ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

36.交錯する過去

 大きな振動が一つ、格納庫を伝った。デュランの手を離れた拳銃がゆっくりと流れ出す。ミサイルか何かの直撃を受けたのだろう。だがそれも、あの日のものに比べれば穏やかなものだ。
「こうして顔を合わせるのは、何年ぶりかな?」
 銃口を向けるミハイル・ロッコ、いや、ミハイル・カシスは、ごく淡々と口を開いた。
「……十年だ」
 対照的に声を絞り出すデュラン。
「もうそんなになるか。あの日、ここで別れてから」
「まさか、生きていたとはな」
 懐かしむように目を細めるミハイルに、未だ信じられないといった面持ちでデュランが言う。そんな彼をミハイルは鼻で笑うと、
「いや、死んでいたさ。……お前と再び出会うまではな」
 まるで自嘲するかのように、口元を僅かに歪める。
「あの時の隊長の言葉……覚えているな?」
「……ああ、忘れられるものか」
 ミハイルの問いにそう応えつつ、デュランは遠い記憶に思いを馳せる——。

 一年戦争最後の激戦の地となった、ジオン公国軍宇宙要塞ア・バオア・クー。囮役の一隊として、最も苛烈な戦場を駆けた第117モビルスーツ中隊は、別働隊の突入に浮き足立つジオン守備隊の間隙を突いて、Nフィールドより上陸を果たした。
 八方より銃弾の飛び交う中を無事に要塞まで辿り着けたという意味では、確かに彼等は幸運であった。しかし、さらなる死地に足を踏み入れたことを思うと、あるいは不幸の始まりに過ぎなかったのかもしれない。
 D5ハッチ前で敵の待ち伏せにあった彼らは、二機の同僚と随行するボール小隊を失い、孤立した。
『ぐわぁぁぁっ!』
 中隊を指揮するパウエル中尉の悲鳴が無線に響いたのは、後方に伏せていた敵機をデュランとミハイルとで何とか退けた、まさにその瞬間であった。コクピットから炎と共に弾き出されるパウエルの姿が、三人の視界に等しく映る。
「隊長!?」
 それを受け止めるべく腕を伸ばすモニカのガンキャノン。デュラン機がすかさず回り込んでマシンガンを撃ち鳴らす。
「このぉっ!」
 ミハイルはグレネードを投げ込みつつ、通路脇のレバーに取り付いた。吹き飛ばされたモビルスーツの破片が、閉まる鋼鉄の扉の向こうに消える。扉は衝撃で僅かに形を変えたようであったが、それも些細なことだ。
 最も経験豊かな隊の大黒柱が折れたのである。これで残るは若い彼らのみ。不安にならない方がおかしい。気が付けば三人は揃ってコクピットを離れ、負傷したパウエルを囲んでいたのだった。
「なんとも情けない……隊長だったな。俺は」
 それと知ったパウエルは、時折顔を歪めながらも、苦笑して見せた。あるいはそうせざるを得なかったのかもしれない。応急手当をしようとするモニカを押しのけて、彼は身を起こした。
「中尉……!?」
「無駄なことは……するな」
 驚くモニカに厳しい表情を作ると、
「アルバート、現状報告」
 声を絞り出して言う。
「——あ。後方三機の内、二機を撃破。一機の腕を落としました。前方の部隊も、今は沈黙しています。味方は……リー少尉とヤン曹長、それに、ボール部隊がやられました」
「ミハイル、現状で我々が取るべき行動は?」
 部下の死を告げる言葉に、改めて顔を曇らせたものの、それについては何も言わず、視線を移すパウエル。見つめられたミハイルがにわかに姿勢を正す。
「はっ。援護が期待できない以上、敵が再び回り込む前に、速やかに後退すべきと考えます」
「……上出来だ」
 その答えにパウエルは満足そうに頷くと、ようやく表情を和らげた。同時に気力も尽きたらしく、がっくりと体勢を崩す。傍らのモニカが慌てて彼を支えた。
「何をしている。速やかに後退するんじゃないのか?」
 心配顔のモニカを幾分咎める口調のパウエルだったが、すぐに気付いたように頭を振ると、小さく笑って言った。
「……俺のことならいい。どうせもう、助からんのだから。こんな役立たずは放っておいて、さっさと行け」
「そんな……!」
「中尉!?」
「ヨークトンに戻って、手当を受ければまだ……」
「これは隊長命令だ!」
 なおも抗命の態度を示す三人を、パウエルは一喝した。これにはたまらず口をつぐんで姿勢を正す。モニカもまた、彼を静かに横たえさせて立ち上がった。
「……それでいい」
 三人がそれぞれに頷くのを見届けて、パウエルは目を閉じた。何事かを思い出すようにすると、一つ大きく息を吐く。
「ここまで来たんだ。今さら何を恥じる……ことがある。胸を張って生きろ」
「……はい」
 とは、ミハイル。神妙に聞き入るデュランと今にも泣き出しそうなモニカは、何も言えないでいる。しかしパウエルには、そんな彼らの様子など見えていないようであった。
「いいか、三人とも。すぐには……こっちに……来るな」
 パウエルの言葉はもはやうわごとに近い。
「——静かだ。土の薫りがする……。あぁ、あの山並み。お前らにも、一度、見せてやりたかった……よ……」
 それが第117モビルスーツ中隊隊長、パウエル中尉の最後だった。
 モニカに泣き付かれるデュランは、彼女の肩を両手で抱き留めながら、パウエルが死の間際に見た光景が彼の故郷のものだったのだろうと思った。「戦争が終わったら俺の故郷に連れて行ってやる」というのは、生まれ育ったコロニーを家族もろとも失ったデュランとモニカに、生前パウエルがよく言った言葉である。
 胸にグッとこみ上げてくるものを、デュランは必死に押さえねばならなかった——。

