ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

29.回頭

 直径六キロにも及ぶ巨砲、グリプスツー。かつて一年戦争の折り、ア・バオア・クー会戦において連邦軍主力艦隊を薙ぎ払った“ソーラ・レイ”と原理を同じくするその兵器は、一年戦争終結後、連邦軍から派生したティターンズの手によって、スペースノイドを恫喝するために建造された。一撃でコロニーをも砕く、悪夢のような兵器である。
 もっともそれは、スペースノイドにとっての悪夢に終わらなかった。なぜなら、グリプス2を生み出したティターンズは、その巨砲の咆哮に呑み込まれて壊滅したのだから。
 変遷の末にエゥーゴの手中へと落ちたグリプス2は、ティターンズ主力艦隊に牙を剥いた。射線軸上にあった艦艇の殆どが、宇宙を迸る光芒に包まれ、消失した。
 エゥーゴとティターンズ。連邦軍を二分しての抗争に終止符を打ったグリプス2は、そのまま勝利者であるエゥーゴの管理下に置かれた。痛みが激しく、直ちに兵器として稼働できる状態にはなかったが、第三勢力のハマーン・カーンに利用されるのを恐れたのだ。
 カムフラージュのため、廃棄コロニー群の浮かぶ暗礁宙域へと移動されたグリプス2には、警護部隊が常駐することとなった。その威力故に、戦力の疲弊著しいエゥーゴといえども、貴重な艦艇を割くことは厭わなかったのである。
 当初その任に付いたのは、他ならぬカーター麾下の艦艇であった。だが今は、当時敵対していたアクシズの艦隊と共に、グリプス2の脇に控えている。
「隕石ミサイル群の八割以上の消滅を確認。グリプス2、第二射まであと十分」
「討伐艦隊の動きはどうか?」
「残存ミサイルの掃討にかかりつつあります。鎮守府艦隊は暗礁宙域方面へ後退」
「順調だな」
 マニティ艦長と若いオペレーターのやりとりを聞くカーターは、言いながらグリプスへと目を転じた。とはいっても、相手はコロニーを改造して作られた代物だ。全容が望めるわけもなく、視界にはただ外壁が続くばかりである。
「……再び、これに助けられるか」
 その所々外装の剥げた壁を見つめるカーターは、人知れずこぼした。思えばティターンズ主力艦隊との決戦の直前、落下する小惑星“アクシズ”の脅威から月を救ったのも、眼前のこの巨砲であった。
「悪夢が切り札というのも、皮肉といえば皮肉ですね」
 彼の呟きが聞こえたのか、マニティ艦長が傍らで笑った。カーターもまた、小さく笑い返すと、
「連中にとってはなおさらだろう」
 正面の宙域を顎でしゃくる。もちろん、コンペイトウのワーノック艦隊を指してのことだ。
「出来れば共に沈めたかったところですが……」
「そうも行くまい」
「発射角、調整しますか?」
 若いオペレーターが振り向いた。敵艦隊を射程に含めるか、ということだろう。カーターは首を横にも縦にも振らず、
「今の我々に課せられた使命はなにかね?」
 と、逆に尋ねた。
「それは……敵、隕石ミサイル群の破壊です」
「うむ。欲は禁物だな」
「グリプス2、発射角このまま。各艦はモビルスーツ隊を展開。敵の来襲に備えよ」
 カーターの言葉を継いでマニティが指示を出す。鳴り響く警報と共に次々と放たれるモビルスーツ。
 グリプス2を護衛するエゥーゴ軍は、右翼に旗艦アイリッシュ以下、第一艦隊を中核とする部隊を。左翼に重巡テブレツェンを始めとする元アクシズの艦隊を配していた。後方には、それぞれに属する補給艦隊とその護衛艦。新鋭の軽空母フェイルシャークも、艦載機の展開が済み次第、後方へと下がることになる。
 その他、グリプス戦役で発電ミラーを失ったグリプス2の電力をまかなうべく、地球衛星軌道から奪取した二基の発電衛星を護る部隊があった。だが、それらのどこを見渡しても、アクシズ艦隊の誇る巨艦、グワラルの姿はない。
「——そろそろだな」
「はい……」
「グリプス2、発射まであと七分」
 カウントダウンの声は静かに、だが確実に時を刻んで行く。

