ母艦もまた、守るべき対象に含まれていた。もしかすると、パイロットにとっては何よりやりがいを感じる任務であるかもしれない。
「モビルスーツ各機、発艦まであと十分」
 ルースの声がスピーカーを震わせるのと前後して、セルフチェックが終わった。オールグリーン。なんの問題もない。
「B小隊二番機、準備よろし」
 ミハイルの声を筆頭に、各機からも同様の報告がなされ、艦内回線を賑わす。全て順調。第117MS中隊の発艦は、哨戒スケジュール通りに行われるかと思えた。
 だが——。

「警報! 補給艦隊右翼後方より接近する戦闘光を確認」
「なんだと!?」
 モビルスーツ隊発進間際にもたらされた報告に、キャプテンシートに深く腰掛けていたガーランドは、反射的に身を乗り出していた。ルースの声が続く。
「IFF照合できません。718小隊が急行中」
「同士討ちか?」
「艦種特定。ムサイ級二、パプア級一」
「パプア……?」
 ガーランドは首を傾げた。パプア級はジオン軍の旧式補給艦である。かつてはミサイル発射艦として用いられたこともあったそうだが、その点を踏まえても陳腐化著しい老朽艦だ。そんなものがなぜ。
「817小隊より一報。『パプア級が追撃を受けている模様。救難信号は確認できず』」
「エンジン始動、急速回頭! 我が艦はこれより当該宙域へ向かう。モビルスーツ各機は現状のまま待機」
 その報を耳にするや否や、ガーランドは躊躇なく命じていた。戸惑いの表情を浮かべるのもつかの間、復唱するサリバン中尉と艦内に指示を出すルースの声がブリッジに響く。それらを耳にしつつ、通信士の背中に向かって続けるガーランド。
「ウィニペグへ繋いでくれ」
 ほどなく戦隊旗艦と回線が通じ、正面ディスプレイに制帽を目深に被ったドゥアー大佐の姿が映し出される。さすがに戦隊司令を務めるだけのことはあって、大佐の理解は早かった。
「817小隊から一報のあった件だな」
「は。少し作為的なものを感じます。欺瞞ではないかと」
「補給艦隊の襲撃が目的だと?」
 それでも多少、疑わしげな視線を向けるドゥアーだったが、
「このパターンにはいささか覚えがありますので」
 続くガーランドのその一言に、得心顔で頷いた。
「現時刻をもって貴艦の哨戒ローテーションを解除し、補給艦護衛部隊の支援を命じる。ひとまずサスカトゥーンも向かわせるが、状況は随時伝えてくれ」
「ありがとうございます」
 大佐の追認に敬礼で応えて、ガーランドは通信を切った。増速する艦の振動が鈍くブリッジを伝う。
艦長キャプテンは例の部隊を疑ってるんですね」
 舵を取るサリバン中尉が確かめるように口にしたのは、ヨークトンを当該宙域へ直進する軌道へと乗せた後のことだ。
「ムサイすら囮に使うような奴らだからな。パプアからは未だに救難信号は出ていないのだろう?」
「はっ。依然として応戦しつつ前進中です」
「ますます疑わしいな」
 ルースの声にガーランドは眉をひそめて前方を見やった。僚艦と艦載機の大半を失った苦い記憶が蘇る。巡洋艦一隻を餌に艦隊を急襲してみせた手練れの敵部隊。あのとき漠然と感じた、戦慄にも似た微かな不安を胸に覚える。
「……多少の犠牲は避けられんか」
 果たして、彼の予想は当たっていた。

