ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

33.去りゆく者

「何を考えていたんだろうな」
「は?」
「スミス大佐だよ。一度は連中を受け入れながら、土壇場になって裏切った。それもいきなり連中の旗艦を沈めて、だ。免責を狙ったにしても、度が過ぎているとは思わんか?」
 ティターンズの捕虜を乗せた内火艇を顎でしゃくりながら、コスターは言った。武装解除のためコロラドへ赴いていたクラインが、ラ・ホールのブリッジに戻って間もなくのことである。それは居合わせたクルーの誰もが、等しく抱いている疑問でもあった。
 コンペイトウ宙域一帯における戦闘は、ワーノック軍主力艦隊の壊滅をもって終了した。エゥーゴ、アクシズの連合艦隊は、まるで厄介ごとはご免だと言わんばかりの早さでグリプス2方面へと去り、結果、コスター率いる第三次討伐艦隊が事後処理の一切を引き受ける羽目になった。
 コンペイトウ内に残る親ティターンズ派の鎮圧。敗残捕虜の収容。そして、“裏切り者”鎮守府艦隊の武装解除。隕石ミサイルの破壊に比べれば遙かに楽だが、決して楽しい仕事ではない。特に鎮守府艦隊の乗員の処遇が、部隊を統括するコスターでさえ首を傾げたくなるものとくれば、なおさらだ。
 武装解除の後、スミス大佐以下の幕僚の身柄を拘束。他の乗員については現状を維持。それが、軍司令部よりの通達であった。ワーノック軍旗艦シェフィールド撃沈の功をもって、反乱行為の全てを不問に付したも同然だ。
 彼らとの戦闘で現実に戦死者を出している討伐艦隊にしてみれば、面白くない話である。ある程度、手心が加えられるであろうことは予想出来たが、ここまで露骨に免責されると堪ったものではない。
 だいたい、戦闘艦としての機能を失ったシェフィールドを沈める必要があったかさえ、疑問なのだ。ワーノックの身柄を拘束した上で、戦闘放棄を宣言すれば済む話ではないか。それを沈めて手柄にするあたり、免罪を期待する意図があまりに見え透いている。
 コスターは彼の参謀の一人に伴われてラ・ホールに降ってきた時の、スミスの表情を思い出していた。およそ敗軍の将に相応しくない、不可思議な笑み。あれは一体何だったのか。
「ひょっとすると、復讐だったのかもしれませんね」
 クラインがやや躊躇いがちに言った。
「復讐? ウォルター少将のか?」
 予想外の単語に、思わず反復するコスター。
「だが、少将はワーノック軍進駐の前に殺された。どう考えてもスミスの差し金としか思えんが……」
「本当にそうでしょうか?」
 そう答えるクラインの脳裏には、コロラドで目にした光景が映し出されていた。ブリッジに上がった瞬間に飛び込んできた、スミス大佐と敵将、キボンズ少佐のやりとりを。

『ハロルド、貴様、なぜ裏切った!?』
 武装解除の指示で慌ただしいコロラドのブリッジに、スクリーンの向こうでこちらを睨みつける、パイロットスーツ姿の男の怒声が響く。瞬間、作業の手を止めるクルー達であったが、参謀シート上で黙して語らぬスミスの様子に、まるで何事もなかったかのようにそれぞれの仕事を再開する。
 激高する敵パイロットの声と、事務的なオペレーターの声。それらが入り交じる光景は、異様を通り越した不思議な感覚をクラインに与えた。
『答えろ、ハロルド!』
 パイロットスーツの怒声が続く。
『エゥーゴの旗艦は俺が仕留めた。貴様の艦隊とコンペイトウの兵力があれば、連邦の包囲網を破ることなど造作もないはず。それを……』
 歯ぎしりする士官。その頃になってようやく、クラインには男がティターンズ残党軍の参謀、エドガー・キボンズであると判った。
『なぜだ、なぜ沈めた!?』
「……哀れだな、エド」
『なに……?』
 ようやく口を開いたスミス大佐の言葉に、キボンズの表情が不審げに揺れる。
「ティターンズが再び覇権を握れるなどと、本気で思っていたのか」
『何……!』
「貴様らの時代は終わったんだよ。一年前、主力艦隊がグリプスに散った、あのときに」
 鼻で笑い、モニターのキボンズを憐れむように見上げるスミス。
「貴様を受け入れたのは、それが紛争終結の近道だと思ったからだ。いかに実戦慣れしているとはいえ、一つ所に集めてしまえば袋の鼠だからな。そこを内部から叩けばどうなるか」
『……!?』
「討伐艦隊と戦って見せたのも、貴様らを油断させる為だ。グリプス2の兆候は作戦前に掴んでいたからな。……混乱に乗じて矛先を転じようと画策したが、エゥーゴが頑張ってくれたおかげで徒労に終わったよ」
『待て、ハロルド! まだ答えを聞いていない!』
 嘲笑と共に通信を終えようとするスミスに、形相も激しくキボンズが問う。
『なぜ、沈めたのだ?』
「——貴様と、同じ事をしたまでだ」
 静かに、だが鋭く、スミスの返答がブリッジに響く。そしてコロラドのメインスクリーンは、目を見開くキボンズの姿を最後に元の静寂を取り戻した——。

