若き鷹の羽ばたき

作:澄川 櫂

4.ヨークトン(2)

「いやはや、なんとも……」
 エアロックを抜け、再び艦内の人となったパウエルは、パイロットスーツのメットを脱ぎながら、思わずこぼしていた。それでいて続く言葉を飲み込んだのは、長らくヨークトンを母艦にしてきた人間に対して失礼だと気付いたからである。
 が、傍らで同様にメットを外すデュラン曹長は、特に気に止める様子もなく、ゆっくりと若い顔をこちらに向けた。すべてを見透かしたような澄んだ瞳で、彼の台詞を継ぐ。
「とんでもない艦、ですか?」
 パウエルの感想を予期していたのだろう。言った曹長の顔には気を害したような色はない。むしろ、彼の反応を楽しむかのように、口元に笑みを浮かべている。
「あ、ああ……」
 今し方、彼の通ってきた「艦外コース」に備わるワイヤーは、丁寧なことに、上りと下りとで色分けがなされていた。フックの擦れた跡が至るところにあり、全体的に斑模様ではあったが、識別できるくらいには補修されている。それはすなわち、この道が日常的に使われていることを意味していた。
 しかも、ルートは一つだけではない。格納庫から延びるワイヤーは、艦橋基部との間をつなぐもの以外にもう二組あった。終点の艦橋基部からは、ワイヤーを乗り継いでさらに艦外を行くことができる。実際、艦の後方から来て格納庫へと向かう集団と遭遇したパウエルは、唖然としてそれを見送ったものだ。
「艦内の通路はそんなに遠回りなのか?」
「他の艦のことは知りませんが、だいぶ入り組んでいますからね」
 平然と応えて先導を再開する曹長。「艦外コース」はこの艦では普通のことらしい。パウエルは一つ頭を振ると、その背中に向かって別のことを尋ねた。
「君は、この艦は長いのか?」
「実験艦として、ルナツーで再就航した時からになります」
 思ってもみない言葉に、目を見開くパウエル。
「では……」
「配属以来ずっと、ギブソン中尉の元で働いてきました」
「コーレン軍曹も?」
「はい」
 前を向いたまま、彼は静かに答えた。
「部隊創設時からのパイロットは、二人だけになってしまいました」
 第117MS中隊は、鹵獲した敵モビルスーツ“ザク”の評価を行った、宇宙軍の技術部門を前身とする。モビルスーツの開発そのものは、連邦軍本部のあるジャブロー工廠が主管を握ったが、部隊編成に欠かせない運用・戦闘ノウハウの蓄積は、地球と宇宙のそれぞれで行われることになった。
 だが、当時はジオンが破竹の勢いで地球侵攻作戦を進めている最中であり、制宙権を失った宇宙軍は、ルナツー基地周辺の宙域でひっそりと息を潜めながら、指をくわえているより他なかったのが実状である。パウエルはそれを嫌って、自ら地球への転戦を志願したのだった。
 将来的にモビルスーツが重要な役割を果たすであろうことは、ルウムを戦ったパウエルには痛いほど解っていた。とはいえ、生産が軌道に乗る前に敗れてしまえば、元も子もない。故にパウエルは、主戦場である地球でジオンと戦う道を選んだのである。
 生き残りの仲間たちが揃って地球への転戦を希望する中、唯一、ヘンリー・ギブソンだけが、評価部隊への参加を志願したのだった。勇猛果敢で知れた男がなぜ?
