若き鷹の羽ばたき

作:澄川 櫂

7.コロニーの記憶

「久しぶりにその名を耳にしたな」
「ご存じなんですか?」
 予期せぬリー少尉の反応に、ミハイルは面食らった。“グリズリー・オブ・ザーン”のことだ。ロッカールームで何気なく話題にしたところが、いきなり当たりを引いた格好である。
「ご存じもなにも」
 そんなミハイルを意外そうな顔で見返すリー。が、言ってすぐに気付いたようで、
「……ああ、お前は地球おかの飛行機乗りだったな」
 そう口にすると、少し考えてから逆に尋ねた。
「ヤシマカップは知ってるな?」
「“クレイジー・ダンス”でしたっけ。宇宙艇レース中、最も過激だって言われた」
「そのヤシマ杯で、73年から史上初の三連覇を成し遂げた男だよ。G1三冠のおまけ付きでな」
 リーの言葉に思わず目を見張るミハイル。
 超高速艇を使った宇宙艇レースは、レースと銘打ってはいたものの、その実態はサバイバルゲームである。参加各機は広大なフィールドで盛んに撃墜劇(もちろん実弾は使用しないが)を演じた。ほとんどの場合、規定のルートを周回しきる前に決着がついたほどだ。
 ヤシマ重工業の名を冠したヤシマ杯は、そんな激しいレースの中でも、フィールドに配したデブリの多さで特に知られていた。まるでデブリ帯に設けられたかのような戦場で、隕石や廃棄物の合間をすり抜けつつ、近接戦ドッグファイトを繰り広げる命知らずの猛者達。過激な宇宙の舞クレイジー・ダンスの覇者には、重力を征する大気圏内の飛行機乗り達でさえ、賞賛を惜しまなかった。
 そのヤシマ杯で三連覇を成したとあれば、相当な乗り手であることは間違いない。だが——。
「……自分、記憶にないんですが」
 ミハイルは控えめに疑問を挟んだ。一週間戦争の衝撃があったとはいえ、たかだか四年前の話である。言われれば思い出して良さそうなものだが。
「あのレース、地球には中継されなかったからな。それどころか、地球では開催に関する報道さえ、ほとんどなされなかったそうだ」
「なんでまた」
「政治的圧力、てやつだったんだろうな」
 またも目を見張るミハイルに言うと、リーはくいと顎を動かした。続きは移動しながら、ということだろう。廊下へ向かう彼の後を、ロッカーを閉めて慌てて追う。
「コーリー・バーンシュタイン。元サイド1ザーン駐留軍の中尉でな、除隊して自らチームを立ち上げた変わり者だ」
 ジオンを巡る緊張が高まりつつあったとはいえ、本格的な戦争が絶えて久しかった時代、宇宙艇レースには駐留軍間の技能争いという側面もあった。宇宙軍そのものがスポンサーとなり、拠点ごとにチームを組織させ、操縦とチューンアップ——改造の腕を競わせたのである。
「軍のチーム枠が限られていたのは事実だが、その後の活躍を見れば、奴が選抜に通る腕前だったのは間違いない」
「でも、そうはしなかった。なぜです?」
「さあな。ただ、ある程度想像は付く。俺が思うに、宇宙民スペースノイドの技術だけで、宇宙そらのレースを制したかったんだろう。なんせ筆頭スポンサーがツイマッド重工業だ。ロンバルディアあたりの機体を改造していたそこらの民間チームとは、格が違う」
 ツイマッド重工業社はサイド3——ジオン公国に勃興したメーカーの一つである。エンジン開発を主力とする複合企業で、現在ではモビルスーツの開発・生産まで行っているという。
「よく経済制裁に引っかからなかったですね」
「別に金があちらへ流れた訳じゃない。むしろその逆だ。それに、ジオンの技術を導入したチームが無様に破れる様を全土に流せば、サイド3に対する心理的圧力にもなる。ジオンなにするものぞ。皆、そう思っていたからな」
 ブリーフィングルームのドアに伸ばしかけたリーの手が、一瞬止まる。その苦い表情から、ミハイルは彼の心の内を察した。
 一週間戦争の惨禍が襲うあの日まで、軍、民間を問わず、ジオンを格下として見下す風潮があった。ミハイルもまた、そんな人間の一人だ。彼らはルウムの惨敗を受けて初めて、ジオンの実力を正当に評価するようになったのである。ましてやリーはルウム戦の経験者。後悔の念はことのほか強いはずだ。