 追われていたパプアが急に方向を変えるのと前後して、817小隊のシグナルが消失した。搬入出ハッチの一つから放たれたビームによって、凪払われたのだ。右から左へと移動する一条の光が、三機のジムの腹部を割いて爆散させる。
 残存粒子のチラつきを残して消えるビームの根元には、妖しく灯るグリーンの一つ眼モノアイがあった。大口径のビーム砲を肩に担いだグレーの機体。バーンシュタイン操るリックドムツヴァイだ。
「試作のビームバズーカも使いようだよ」
 鮮やかな三つの火球に向かって言うと、バーンシュタインは愛機をパプア級コゼルの上甲板に移動させた。ビームバズーカより伸びるチューブが、物憂げにツヴァイの挙動に従う。
 先の補給で受領した二門の試作ビームバズーカは、エネルギー供給を外部より受ける代物であった。テスト終了後にソロモンで保管されていたものが、なぜか回ってきたのである。
 確かに威力はある。だがその反面、取り回しに難があった。遊撃戦を行うバーンシュタインの部隊には、明らかに不向きである。ソロモンの防衛こそお似合いだろう。
 ひょっとすると、数合わせに不良在庫を押し付けたのかもしれない。ブルックナー大尉などはそう言って肩を落としたものだが、バーンシュタインは違った。なぜなら、それを運んできたのがこのパプア艦コゼルだったからだ。
「目標、敵補給艦隊。最大戦速で突き抜ける。コゼルはこのまま進路固定。すまんな、オーガスト」
「こんなボロ船がお役に立てるなら本望でさ」
 バーンシュタインの呼びかけに、コゼル艦長オーガスト・スタンレー中尉のしわがれた声が応えた。
 スタンレーは元々、サイド1の灰色熊グリズリー・オブ・ザーンの異名で鳴らしたバーンシュタインのチームにいた男だ。気心は十分に知れている。そんな中尉の指揮する輸送艦が、補給完了後は自分の指揮下に入るよう命を受けて合流したのだから、何らかの意図があってのことと捉えるべきだった。
 恐らくはラコック大佐の差し金だろうと、バーンシュタインは睨んでいた。前回のパトロール任務の報告書を読んだ大佐が、同様の戦術を期待したとしても不思議ではない。強力だが廃棄しても惜しくはない装備を選んで送った。そう考えた方が腑に落ちる。
 ならば、その期待にしかと応えてみせようではないか。
「タイマーセット完了。離艦します」
「ラフマン、デューイはコゼルのクルーを収容。帰投後はそのまま艦隊の直援につけ」
「はっ」
「了解」
 歯切れよい部下の声を耳にしつつ、右のモニターに目をやるバーンシュタイン。チューブ付きの大筒を担いだリックドムが、ちょうど甲板に着底するところだった。
「パーシー、あと五分だ。遠慮せず撃ちまくれ」
「せいぜい派手にやりますよ」
 左手の親指を立てて応えるのもつかの間、パーシー機のビームバズーカが立て続けに火を噴く。艦の動力源と直結しただけのことはあり、次弾発射までの待ち時間はないに等しい。
「存分に狩らせてもらうぞ」
 バーンシュタインもまた、ターゲットスコープに獲物を捉えるや否や、躊躇うことなくトリガーを押し込む。色鮮やかなビームが迸り、哀れな小羊たちを貫いていった。

「主砲、届くか?」
「ダメです。あと三分!」
 後部砲撃指揮所に詰めるステファン中尉の回答に、ガーランドは顔をしかめた。数少ない護衛艦がムサイ級の対応に追われた結果、数多の非戦闘艦が当て所なく逃げ惑う事態となったのである。
 次々に咲き乱れる大小の火球。無線はひっきりなしにメーデーを唱和しているが、ヨークトンにはまだ、黙ってそれを見守るより手がない。
 と、その視線が捉える先で、ひときわ大きな閃光が湧き上がった。
「パプア、爆沈。周辺の友軍艦艇にも被害が出ている模様」
 ルースがほどなく状況を伝える。
「自沈させたか」
 ガーランドの呟きは、暗く低い。彼が睨んだ通りの展開ではあるが、当然ながら喜ぶ気にはなれない。小さく息を吐くと、ガーランドはルースに訊ねた。
「ムサイ級の動きは?」
「変わらず。補給艦隊の下方を掠めながら、ソロモン方面へと抜けるつもりのようです」
 戦術ディスプレイにムサイ級二隻の予測進路が映し出される。ルースの言う「下方」とは、あくまでも戦術ディスプレイ上での方位を示す、便宜的なものだ。宇宙空間に上下の区別があるわけではない。
 だだ、慣例として、艦のブリッジがある側を「上」と表現していた。連邦、ジオン共に、主砲の可動範囲がもっとも広い側でもある。ムサイ級の動きは、明らかに味方補給艦の撃沈を意図していた。
「進路変更、下げ舵15。ムサイ級の力を削ぐぞ。砲撃開始と同時にモビルスーツ隊発艦。後続のサスカトゥーンにも伝えろ」
「はっ!」
「進路変更、下げ舵15」
 通信士の声にサリバン中尉の復唱が重なる。
「全艦、戦闘準備。全艦、戦闘準備。モビルスーツ各機は砲撃開始と同時に発艦。繰り返す。モビルスーツ各機は砲撃開始と同時に発艦する」
 警報の鳴り響く中、ヨークトンは目標に対して艦首を下げていった。
 両舷側に各一門を備える2連装メガ粒子砲が、ヨークトンの誇る主砲である。だが、その前方に位置する艦首ブロックの側面に、モビルスーツ離着艦用ハッチが設けられている関係上、スクランブル時には使用に制約を受けた。艦正面に対して水平に発射できないのである。砲塔を上方、または下方に向けて旋回し、射線軸を艦載機の離着艦コースから外さなければならなかった。
 ガーランドが下げ舵の指示を出したのは、こうした背景があってのことだ。砲塔角度は先刻までの進行方位に合わせたまま、艦首を傾けることによって、モビルスーツ隊の出撃ルートを確保したのである。
「主砲、照準合わせ。撃ち方用意」
「仰角補正、マイナス0コンマ2。ターゲット捕捉」
 後部砲撃指揮所より、ステファン中尉の落ち着いた声が届く。直後、管制モニターを見つめるルースが顔を上げた。
「モビルスーツ戦闘可能圏内に入りました」
「攻撃開始!」
 間髪入れず命を下すガーランド。ヨークトンのメガ粒子砲が鮮やかな軌跡を描いた。