 問いただすパウエルに、ギブソンは答えたものだ。
「この宇宙で雌雄を決して初めて、連邦はジオンに勝利することができる。モビルスーツで先行する奴らを叩くには、それ相応の備えが必要だ。実戦経験者が携わらねば、意味がないだろう?」
 正論にすぎる言葉だった。が、最悪の戦況が続く中にあって、それを口にするというのは、大変に度胸のいることだ。
 人はとかく、目前の事象に囚われがちである。先の見えぬ物事に対処するより、その方がずっと楽だからだ。少なくとも、不安を忘れることはできる。が、それだけのこと。後に繋がるものはなにもない。ハッと目を見開くパウエルの胸に、ギブソンはにやりと笑って拳を当てる。
「お前が地球で戦ってくれるなら、何の心配もない。頼んだぞ」
 未来を信じ、仲間を信じきった者のみがたどり着くことのできる、至高の境地。迷いのないその瞳は、確かに未来を捉えていた。
 その言葉に違わず、モビルスーツの量産化を成し、オデッサの戦いにも勝利を収めた連邦軍は、ジオンと雌雄を決すべく、今まさに宇宙への遠征の途につかんとしている。
 だが、それを信じたギブソンの姿は、この艦にない。待ちに待った時を目前にして、彼は銃弾に倒れた……。
 第117MS中隊は、それなりに出入りの激しい部隊と聞いた。主戦場ではなかったが、彼らの駆けた戦場は紛れもない最前線だったのだ。
 幾多の辛苦を味わいながら、モビルスーツという新兵器の戦術を模索してきたギブソン。これからという時に、さぞかし無念だったろうと思う。
「パウエル中尉をお連れいたしました」
 不意に聞こえた曹長の声に、パウエルははっと顔を上げた。いつの間に物思いに浸っていたらしい。当番兵が取り次ぐ隙に、慌てて襟首を整える。
 だがそんな緊張も、扉の向こうに現れた人物を目にするや、影もなく吹き飛んでいた。
「ようこそヨークトンへ。中尉の着任を心待ちにしていたよ」
 制帽を粋に被りこなした初老の艦長が、満面に笑みをたたえて彼を出迎える。
「ガーランド教官……!」
「最後に会ってから、かれこれ三年になるかな?」
「退任式以来、ご無沙汰しておりました」
 差し出された手をしっかりと握り返しながらパウエル。
「いつ復帰なされたのですか?」
「ルウムの大敗後、ほどなくな。悠々自適の隠退生活に甘んじていたが、ジオンのおかげで前線を満喫する栄に浴したよ」
 言って、マーク・ガーランド中佐は歯を見せた。俺がガキの頃だったら、お前等にもっと実戦的な指導ができたのにな。歳の割に引き締まった体躯を持つ老中佐の口癖を思いだし、パウエルも思わず口元を緩める。彼がガーランドの薫陶を受けていた頃、世界はまだ、本格的な戦争を忘れて久しかった。
「しかし中尉、さすがだな」
「……は?」
「宇宙に上がるなり艦外に連れ出されたというのに、全く顔色を変えておらん」
 言って、にやりと笑うガーランド。
「そうだな? 曹長」
「ハッ、泰然としておられました」
 振り返ると、デュラン曹長もまた、愉快げな表情を見せている。
「先ほどのお話ですが、いざという時には格納庫の真ん中を突っ切る手もあります」
「戦闘行動中にひょいひょい外を行かせるほど無謀な艦ではないから、安心しろ」
 続くガーランドの言葉に、パウエルはようやくやられたと思った。
 どこの部隊でも少なからずある、新入りの通過儀礼。彼が過去に経験したものに比べればささやかだが、宇宙に上がったばかりの新しい隊長を、彼等はさりげなく試したのだ。
 パウエルは小さく嘆息した。まさか自分が試されるとは思っていなかったこともある。が、それと全く気づかなかったことの方に、軽いショックを受けていた。彼等のやり方が、それだけ自然だったとも言える。
「ご苦労だった、曹長。ゆっくり休んでくれ給え」
 ガーランドはパウエルに席を勧めると、戸脇に控えるデュラン曹長を労った。度胸試しも、恐らくはガーランドが示唆したのだろう。にこやかに敬礼して、艦長室を辞する曹長。
 それを目線で見送ったパウエルは、だが、扉が閉じるのを待って、慎重に口を開いた。
「彼はサイド2ハッテの……?」
「ああ、ハッテ義勇軍だ」
 脱いだ制帽をデスクに置きながら、中佐は頷いた。先程までの笑みが嘘のように、表情を曇らせる。