 僅かな沈黙を破るように、ドアのスライドする音が静かに響く。先に来ていたヤンに軽く応えて腰を落ち着けると、リーは話を続けた。
「世間の前評判とは裏腹に、バーンシュタインのチームは初戦から善戦し、僅か数年でビッグタイトルを制してみせた。彼の技量もさることながら、機体の完成度が高かったことは、ヤシマ杯を連覇したことからも明らかだ」
 サイド1の町工場で組み上げられたその機体は、ずんぐりした灰色の外観と、地球資本を排して開発するという挑戦的なアプローチから、畏敬の念を込めて“グリズリー”と呼ばれた。サイド1の灰色熊グリズリー・オブ・ザーンは、スペースノイドの力だけで、連邦軍や地球資本主体のチームと対等以上に渡り合えることを世に示したのである。
「で、ここからが本題なんだが……。75年のシーズンでルール改定があってな、ポイントがそれまでの減点法から加点法で評価されることになった。要はコクピットに直撃されない限り、撃墜と判定されなくなったんだ。その上で、タイムの評価比率が引き上げられた。極端な話、何発食らってもとにかく逃げきりさえすれば、勝利できる可能性が生まれるわけだ」
 このルール改定に伴い、各チームはスピード重視の新マシンを開発することとなった。バーンシュタインのチームも例外ではない。ただ、発表からシーズン開始までの期間が短かった関係で、ノックダウン方式で組み上げたツイマッド社製の機体をベースにカスタマイズする事で対応した。無論、法的にもレース規定的にも問題ないことを踏まえての話だ。
 だが……。
「シーズンも半ばを過ぎた頃、連邦議会でバイアース法の改正法案が可決され、地球連邦原産のパーツ使用率が八割を超えない製品の製造・販売が禁止されることになった。施行は翌年度以降とされたが、実際上は即日に近かったことは、お前も覚えているよな?」
 頷くミハイル。とある民間団体の起こしたボイコット運動は瞬く間に連邦全土へと広がり、企業は改正後の基準を満たさない製品について、自主回収を余儀なくされたのである。
 もっとも、比較的安価な互換製品が市場から姿を消した結果、困ったのは他ならぬ庶民だったのだが。整備費用がかさんで大変とボヤいていたメイの顔が、ミハイルの脳裏に浮かんで消えた。
「結局、大会委員会はバーンシュタインのチームに対し、新マシンの使用停止を命じた。ヤシマ杯開催の二日前のことだ」
「それって……」
「75年のヤシマ杯は、大会三連覇とシーズン三冠の同時達成という初記録がかかった大切なレースだったわけだが、お偉方にしてみれば、記録よりもスペースノイドの英雄誕生を防ぐことの方が、遙かに重要だったろうからな。圧力がかかったと見るのが自然だろう」
「……」
「しかし、こうして振り返ってみると、そもそも75年のルール改定自体、その一環で行われたんじゃないかと思えてくるな」
 幸い、予備機として登録していた“グリズリー”はバイアース法改正後の基準を満たしていたため、バーンシュタインはそちらでの出場を決めた。そして彼と彼のチームは、全機撃墜の完勝で前人未到の偉業を達成したのである。
 “グリズリー・オブ・ザーン”の名は、伝説となった。
「でも、そこまでやったんじゃ、ただじゃ済まなかったんじゃないですかい?」
 聞き耳を立てていたらしいヤンが口を挟んだ。頷くリー。
「ああ。だが、奴の方が何枚も上手だった」
 祝勝会から一夜が明けとき、バーンシュタインと彼のチームは宿舎から忽然と姿を消していた。彼らの家族はもちろんのこと、“グリズリー”開発に携わった人々や主だったスポンサーまでもが、揃って行方をくらませたのだった。
 彼らを軟禁すべく踏み込んだ公安当局は、もぬけの空の室内に、最悪の事態を予感した。そして、それは十日後に現実のものとなる。ドズル・ザビに伴われて凱旋するバーンシュタイン一行の様子を、サイド3のメディアが報じたのである。
「あれだけの人数が一夜にして亡命を果たしたんだ。相当念入りに準備していたことは疑いようもない。シーズン開始当初、いや、ひょっとするとチームを立ち上げたときから、そうなることを予期していたのかもしれんな」