「……まさか、グリプスを持ち出すとはな」
 コンペイトウの吐き出す流星に揉まれるシェフィールドで、ワーノックは呆然とそう口にすると、シートに深く身を沈めた。グリプス2、その運命の皮肉を想いながら。
 対スペースノイド鎮圧兵器、暗号名“グリプスツー”。エゥーゴのジャブロー降下作戦と前後して、ティターンズ内部資料に何気なく表れる一文だが、その実体はコロニーレーザーという核にも勝る代物であった。
 一年戦争の折り、ア・バオア・クー会戦において連邦軍主力艦隊を一閃の下に消し去ったジオンの最終兵器、ソーラ・レイ。その圧倒的な破壊力を、スペースノイドへの恫喝に用いたのである。
 だが、恫喝は反発を生み、紆余曲折を経てエゥーゴの手に渡ったグリプス2は、生みの親たるティターンズを瓦解させた。あれから一年。ティターンズの末裔たる我らをも、同様に討ち払おうというのか。
 ワーノックは扼腕した。ティターンズとエゥーゴ、双方が消耗して終わるというのが、彼の描いたシナリオである。だからグラナダへの隕石攻撃を餌に、このコンペイトウでエゥーゴの艦隊を待ち受けたのだ。
(それを、一方的にやられろと言うのか……!)
「第二陣の点火はどうなっているか!」
 シモンズ艦長の怒声が響く。
「そ、それが、先ほどから応答がなく……」
「なに?」
 部下の報告に訝しげな表情を作るシモンズ。ワーノックもまた、探るような視線を右手に向ける。点火作業を指揮する巡洋艦バスラの遊弋する宙域に。
 無論、肉眼で判別できる距離ではない。だが彼の目は、そこで起こりつつある異変をいち早く捉えたのだった。
「——あの光?」
「バスラ、撃沈されました!」
 ワーノックの目の良さは、彼が気付いた直後に裏付けられた。彼方から飛来した一条のビームに融合炉を貫かれ、バスラは瞬時に宇宙の藻屑と化したのだ。
「別働隊……。何隻か?」
「数は四、いえ、五隻!」
「艦種は?」
「グワダン級一、その他四、アクシズ艦隊です!!」
 オペレーターの声は半ば悲鳴である。シェフィールドの艦橋を、絶望にも似た空気が広がっていった。

「フフ……。他愛のないものだ」
 アクシズ艦隊旗艦、グワダン級戦艦グワラル。宇宙艦艇史に燦然とその名を轟かせた巨艦を治めるユーリ・ハスラー少将は、沈み行く敵艦の光を前に笑みをこぼした。主砲によるただ一度の砲撃が生んだ戦果である。
「ここまで近づけましたからなぁ。それに、向こうとは出力も違います」
 傍らに立つ初老の艦長、バーナム大佐もまた、同じように笑みを浮かべながら応えた。ハスラーもそうなのだが、呆れたことにノーマルスーツを着ていない。だが、それを不思議と思わせないだけのゆとりが、グワラルの艦橋にはあった。
 両舷を後方よりビームが伸びる。いずれも、グワラルに付き従うムサイ級四隻によるのものだ。若干の間があって、前方に二つの火球が咲いた。
「残りのサラミス級二艦、撃沈しました」
「ん……。モビルスーツ隊、順次発進。ダミーの除去も同時にな?」
「はっ」
 ダミーというのは、岩やモビルスーツを模した風船のことである。いわゆる目くらましのための道具だが、ミノフスキー粒子撒布下にあってはセンサーの類が往々にして無力化することもあって、これらは前世紀以上に有効に作用した。
 グワラル以下のアクシズ艦隊主力艦艇は、そのダミーを全身に被って、今し方沈めたティターンズの艦艇に忍び寄ったのである。
 だが、これに気付かなかったティターンズ甲板員を責めるのは酷というものだ。単に艦を隠すだけならともかく、艦隊行動を取りつつ自然に移動して見せるなど、そう簡単に出来るものではない。
 グワラルの艦橋を満たす奇妙なゆとりは、それをやってのけた自信の現れかもしれなかった。少なくとも、ハスラーが上機嫌である理由の一つはそこにある。
「久方ぶりの戦だが、腕は落ちてないようだな。兵の士気も高い」
「当然でありましょう。何せこの戦いは、エゥーゴになった我々の初陣でありますから」
「そうであったな」
 バーナム艦長の冗談めかした言葉に、愉快げに頷いてみせるハスラー。
 この戦いはなるほど、ネオ・ジオンを称した本軍と袂を分かって以来初めての、戦闘らしい戦闘である。それを初陣と言うあたり、いつになく昂揚している彼らの内面をも表すようで面白い。
「時に艦長、新しい制服の着心地はどうかね?」
「海衛隊時代を思い出しますな」
 薄いブルー地の制服を撫でながら、バーナムは言った。海衛隊というのは、サイド3がジオン公国を名乗る以前から存在し、公国宇宙軍の前身となった自治防衛艦隊のことである。
 エゥーゴ参加に先立って、グワラル以下のアクシズ艦隊は艦員の制服を刷新した。ネオ・ジオンの制服を嫌い、旧公国時代のものを使い続けていたために古びていた、というのがその直接の理由だ。同時に、旧きジオンを捨てるという意思表示の意味合いもある。
 もっともこの制服は、再編が進みつつある本軍から提供されたものであった。それは即ち、本軍もザビ家と決別したことを意味するが、ハスラーらに今更戻る意志はない。
「海衛隊か……。もう、あの頃のようには行かんのだな」
 そう呟くハスラーの声は、どこか寂しげである。
 サイド3が独立を宣言した当時、世間はスペースノイドの自治権確立を目指す気概に溢れていた。ジオン・ダイクンの掲げた理想を叶えるために、彼らは進んで新国家建設に参加した。ザビ家が一党独裁体制を敷いてもなお、彼の国に留まったのは、そのザビ家の元でも大政を変えられると信じたからである。
 だが、ザビ家のジオンは政権抗争の末に連邦に敗れ、その意志を継ぐべく立ち上がったネオ・ジオンも、血統を巡る対立が元で瓦解した。激戦の果てに得られたものは何もない。
 今そのジオンは、第三の指導者を迎えようとしていた。彼の名はシャア・アズナブル。スペースノイドの理想を掲げながら、凶弾の前に志し半ばにして倒れたジオン・ダイクンの息子、キャスバル・ダイクンその人である。
 しかしハスラーは、そのキャスバル率いる新生ネオ・ジオンの誘いを断った。二度に渡る内部崩壊を目の当たりにして嫌気が差していた、というのもある。だがそれ以上に、会見の場に臨んだキャスバルに、自治権を勝ち取ろうとする気概が感じられなかったのだ。
 理想を建前のみに終わらせる戦争など願い下げである。故にハスラーは、同様に誘いを蹴ったエゥーゴ部隊と手を組み、全スペースノイドの敵、ティターンズの撲滅に心血を注ごうとしている。
 それこそが、スペースノイドの自由を守る軍隊の責務と信じて。
「過去二度に渡る戦争を繰り広げながら、我々は何も変えることが出来なかった。所詮、理想は理想でしかないのかもしれん。だが……」
 いったん言葉を区切ると、正面を見据えるハスラー。
「せめて連中の始末だけでも、我々の手でつけねばな。遠き日の誓いを忘れぬ為にも」
「はっ。海衛隊の名誉に懸けて」
 姿勢を正すバーナムに合わせるように、オペレーターの声が飛ぶ。
「グリプス2、発射まであと五分!」