「あの時、隊長は言った。死に急ぐな、と」
 亡きパウエルの冥福を祈るべく、しばし目を閉じていたデュランは、やがて静かに口を開いた。だが、その口調とは裏腹に、鋭い視線を眼前に送る。
 見つめられたミハイルが黙したのは、その視線の意味するところに気付いたからだろう。「ああ」と頷いたきり、あとは何も言わない。若干の間を置いて、再び口を開くデュラン。
「それをお前は……」

「ミハイル!?」
 彼の反転に先に気付いたのはモニカだった。今し方通り過ぎた横道の奥に潜む敵機を、センサーが捉えた直後のことである。
 パウエルの亡骸を後に後退を始めた三人であったが、搭乗前に彼の冥福を祈った分だけ、行動が遅れた。D5ハッチで撃退した機体、もしくはその通報を受けた部隊による追撃である可能性は高い。再び回り込まれる前に叩こうというのか。
 いや——。
「止めろ、ミハイル!」
 機を振り向かせざま、デュランは咎めるように叫んだ。オーストラリア出身で人一倍ジオンを憎んでいるミハイルのことだ。恐らくはパウエルの敵討ち、とでもいうのだろう。
『一人では無茶よ!』
 デュランと同じことを感じ取ったのか、モニカの悲痛な声が無線に続く。
 ミハイルのジムを追おうとする二人。だが、不意に起こった爆風と崩れ落ちる岩盤が、その行く手と視界を阻んだ。先行するミハイル機がグレネードをわざと落としていったのである。
「……馬鹿野郎」
 力無くコンソールを叩くデュラン。
『ミハイル。あなたは……』
 涙ぐむモニカの声。いずこより溢れる炎のせいか、それまでセンサーにあったミハイル機の反応はすぐさま途絶した——。