 結局、大会委員会はレース無効を宣言し、彼の偉業は幻となった。が、その事実が公に報じられることはなく、彼は時の流れとともに忘れ去られた。一部の人々の記憶を除いて……。
「ところでミハイル。お前、どこでその名を耳にしたんだ?」
 そこまで話し終えたところで、リーが不意に問いかけた。
「え?」
「そうは出てこない名前だと思うんだが」
「それは……」
 どう説明したものかとミハイルが思っていると、
「我々が戦った相手だよ」
 パウエルの声が先に答えた。
「先代の中隊を破った男であり、サイド2壊滅の当事者の一人でもある」
「——隊長?」
「そりゃ本当ですかい?」
「ああ、他ならぬ二人が証人だ」
 ディスプレイ脇に向かって歩きながら、パウエルは背後に目をやった。彼に続いて入ってくるアルバートとモニカに、自然と視線が集まる。と、何を尋ねるよりも先に、当のアルバートが口を開いた。
「先ほどの戦闘で、“グリズリー・オブ・ザーン”のエンブレムを視認しました」
「これはアルバート機のガンカメラが撮った映像を拡大したものだが……」
 続けるパウエルの声に振り向くと、ディスプレイにやや不鮮明ながらも、咆哮する獣の意匠が映し出されていた。影絵のようなそれは、確かに熊に見えないこともない。
「どうだ? ユンファ」
「コロニーに“1”が入れば完璧ですね」
 意見を求められたリーはそう述べた。彼の言うコロニーとは、獣の足元にある円筒形のことだろう。
「俺も同意見だ」
 パウエルは頷くと画面を切り替えた。ディスプレイの画像がウィンドウ表示に変わり、別の画像が隣に並ぶ。1と描かれたコロニーを足場に吼える熊のシルエット。突き上げられた鼻先から延びる半円に沿って、“GRIZZLY”の文字が控えめながらも存在感のある書体で記されている。もちろんそんな細部までは比較しようもないが、ミハイルの目には、両者は同じものと映った。
「一機だけ、グレーの機体が混じっていただろ?」
「自分を突き飛ばした奴ですね」
「ヨークトンの戦闘データベースに、恐らく同一と思われる機体の記録があった」
 頷いて画像を切り替えるパウエル。炎に包まれるサラミス級と、その手前を駆け抜ける一機のモビルスーツ。拡大すると果たして、見覚えのあるグレーの機体がモノアイを輝かせていた。ヤンが口を鳴らす。
「しつこい野郎だぜ」
「熊は一度得た獲物に執着すると言うからな。どうやら浅からぬ因縁の相手らしい」
「しかし、サイド2壊滅の当事者というのは?」
「開戦のあの日、自分は“河の裏”で作業中にジオンの襲撃に遭いました。一瞬の遭遇でしたが、あのエンブレムは見間違いようがありません」
 リーの疑問に静かに答えるアルバート。が、淡々とした口調とは裏腹に、腰の脇で握りしめる拳が小刻みに震えている。それに気付いたミハイルは、口にしかけた言葉を飲み込むのだった。
「皆も知っての通り、アルバートは目が良い。それに、目撃談は他にもあったそうだから、まず間違いないだろう」
「また来ますかね」
「二度あることは三度ある、と言うからな。心しておこう」
 そう締めくくったパウエルは、不意に視線をミハイルへと移す。
「ところでミハイル」
「はい?」
「一つ、頼みがあるんだが」

 甲板に居並ぶノーマルスーツの合間から、白いカプセル状の物体が虚空に向けて放たれる。目ざとく捉えたサブカメラの映像を拡大すると、時折走るノイズの中を鋼製の棺が一つ、ゆっくりと進んで行くのが判る。
 もっとも、その内に弔うべき遺骸はなかった。花で満たされた棺の向かう先には、破壊されたサイド2のコロニー群。それはサイド2ハッテ義勇軍メンバーによる、ささやかな慰霊の光景であった。
 本隊に先行して合流ポイントに到達したヨークトンとサスカトゥーンの二艦は、眼前に広がる荒涼とした地を畏怖するかの如く、その外れに慎ましやかに投錨した。傍らに幾重に浮遊するコロニーの残骸の中には、艦を覆い隠すに足るほど巨大なものもある。僅か一年前に数億の人々が暮らしていた場所とは、到底信じられない。
(これが、僅か数時間で……?)