「……と言えば聞こえは良いが、実際のところは強制徴用だな。彼らには他に選択の余地などなかったのだから」
 沈んだ声でそう続ける。
 彼らの故郷であるスペースコロニー“サイド2”は、開戦後まもなく、壊滅的な打撃を被った。同じくスペースコロニーを基盤とする、ジオン公国の手にかかって。俗に一週間戦争と呼ばれる開戦当初の戦闘で、サイド2ハッテは目を覆わんばかりの惨劇に見舞われたのである。
 実体弾、メガ粒子砲、核兵器による物理破壊はもちろん、ガス注入により全滅させられたコロニーすら数知れない。
 だが、その地獄を生き延びた人々もいたのだ。選別で破壊を免れたコロニーの住民ばかりではない。たまたまコロニー外で作業していた者。運良く、破壊ポイントから外れたシェルターへと避難できた者。それら九死に一生を得た人々によって結成されたのが、ハッテ義勇軍と呼ばれる部隊なのであった。
 正式な発足は79年の4月。これに先立つ2月には、連邦軍に救助され、ルナツー基地に収容されていた満十五歳以上の者を対象として、志願者が募られた。結果として、対象者のほとんどがこれに応じたのだった。
 彼らに「ジオン憎し」の心があったのは確かだろう。
 コロニー落とし作戦のため、いったんはサイド2を去ったジオン軍だったが、ルウムの戦い後ほどなく進駐し、自軍の勢力下に納めていた。破壊の限りを尽くしたあげく、残されたわずかなコロニーに居座るジオン軍。それを知った彼らの心中は、想像するに易しい。
 が、仮にジオンの進駐がなかったとしても、生き残ったサイド2のコロニーに、彼等を受け入れる余地は既になかった。第一、連邦は制宙権を失っており、無事に送り届けられるかどうかも疑わしい。逼塞するばかりのルナツー基地としては、危険を冒して地球に降りるか、残って兵士としての訓練を受けるかの二択を迫るしかなかったのである。
 この時期、地球上では宇宙より降下したジオン軍が怒濤の進撃を続けていた。苦労して降りたところで、安全でいられる保障はない。故に彼らは、兵士として戦う道を選択した……。
 約一月の訓練を受けた後、サイド2生き残りの新兵達は、“ハッテ義勇軍”の紋章とともに各部隊へと配属された。特に希望して地球の最前線へ向かった者を除けば、ほとんどが宇宙軍の、それも比較的後方に位置する部隊であった。軍も闇雲に無慈悲というわけではなかったのである。
 もっとも、それは程度の差であって、決して宇宙が平穏だったわけではない。だが、地上の激戦をくぐり抜けてきた者たちの目には、しばしば惰眠を貪っていると映った。
 もともとこの戦争は、地上民アースノイド宇宙民スペースノイドの対立に端を発している。そのこともあって、生まれの異なる兵の間で生ずる軋轢は、絶えないのであった。
「元は試験艦として就航した経緯もあって、本艦にはハッテ義勇軍の乗員も多い。くれぐれも、つまらぬ諍いなどは起こさぬようにな」
「心得ております」
 部隊の和を尊ぶのは、指揮官たる者の当然の心得である。淀みないパウエルの応えに満足げな表情を浮かべると、ガーランドはようやく本題に入った。むろん、今後の作戦についてである。
 ヨークトンとサスカトゥーンの二艦は、明後日よりジオンが制する宇宙のまっただ中を突っ切って、一路、サイド2を目指すよう指令を受けていた。立ち塞がる敵あらば、これをことごとく打ち破れ、との付帯事項付きで。派手に暴れろと言っているようなものだ。本隊の露払いというには、あまりに過激で過酷な命令だった。
 理由はある。一つには陽動だが、同時に、この方面に大規模な部隊が展開していると見せかけるためだ。母港ルナツー基地のワッケイン司令率いる第三艦隊は、ジオンへ侵攻する遠征軍の一翼を担うことになるが、これを主力と思い込ませようと言うのである。
 作戦の詳細まではさすがに知らされていなかったが、それほどまでに大がかりな行動をとるとなれば、目標は自ずと想像できる。
「ソロモンですか?」
「グラナダを攻めるとなると、連合艦隊はだいぶ遠回りをさせられるな」
 パウエルの問いに対し、ガーランドは婉曲に答えた。
 小惑星に手を加えた宇宙要塞ソロモンと、月面都市グラナダは、共にジオン公国の重要な戦略拠点である。サイド2からはそのどちらに対しても攻め込むことができたが、肝心のサイド2に集結する艦隊が主力でないとするならば、後者の可能性は相対的に低くなる。