 僅か五隻となった友軍艦艇を率いるイスマイリアの足取りは重い。エンジン付近の損傷激しく、推力の上がらない艦艇に速度を合わせているためなのだが、まるで彼等の、ティターンズ残党兵の心情を表しているかのようだ。敵艦隊旗艦アイリッシュを沈めたフェンリルも、今はイスマイリアのカタパルトデッキ上に力無く佇んでいる。
「これ以上の戦いは無意味ではないのか?」
 艦隊の主要将校による会議の席上、重苦しい沈黙を破ったのは、イスマイリア艦長ダグラス・クラント少佐の一言だった。新旗艦艦長をしてのストレートな物言いに、思わず色めき立つ参謀達であったが、あえて異を唱えなかったのは、彼らも本心では同じ思いであったからに他ならない。
 彼らは一様に、参謀長とも言うべきエドガー・キボンズ少佐の反応を待った。だが、クレイブ・ワーノック大佐亡き今、事実上の統率者となった彼は、腕を組んだまま黙して何も語らない。再び重苦しい静寂がその場を支配する。
 ワーノックの死は、ティターンズ残党軍の将校にとって大きな痛手であった。地球至上主義の下に結集した兵士と言えば聞こえは良いが、行くあてのないままに居残った輩も多いのである。
 ワーノックという求心力を失った今、配下の兵士がどこまで戦えるのか。実際、エゥーゴ、アクシズ連合軍の包囲網を突破しながら、今もって連絡のない部隊もあるのだ。
「ロッコ大尉、君はどう思う?」
 不意にキボンズが口を開いた。おや? という感じで彼を見やるクラント。いや、彼だけではない。キボンズとミハイル・ロッコが犬猿の仲であることは、クラントならずとも知っている。誰もが半ば好奇の目で、ロッコの答えに注目した。
「艦長の言うとおりだろう。が、エゥーゴがそれを許すか?」
 彼の答えは拍子抜けするほどあっさりしたものである。しかし、問いかけたキボンズとロッコの傍らで頷くダンケル・クーパ中尉の他は、一様に冷水を浴びせられたような表情を作るのだった。
 ロッコの言う「それ」とは、即ち降伏のことだ。勝てる見込みがない以上、降伏するのがもっともスマートな終わらせ方であると言えた。しかし、である。
「受け入れないだろうな」
 一呼吸おいてクーパが続ける。そう。相手が承知しなければ、降伏もなにもないのだ。
 残党軍に身をやつして以降、幾度となくエゥーゴと刃を交えてきた彼らであるが、その結末は常に二つ。殲滅するか、されるかでしかない。
「敵艦隊の動きは?」
 参謀の一人にキボンズは尋ねた。
「現在の所、目立った追撃はありません。ですが」
「時間の問題、ということか」
「はっ……」
「要するに、戦い続けるしかないと言うわけだ」
 どこか済まなさそうな参謀とは裏腹に、キボンズは鼻で一つ笑うと、
「我が艦隊はワーノック閣下の遺命に順い、ゼダンにて迎撃戦を展開する。負傷兵等、戦闘継続不能な者については、クロズヌイに移送。近在の新政府軍に対し投降を試みる。以上、異議のある者は?」
 言いながら一同を見渡す。むろん、異議など無いのは承知の上である。
 一通りの反応を待つ間、キボンズは改めてロッコを見直す気になっていた。物事の本質がよく見えているのである。そう思わせたのは、皮肉にも盟友スミスの裏切りであった。
 ティターンズを復興すべく、いわば盲目的に邁進してきたキボンズは、スミスの裏切りの真相に衝撃を受けて初めて、大局を見通す事が出来た。そして、自らの志が単なる夢物語に過ぎないことを知ったのである。大衆の支持を失った組織に未来はない、と。
 コンペイトウ制圧の協力を取り付けた際に見た、スミスの哀しげな瞳を、彼は今さらのように思い出していた。