 慰霊に参加するアルバートと一時的に配置を替わったミハイルは、初めて目にするサイド壊滅の現場に、声を失った。スペースコロニーの映像は過去に何度か目にしたことがあるが、今現在、こうしてモニター越しに流れる景色とは、およそ結び付かない。スペースコロニーの外観上の特徴——採光用ミラーと採光窓の一部——を有した残骸が、ここにサイドが存在していたことを示している。
 その残骸群の中に、辛うじて原型を留めているコロニーが、取り残されたようにぽつりぽつりと浮かんでいる。だが、暗く濁った“河”を見れば、その中にあった営みが失われて久しいと、嫌でも想像できた。
「オープン型コロニーに採光用の窓があるのは知ってるよね」
 先の待機時間に交わした、モニカとの会話を思い出す。アルバートの話にあった、“河の裏”という単語の意味を尋ねたのがきっかけだ。
 一瞬、戸惑いの表情を見せたモニカだったが、すぐにミハイルが生粋のアースノイドであることを思い出したようで、そこから解説を始めたのだった。
「あの採光窓のことを“河”って呼んでるの。コロニーの中から見ると、ちょうど大地と大地を区切るように走ってるから。ちゃんと橋も架かってるのよ」
「……窓ってことは、材質はやっぱりガラス?」
「ガラスはガラスだけど、幾重にも区画分けして重ねてあるから。軍艦の窓より頑丈よ」
 自分の心配を敏感に感じ取ったらしく、モニカはそう言って笑った。そもそも人が宇宙服なしで日常生活を送る場所なのだから、ヤワな作りであるはずがない。反射的に出てしまった言葉を無言で恥じていると、モニカはもう一つ笑って続ける。
「窓の階層を降りていった一番下が“河の底”。じゃあ、その向こう側は?」
「……ああ、それで“河の裏”」
 ミハイルにもようやく飲み込めた。一番最下層の窓の向こう、ガラスの裏側が“河の裏”。つまりは宇宙だ。
「でも、なんでまたそんなところに」
「アルバイト」
「は?」
「採光窓掃除のバイト。結構稼げるのよ」
 ミハイルは正直なところ、面食らった。彼女がその手の仕事をするとは思えなかったからだ。モビルスーツのパイロットをしていることすら、不思議なくらいなのに。
「もちろん、普段は専門の業者が作業するんだけどね」
 彼の勝手な当惑を知ってか知らずか、モニカはそう挟んで続ける。
「ただ、年に一度の集中整備点検では人手が圧倒的に足りないから、私達みたいな工学科や機械科の学生に声がかかるの。ワーカー免許取得が必須の学科だから」
 ジオンの攻撃を受けたあの日は、まさに集中整備点検の期間であった。ジオンの襲撃を受けたその時、彼女もまた、採光窓の清掃作業に取りかかるべく、港でワーカーの起動準備をしていたのだという。
「もの凄い衝撃だった。振動を感じたと思ったときには吹っ飛ばされてたくらい。訳も分からぬままドックの点検抗に叩き込まれて、そこで、気を失ったの」
 だが、結果的にそれが彼女の命を救うこととなった。
「気がついた時には、辺りは真っ暗だった。パイザーが下りていたから、港の空気が抜けたらしいことはすぐに判ったけど、まさか、あそこまで酷いことになっていただなんて……」
 点検抗から這い出したモニカの視界に飛び込んできたのは、爆風でひしゃげた数隻の船舶と、バラバラになったワーカーの残骸。そして、力なく漂う幾人もの死体——。
 凄まじい威力の爆風が港に吹き荒れたことは明らかだった。ドックの点検抗に落ちていなければ、モニカも到底無事では済まなかったはずだ。
 そして、宇宙服のヘルメットをきちんと被っていたことが、彼女が生き延びる最大の要因となった。なぜなら、被害は単に港の損壊に留まらなかったのだから。
「暗闇の中、私はメットに付いたランプの灯りを頼りに、コロニーの奥を目指した。周囲は瓦礫だらけでね。無重力ブロックなのに跳んで行けないのがもどかしくて、苛々しながら歩いてた。……ううん、あれはたぶん、怖いのを紛らわそうとしてたんだと思う。正直、パニック寸前だっから」
 そうして、ようやくの思いで貨物用エアロックの前まで辿り着いた時、横から白い光が差し込んだ。眩しくて思わず片腕をかざすモニカの眼前に現れたのは、ライトをハイビームにした一台のワーカー。キャノピーが開き、若い男の声が「無事ですか」と問いかける。
 それがアルバートだった。
「『明かりが見えた気がして…』私を後部シートに乗せながら、彼は言ったわ。『念のため寄ってみて良かった』て」