 それをぎりぎりまで悟らせないためにも、彼らは派手に動いて見せなければならないのだった。
「宇宙に上がったばかりだというのに、苦労をかけるな」
「いえ、実践に勝る訓練はありませんから」
「そう言ってもらえると助かる」
 笑みを浮かべるガーランドだったが、それを見つめるパウエルには、ひどく疲れたものに感じられた。先の戦闘で、ガーランドは僚艦をも失っている。指揮官たるもの、部下の犠牲は付き物とも言うが、数百もの命を一度に失えば、堪えない方がどうかしているだろう。
 小さく息を吐くと、ガーランドはぽつりとこぼした。
「……つくづく惜しい人材を失ったよ。特にギブソンは」
「一艦を道連れに逝ったとか」
「ああ。だが、連中が最初はなから捨てる気でいた艦とでは、釣り合いが取れん」
「捨てる……?」
「突出艦の護衛が一機だけとは、まさか夢にも思うまい?」
 パウエルは目を見張った。
 一艦を突出させ、敵がそちらに攻め掛かる隙に、残りの戦力もって本体を仕留めるというのは、よくある手だ。もちろん、ガーランドもそれを警戒した。だからギブソンの小隊だけを送ったのだ。
 だが、それは囮を超越した囮だった。同型艦“ワイバーン”の艦載機と合わせ、計九機のモビルスーツを手元に残したガーランドだったが、敵はそれを上回る十一機で仕掛けてきたのである。
 数も練度も上回る相手を前に、彼のモビルスーツ隊はひとたまりもなく壊滅した……。
「本艦も危うくやられるところを、ギブソンがあの二人を戻してくれたおかげで、辛うじて難を逃れた。その直後だよ。彼が自らと引き換えに、囮艦を一人で沈めたのは」
「そうでしたか……」
 捨てるを良しとしたとは言え、相手も易々とやられるつもりはなかっただろう。護衛の一機は相当の手練れであったに違いない。故に、ヘンリーは己一人が残る道を選んだのかもしれなかった。
 そして、その選択は正しかったのだ。この艦はもちろん、モビルスーツ隊も全滅を免れることができたのだから。
 宇宙におけるモビルスーツ運用の経験者は、連邦軍にあってはまだ数が少なく、貴重な存在と言える。その得難い人材を、ヘンリーは遺した。あるいはそれは、何にも勝る最高の戦果かもしれない。
 パウエルは自身の感慨をそのままガーランドに告げた。今はヘンリーの死を惜しむときではない。彼の功績を称え、その意志を継ぐときであると。
 パウエルの偽らざる言葉を耳にしたガーランドは、大きく目を見開いた。疲れの色の濃かった瞳に、次第次第に英気が灯る。やがて、ガーランドは照れたように、ぽつりと言った。
「どうやらだいぶ弱気になっていたようだ。この歳になって、しかもかつての教え子から、ものの見方を教わるとは」
 死それ自体は嘆くことではない。だが、生かせなかった貴い犠牲は、いくら悔いても悔いきれないものだ。
 開戦から既に十一ヶ月。中にはそうした苦い経験もある。それを繰り返さないためにも、先に散った彼らの想いを継いで行かねばならない。そのこと自体が、彼らに対するなによりの供養となるのだから。
 と、卓上のインターカムが高らかに鳴った。ガーランドがワンコールで応答をプッシュするや、壁際のディスプレイに年若い女性オペレータの緊張した顔が映し出される。
「どうした?」
『ウィニペグより入電。「我、敵パトロール艦隊ト交戦。三隻中二隻ヲ撃沈ス。残ル一隻ハ貴艦ノ予定進路方面ヘ逃走。注意サレタシ」以上です』
「そうか……」
 ガーランドは少し考える素振りを見せたものの、
「警戒レベル、一段上げ。艦外で活動中のクルーに即時帰投を指示しろ」
 小気味よく命を下す。
『はっ』
「私もすぐに戻る。三十分で現宙域を離脱すると副長に伝えてくれ」
『了解しました』
 小さな敬礼を残してブラックアウトするモニター。
「そうそう休ませてはくれんようだな」
 言って、ガーランドは立ち上がった。制帽を頭に乗せると、慣れた手つきで位置を決める。
「モビルスーツ隊の編成は君に一任する。あの二人を巧いこと使ってやってくれ」
「了解いたしました」
 同様に席を立ったパウエルもまた、見事な敬礼を決めてみせるのだった。

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