 デュランは大きく息を吐いた。あの時の言いようのない苛立ちを思い出したのだ。奥歯を噛みしめ、再び射るような視線を彼に向ける。
 だが、
「別に死に急いだわけじゃないさ」
 それをさらりと受け流して、ミハイルは言った。
「三人が揃って脱出する方法を俺なりに考えた結果だ。上手くいっただろう?」
「……。ああ」
 これには頷かざるを得ないデュラン。ミハイル機が後方を塞いだおかげで、彼とモニカは行く手を阻む敵機のみを相手にすれば良かったのだから。
「フン……」
 複雑な表情を見せるデュランを鼻で笑うと、ミハイルは彼に銃を向けたまま、コンテナの一つにもたれた。
「ま、無茶をしたことには変わりないか。見事撃墜された結果が、二週間の昏睡生活。看護婦に聞くまでジオンに勝ったことすら知らなかったんだからな、俺は」
 自嘲しながら遠い目を虚空に向けるミハイル。
 彼が目覚めたのは、ア・バオア・クー要塞内に設営された仮設病棟の一室だった。それと判ったのは、ベッドから見上げる天井が岩肌に電灯をぶら下げたものだったからだ。
 一瞬、敵の捕虜にでもなったかと思うミハイルだったが、連邦の軍服を着込んだ看護婦の姿に安堵した。そして、ここに収容されるまでの大まかな経緯と、戦争の終結を知らされたのである。
 あの乱戦の中、友軍に拾われたという運の良さに、ミハイルは亡きパウエルのことを思った。彼が導いてくれたのか、と。
 だが、そんな感傷は微塵も出さずに、ミハイルは続ける。
「諜報部の人間と名乗る男がやってきたのは、それから間もない頃だ」
 ようやく体を起こせるようになった彼に、男は「未だ抵抗を続けるジオン兵を黙らせるために働いてみる気はないか?」と持ちかけた。対テロ特殊工作員としての活動、とのことであったが、男の冷た過ぎる口調に彼はすぐその正体を悟った。
 非合法活動専門の、殺し屋に近い類の存在——。
「正直言って、それを受けるつもりはなかったよ。過去を消し、暗がりでただ人を殺めるだけの人生など、まっぴらだからな。実際、一度は断ったぐらいだ。だが……」
 彼にとって意外だったのは、男があっさり引き下がったことだ。まるでそうなることを予期していたかのように。いや、事実そうだったのだろう。今思うと全てが計算ずくであった、そんな気がする。
「奴は去り際に一言だけ、こう言ったよ」
 忌々しそうに唇を歪めるミハイル。軽く一礼してドアノブに手をかけた男が、思い出したように振り向いて口にしたその言葉を、彼は今でも一言一句、正確に覚えている。

 ——ああ、そうそう。君の同僚だったデュラン曹長とコーレン軍曹のことだが、先日、結婚したそうだよ。

「……ミハイル、俺は」
「フッ、勘違いするなよ」
 複雑な表情を作るデュランを遮って、ミハイルは続けた。
「別にお前にモニカを取られたから裏に消えた、て言うんじゃない。元々モニカはお前のことを……」
 そこまで言って口をつぐむ。ア・バオア・クー戦出撃直前のことを彼は思い浮かべていた。淡くほろ苦い過去の記憶……。
「——ま、いいさ。とにかく俺は、お前達二人の幸せを心から願った。だから奴の誘いに応じて今の仕事に就いた。ジオンの不穏分子共をこの手で一掃するために」
「それでティターンズか」
 デュランが重苦しそうに口を開く。
「ああ。ジオン残党を叩くのに、あれほど都合のいい組織もなかったからな」
 ミハイルはまたもさらりと応えてみせると、
「デラーズの一件で連中の思考の変わらんことが身に染みて解った。奴らは所詮、地球に仇なす存在でしかない。徹底して叩き潰す必要がある。それが理由だ」
 淡々と告げる。デュランは応えない。僅かに吐息を漏らすミハイル。
「だがな、アルバート。誓って言うが、俺は決してスペースノイド全体を憎んじゃいない。お前らのような他のコロニーに住む人々の生活をも脅かす輩を憎んだのさ。俺が闇に葬ってきたのは、そんな宇宙のならず者達だけだ」
「……」
「フン……。信じたくなければそれもいいさ。かく言う俺だって、今のお前を信用できないんだからな」
 なおも沈黙を返すデュランに、彼は一転して険悪な口調で言う。
「お前がエゥーゴなのはいい。バスクは……あれは最低の男だったからな。納得がいかないのはアクシズ艦隊のことだ」
 そこまで言って一息つくと、
「なぜだ、アルバート。なぜお前は、アクシズなどと手を組んだ? 家族を奪い、隊の仲間達を殺したジオン残党共の先頭に立って、よくも戦える」
 拳銃を構え直して睨み据える。銃口が彼の感情そのままに、鈍く冷たい光を放つ。それを見つめるデュランは、ややあって大きく嘆息した。
「……やっぱりお前は、アースノイドだよ」
「何……?」
 怪訝な表情を見せるミハイル。
「なんだかんだ言っても、結局は連邦とジオンという二つの視点でしか物事を見ようとしない。……俺たちがどういう気持ちであの戦争を戦ったか、お前は一度でも真剣に考えたことがあるか?」
 デュランはそれに構わず言った。
「確かにあの時はジオンが憎かった。だから義勇軍に志願した。だが、心の奥では、彼らの掲げた理想に共感もしていた。悪いのは彼らじゃない。ザビ家とその暴走を許した連邦政府だ、と」
 ハッチに向かって歩き、振り向く。
「それが……お前の理由なのか?」
 今度はミハイルが、沈鬱な声で尋ねる番であった。
 デュランがエゥーゴである理由。それはティターンズへの、バスクへの反感からではなかったのか。ジオンと掲げる旗こそ違えど、スペースノイドの自治権確立という大義名分の下に、これまで戦ってきたとでも言うのか。
「——いや」
 そんな彼の思考を知ってか、デュランはやや自嘲気味に頭を振った。
「理想のために戦えるほど、俺は出来た人間じゃない。ティターンズはザビ家と同じことをした。政府はまたもそれを許した。だから戦う。それだけだ」
 そう応える彼は、あえてモニカのことを言わなかった。いや、言いたくなかったのだ。
 かつての仲間であり、恋敵でもあったミハイルを苦しめたくない、という思いも少しはあったかもしれない。だがそれ以上に、言ってしまった後に何をするか判らない自分を恐れた。
 デュランの口から出た言葉は、全てエゥーゴの一般論である。リサの一件以来抑えてはいるものの、ティターンズに対する復讐心が消えたわけではない。
「お前は、俺が……」
 対するミハイルは、わなわなと肩を震わせた。デュランは今、ティターンズが、いや、自分がザビ家と変わらないと言ったのだ。それはミハイルにとって、これ以上ない屈辱である。
 何事か反論しかけるミハイルだったが、ややあって、小さく首を振った。今更何を言ったところで無駄だと悟ったのだ。
「……ああ、そうだな。俺も所詮、アースノイド。お前らの言葉は解らんさ」
 そう突き放すしかない彼の心は虚しい。
「一つ教えろ。モニカとは上手くいってるんだろうな?」
 再び銃を構え直すと、ミハイルは話題を変えた。
「何……?」
「彼女の悲しむ顔は見たくない。戦友のよしみだ。お前がエゥーゴを辞めるんであれば、見逃してやるよ」
 嫌みっぽく言うミハイルであったが、実はそれこそが真に確かめたいことであった。ティターンズとエゥーゴとに分かれたことが判った時点で、デュランとの思想の相違は覚悟していた。だが、モニカが幸せであるならば、それも許そうと決めていたのである。
 これまで意識して二人の消息を調べなかったミハイルだが、再会してしまった以上、それだけは知りたかった。たとえ答えが分かり切っていたとしても。
 しばしそんな彼の様子を窺っていたデュランは、やがて腰のポーチに手を伸ばした。取り出したものにさっと視線を落とすと、無言でそれをミハイルに流しやる。
「……子供がいるのか」
 写真を受け取ったミハイルは、モニカに寄り添われたデュランに抱かれ、無邪気に笑っている子供の姿に目を細めると、どこかほっとしたように呟いた。本心では理由がなんであれ、デュランをこの手に掛けることなど、したくはなかったミハイルである。
 だが、
「裏を……見てみろ」
 そんな彼に告げるデュランの口調は、悲しいまでに暗く、重い。
「……これは。まさか!?」
 写真を裏返すミハイルの瞳が、驚愕に見開かれる。懐かしいモニカの字でそこに書かれた文句。