 モニカをピックアップしたアルバートは、彼女の予想に反して、機を貨物用エアロックとは反対の方角へと向けた。訝しがるモニカに小さく「無いんだ」とだけ告げてワーカーを飛び立たせる。
 その言葉の意味するところをモニカが知ったのは、ワーカーが宇宙に出た直後のこと。炎に包まれる軍艦が遠目に見え、慌てて振り向き、そして、絶句した。
「……文字通り無かったの。コロニー本体が。私が居たベイブロックの、それもその一部だけが、瓦礫の中にぽつんと浮かんでた。家も街も、家族も友人も、みんな……みんな無くなってた」
 どうして……。しばらく経って、ようやくモニカの口から言葉が漏れたとき、アルバートの声が静かに響いた。

 ——ジオンの攻撃を受けたんだ。

 その口調から、彼もまだ茫然状態から脱し切れてないのだと判った。悲しみも怒りもない、平坦な声。生存者探索で体を動かしているから、かろうじて平静を保っている……。
 結局、モニカが彼の見つけた最後の生存者となった。救助活動の拠点となった連邦軍の輸送艦——経緯は定かでないが急拵えの赤十字を纏っていた——が、ジオン軍の勧告に従ってサイド2を離れたからだ。
 もっとも、仮に宇宙服を着用していたとしても、宇宙で人が生き延びられる時間は限られている。科学的にも妥当なタイミングではあった。
「自分で言っててなんだけど、とことんツイてたのね。私」
 そう言って小さく笑うと、モニカは不意に視線を上げた。虚空を見つめる瞳がつかの間揺れる。
「正直言うと、未だに実感ないんだ。気を失ってたのもあるけど、あんまりにも綺麗に無くなっちゃったもんだから。全部夢なんじゃないか、て。どこかフワフワしてると言うか」
「解るよ、その感じ。自分も同じだったから」
 故郷を襲った惨禍の光景はあまりに非現実的で、未だ実感を伴わない。実際に現地に赴けば違うのだろうが、戦時下にあってはそれもままならず、親しい人々からの連絡が途絶えていることすら、戦時の一時的な影響に過ぎないと思えてしまう。
 故に、何気なく口にした格好のミハイルだったが、それは彼女に対して、あまりに不用意な言葉だった。
「そっか、サイド2ハッテのコロニーが落ちたんだっけ」
 モニカの表情が沈む。言われてようやくその事実を思い出すが、時すでに遅し。一瞬にして思考が真っ白になるミハイルは、反射的に頭を下げていた。
「——ごめん」
「なんで謝るかな」
 寂しげな笑みを浮かべて応えるモニカ。そして気まずい沈黙——。
「ロッドが言うにはさ」
 少しして、モニカがぽつりと呟くように口を開いた。
「アルバートは、実家のあるバンチに戦艦が墜ちるのを見たんだって」
「え……」
「やっぱり、実感してると違うのかな」
 これにはさすがに、ミハイルは応える術を持たなかった。もっとも、口にした本人もそのことは重々承知のようで、
「て、こればかりは本人に確かめてみないと分かんないよね」
 と続けて嘆息する。
 おいそれと訊けるような内容ではないし、それで理解が及ぶとも限らない。結局のところ、想像するより他に手はないのだ。
「……ごめん、なんか暗い話になっちゃった」
「いや……」
「なんの話してたんだっけ。あ、“河の裏”のことか」
 そう続けたモニカは、ふと何かに思い至ったようだった。
「ねえ、本物の河て、どんなの。何もしなくても大量の水が勝手に流れてくるって、本当?」
「え……?」
 ぽかんと半分口を開けたまま固まるミハイルの様子に、くすくすと笑う。
「隊長とおんなじ反応」
「えっ?」
「面食らったっしょ」
 してやったりの顔でひとしきり笑うと、
「隊長が故郷の“山並み”を自慢したことがあったんだけど、山が並ぶ、てのがまず分かんなくて。アルと二人して意味を訊いたら、そんな感じで狐につままれてた」
 と続ける。
「……ひょっとして、二人は」
「そ。コロニー生まれのコロニー育ち。地球のことは図鑑でしか知らないんだな、これが」
 ようやく思い至ったミハイルに、モニカは再び笑いめかして応えた。が、そこに漂う一抹の寂しさを感じ取ったミハイルは、容易には越えられぬ壁の存在を改めて思い知らされた気がした……。
 知識として知ることは、理解することと同意ではない。実感して初めて解ることがある。地球と宇宙。生活環境の大きな違いは、常識と呼ばれるものの規定を変え、認識にギャップを生じさせる。今、こうして見つめている壊滅したサイドの光景は、モニカの話を聞いて思い描いたものとは雲泥の差だ。むろん、現実がより酷かったと言う意味で。