 再びシェフィールド。
「アクシズ艦隊周辺に多数の光点を確認。モビルスーツ隊を出したものと思われます」
「手当はどうなっているか?」
「現在、第5戦隊が急行中」
「左翼の隊、保ちません!」
「フェンリルは?」
「イスマイリアです。補給完了まで五分」
「熱源、来ます!」
 もう何度目ともしれないビームが舷側をかすめ、ブリッジを支配する喧噪が一瞬どよめきに変わる。が、彼らを束ねるワーノックは、腕を組み、目を閉じたままそれに動じる気配もない。
 状況は最悪である。左翼にエゥーゴ、右翼にアクシズ。正面には、今は生き残った隕石ミサイルの処理に忙殺されているが、連邦艦隊が構えている。コンペイトウを背にするワーノック艦隊は、半ば包囲されつつあった。
 自軍の解散を願うワーノックにとっては、なるほど、好都合であるかもしれない。だが、彼は思うのだった。
(——このまま、ジオンに滅ぼされるか?)
 共に舞台を去る心づもりであったエゥーゴが、グリプス2を持ち出した。結果、ティターンズだけが歴史から姿を消そうとしている。それはいい。時勢がいまだエゥーゴに大きく傾いている、ということなのだろうから。
 だが、アクシズ艦隊はどうか。彼らは連邦ではなく異端である。そして、ティターンズとは本来、彼らを掃討するために作られた組織だ。そのティターンズの意志を継ぐ艦隊が、掃討すべき相手と一戦も交えることなく、むざむざやられて良いものか……。
「ふっ……。良いわけがあるまい」
 ワーノックはおもむろに立ち上がった。自軍の行く末を見つめ、解散を決意したとは言っても、ティターンズとしての誇りまで捨てたわけではない。
「艦隊、右九〇度回頭! 我が主力の総力をもって、アクシズ艦隊を撃つ」
 聞く者の腹の底まで響く声で、彼は命じた。
「し、しかし、それでは左翼の隊を見殺しに!」
 シモンズ中佐が慌てて抗議の声を上げる。それは、戦闘指揮官として当然の反応であろう。だが、そんな艦長を手で制すと、
「エゥーゴを迎撃中の各部隊は、コンペイトウの同志と共にこれを突破、ゼダンへ向かえ」
 ワーノックは続けるのであった。シモンズの顔色が変わる。
「……コンペイトウを放棄するのでありますか?」
「籠城したところで、援軍が来るわけでもあるまい?」
「はっ、それは……」
「形勢を立て直す。各部隊への伝達急げ」
 沈黙するシモンズに、ワーノックは言った。嘘である。アクシズ艦隊を抜けられるとは思っていない。
(——同じやられるのなら、せめてジオンと刺し違えたいものだ)
 実に三度に及ぶコロニー落としで地球を汚したジオンの残党、アクシズ。彼らを討ってこそのティターンズだ。
「……了解しました」
 ややあってから、シモンズ艦長は復唱した。彼がワーノックの心の内に気付いたかどうかは判らない。だが、部下に指示を出す横顔には、どこか悲壮とも取れる覚悟が伺えた。
 軽い振動と共に、向きを変えはじめるシェフィールド。この回頭が彼らの命を救うことになろうとは、誰も予想だにしない。

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