 サイド1守備隊勤務を祝して。30バンチ中央公園にて。

「——そうだ。あの日ティターンズは、反政府決起集会を潰すというただそれだけのために、二人の居るコロニーにG3を流し込んだ。俺の目の前で。……これがザビ家と同じでなくて、なんだというのだ?」
 写真を手に絶句したままのミハイルに向かい、静かに、だが刺すような瞳で、デュランが問う。しかし、それに対するミハイルの反応は、彼の予期したものとは異なっていた。
「バカな……。モニカが、あそこにいたわけが……。モニカが……」
 と、うわごとのように繰り返し呟くミハイル。それを訝しく思うデュランだったが、ほどなくその理由に思い至った。
「お前……。まさか、あの作戦に……!」
「黙れっ!!」
 瞬間、デュランの足元で弾丸が跳ねた。続けて銃声が二、三、格納庫にこだまする。反射的に顔を覆うデュランだったが、それはいずれも彼に当たることはなかった。顔を上げるデュランの視界に、身を翻すミハイルの背中が映る。
「待て、ミハイル!」
 叫びながら傍らに漂う拳銃を掴んで構えるデュラン。
「貴様がモニカを!」
 だが、今まさに引き金を引こうとした瞬間、モニカの写真が二人の間に割って入った。唯一手元に残った家族の写真である。無意識に腕を伸ばすデュラン。その一瞬の挙動の間に、ミハイルの姿は見えなくなっていた。
「クッ……!」
 呻くデュランは恨めしそうに写真を見つめると、バイザーを閉じて床を蹴った。

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