(街どころか、世界そのものの破壊じゃないか)
 スペースコロニー一基当たりの人口は、ミハイルの故郷シドニーとほぼ同じ。それが数十の規模で破壊された。スペースコロニーにおける「街」とはコロニーそのものであり、円筒形の密閉空間が「街」を包む「世界」——人が生身で生存できる空間——のすべてだ。その破壊は即ち「世界」全体の崩壊を意味する。
(こんな地獄を、彼等は生き抜いてきた……)
 モニターに再び捉えたヨークトンの、甲板に並ぶサイド2ハッテ義勇軍の姿を目にしながら、ミハイルは驚嘆する思いだった。
 コロニー落下の衝撃により、地球上ではシドニーを始め多くの街が消滅、あるいは壊滅し、地球規模の気象異常が発生した。宇宙での生活経験しか持たないモニカやアルバートのようなスペースノイドが、その災禍を正しく認識する事は、恐らくないだろう。だが、シドニーが失われてもオーストラリアの大地は健在であり、そこを包んでいた地球という「世界」も残されている。「街」が壊されたら一巻の終わり、ではないのだ。
 決してあの災禍を肯定するわけではないが、コロニー壊滅の地獄に比べれば、地上の惨状などまだマシな方かもしれない。
 そんなことを思いながらモニターを見つめていると、そこにモニカとデュランの姿を見つけた。義勇軍メンバーの中でパイロットスーツを着用しているのは二人だけだから、すぐに判る。寄り添っているようにも見える映像に、ミハイルの胸は疼いた。首から下げたブーメラン型のお守りを、思わずスーツ越しに押さえる。
(——メイ)
 アルバートがモニカにしたように、メイに救いの手を差し伸べることができていれば……。
 コロニー落着の瞬間、シドニーの街中に居たであろうメイ。彼女がその後も生きていた可能性はゼロに等しいが、飛んで駆けつけてやることもできなかったという無力感は、未だミハイルの心を締め付ける。
 だが、この時の胸の疼きは、それだけが原因ではなかった。
(俺は……)
 これほどの体験をしながら、なお明るさを失わないモニカという女性の強さに、ミハイルは惹かれ始めていた。性格も容姿もまるで違うが、それでいてどこかメイを思い出させる女性の魅力に。だが、彼女の側には、経験を共にしてきた者、アルバートがいる。慰霊に臨む二人の様子から、その間にある絆の深さを見せつけられた気がして、心が泡立つ。
(俺は、アルバートに嫉妬しているのか……)
 パイロットとしての技量も彼が上だ。寄り添う二人の間に入り込める余地など、無いように思える。メイに対する気持ちも影響してか、訳もなく焦燥を覚えるミハイルは、慌てて首を振った。
「——馬鹿、今はそんなことを考える時じゃないだろ。任務に集中するんだ」
 深呼吸を何度か繰り返して、ようやく心を落ち着かせる。と、コロニーの残骸群のずっと向こうで移動する、小さな光を見つけた。星ではない。明らかに人工的なものだ。
「隊長、二時方向に光!」
『何……?』
 ミハイルの報告に、パウエルが緊張した声を返すが、
『——確認した。問題ない。サイド2領海を航行する民間船だ』
 すぐに落ち着いた口調で続ける。その内容に、ミハイルは目を見張った。
「民間船、て。ここ住んでいる人間が居るんですか?」
『ああ。僅かとは言え、選別攻撃で残されたコロニーがあるからな。もちろん、自給自足できるほどの力はないから、戦時協定に基づいて連邦が定期的に支援物資を届けている状態だが……』
 その時、ジムのセンサーに反応があった。接近する艦艇を複数捉えている。
『我らが本隊のお出ましだ』
 パウエルの言うように、識別はいずれも友軍のもの。大小合わせて十隻を超える艦艇が、六隻の輸送艦を中心に輪形陣を組んでいる。輸送艦のうち二隻は白色で、大きく目立つ赤十字を纏っていた。
「隊長、あれって……」
『そう言うことだ。支援物資輸送艦の護衛にかこつけて、艦隊を編成する。協定の隙をついた格好だな』
 さも当然といったパウエルの口調に、そんなものかと思うミハイル。利用できるものは悉く利用する。個人的な感傷とは無縁の現実が、そこにあった。

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