(あのときハロルドは、俺の甘さに同情した。先が見えていたにも関わらず、友として応えてくれた。それなのに俺は、拠点制圧の功にのぼせ上がり、あいつの敬愛するウォルター少将を殺した。俺は、他ならぬ俺自身の手で、かけがえのない友を失ってしまった……)
 それは、悔やんでも悔やみきれないことだ。
(ロッコのような冷静さが、せめて半分でも俺にあったならな)
 常に組織を離れた単独行動を好んできた男、ミハイル・ロッコ。ワーノック軍というものの無意味さに、恐らく気付いていたであろう彼は、大義名分のためではなく、単純に己の意地だけをかけて戦ってきた。誰を巻き込むまでもなく、ただ自分が後悔しないために。
 そんなロッコだからこそ、ワーノックも彼を重用したのだろう。なぜなら、ワーノックはそれら意地の解決のために事を起こしたのだから。ワーノックの秘めたる想いに、キボンズはようやく気付いていた。
(閣下、私は……)
 亡きワーノックに語りかけるキボンズ。存命中は不審に思えたワーノックの行動が、今は明確な意味を持って脳裏に甦る。その意図に気付こうともしなかった私は、なんと愚かな男だったのだろうか。
 そんなキボンズを見つめるロッコは、だが、冷ややかだった。潜入工作の経験もある彼にとって、キボンズのような男の思考を知ることは容易である。意見を聞かれたというその一事で、キボンズが何を考えているか手に取るように解る。
 ロッコが冷ややかなのは、キボンズが思い違いをしていると知ったからだ。確かにロッコは、ワーノックがティターンズの復権に本腰を入れるつもりがないことに、早い段階から気付いていた。しかし彼にとっては、それもまたどうでも良い事象の一つに過ぎない。
 彼がワーノック軍という組織に留まったのは、それが地球圏のためになると考えたからである。グリプス紛争中からエゥーゴ内部にアクシズの反ハマーン派と組む動きがあることを掴んでいたロッコは、その力を削ぐべく、エゥーゴと戦い続けてきたのだ。
 その意味で彼はワーノック軍に存在意義を見いだしている。単独行動を好んだのは、単にそれを好いていただけだ。パイロットとしての欲求を満たしたいが為に。
 だがその結果、ロッコはアルバート・デュランというかつての戦友と、宿敵として戦わねばならないのである。
(なぜだ、アルバート)
 帰還してからもう何度目ともしれない言葉をロッコは胸中に漏らした。ジオンのコロニー潰しで家族を奪われながら、なぜジオンの末裔と手を組めるのか。ロッコには理解できない。
(返答次第では、いかなお前であっても……)
 卓上で組んだ拳に力がこもる。
「では、これにて散会する。各自部署に戻れ」
 ロッコの思考をよそに、キボンズは立った。そして、誰を構うでもなくブリッジへと向かう。彼は既に別のことを考えていた。自身の意地についてである。
(時代はエゥーゴに味方した。大衆が望んだ結果であれば、それもいいだろう。だが、俺は奴らを認めない。どうせ滅ぶなら、一人でも多く道連れにしてやる)
 それは、亡きワーノックの意向そのものである。相反する思想を掲げてはいるが、共に連邦へは戻れぬ者同士。揃って滅びるのが筋だ、と。
「ふっ……。未練だな」
 そこまで思考を展開したところで、キボンズは頭を振った。この期に及んでエゥーゴを認めるも認めないもないだろう。
 我々は間違いなく負ける。だが、逃げ延びることは許されない。ならば、何のために戦うのか。敗れ行く者のあがきか。いや、そうではあるまい。
(敬愛する閣下を失い、唯一信頼できる友とも決別した今、俺に残されたのはパイロットとしての誇りのみ……)
 瞳に新たな決意を漲らせるキボンズ。
「——ガンダム、お前はこの手で倒す」

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