 不意に襲った激震に、ゼブラークの艦橋にどよめきが走った。キャプテンシートにしがみつくブルックナーが声を荒げる。
「回避運動、遅いぞ! 被害状況は?」
「主砲第三砲塔に被弾、使用不能」
「左エンジンブロック外装に損傷。航行への支障はありません。消火班が急行中」
 部下が報告する間にもビーム掠め、ゼブラークをさらなる振動が伝う。
「……いい腕をしてやがる」
 戦術ディスプレイに目をやりながら、ブルックナーは呻いた。
 彼らに向かって攻撃を仕掛けている艦は、かなり遠方に位置している。ミノフスキー粒子濃度がさほど高くないとは言え、光学観測による遠距離砲撃で、これほど正確に狙ってくるとは。むしろ、致命傷を受けなかったことに感謝すべきだろう。
「後部主砲、ミサイル、牽制発射。敵に狙いを絞らせるな」
 戦慄を覚えながら指示を出すブルックナー。
 一方、敵艦の方位へ向けて愛機を流すバーンシュタインもまた、舌を巻いていた。後方を映すディスプレイの端で、またも小さな火球に彩られるゼブラークの姿を見れば、まぐれ当たりなどではないと嫌でも判る。
「この距離で当てるか」
 ゼブラーク、トチュニーク二艦の牽制攻撃をものともせず、まっすぐに侵攻してくるサラミス級に向かって、感嘆混じりに呟く。最大望遠で捉えた不鮮明な画像であっても、その艦のシルエットが通常のサラミス級と異なることは明白だ。
 恐らくは例の艦だろう。バーンシュタインは直感的に悟った。
(逃した獲物は大きいと言うが、こいつは紛れもない強敵だ)
 バーンシュタインの口元に、微かな笑みが浮かぶ。
 主戦場を離れた宙域で、このような猛者と相対する。それも三度目の遭遇だ。偶然か。あるいは必然か。
 もっとも、そのどちらであっても構わなかった。割り切ったつもりでも、心の奥底では焦燥にも似た物足りなさを覚えていたバーンシュタインである。くすぶり続ける欲求不満のはけ口が現れたと思えば、たとえそれが因縁であったとしても、喜んで迎え入れよう。
 ツヴァイのセンサーがビームの下方より迫る六つの光点を捉えた。先に葬った部隊に比べ、各段に勢いがあると思える。充実した戦闘の予感に、バーンシュタインの心は躍った。
「グリズリーより各機、敵増援のモビルスーツ部隊を叩く。続け!」
 スラスターを輝かせるグレーのツヴァイが、ビーム砲火の合間を縫って、一気に敵部隊を目指す。散開する敵機の動きに合わせ、僅かに機を左へと流しつつ、バズーカを構えるツヴァイ。至近を抜ける光芒がグリズリーのエンブレムを煌めかせたとき、彼の得物もまた、鋭い咆哮を上げていた。

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