ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

22.怒りと自責の間で

 コンペイトウの裏側。一年戦争以来の残骸ゴミがもっとも多く漂う空間、暗礁宙域。遺体の破片からコロニーの構造材まで、大小様々の戦争廃棄物が所狭しと漂うそこは、物理的にも心理的にも“魔の宙域”と呼ばれて畏怖されている。
 探照波が乱反射するため、センサーの類はまるで役に立たず、そこを抜けるにはもっぱら目視に頼らなければならない。だが、一つ舵取りを誤れば、戦艦でさえ簡単にデブリの仲間入りをしてしまうような、危険な場所だ。未だに熱反応を有する残骸も多く、船乗り達は死者の幻惑を恐れ、好んで近付こうとはしなかった。
 カージガン以下の残存艦艇は、その魔の宙域をコンペイトウとの間に挟んだ位置で、つかの間、羽を休めていた。激戦を生き延びたのは、カージガン、リバプール、アクシズ軍デブレツェンの三艦のみ。別行動中の第二艦隊から派遣された重巡ドーバーが合流していたものの、前述の三艦はそれぞれに傷ついており、戦力的に非力な感は否めない。
 このような状況下にあって、簡易ドッグ艦ミスロォウとランデブーできたのは、せめてもの慰めであった。ドッキングアームを伸ばし、カージガンの傍らにぶら下がる様はユーモラスであり、頼もしくも見える。
 だが、カージガンのハンガーデッキには、依然として重々しい空気が満ちていた。ジョン・フレディ中尉、トニー・ヘルマー軍曹の乗機を始め、艦載機のおよそ三分の一が戻らなかったからだ。それでいてモビルスーツの数が増えているのは、沈んだ僚艦の機体を収容したためである。
「手の空いた者から負傷者の移送を手伝え! 補給物資の積み込みは、アナハイムの人間に任せておけばいい!」
「チーフ、損傷の激しい機体の処置は」
「使える物だけ外して放り出せっ!」
 チーフメカニック、イ・フェチャンの罵声がハンガーに響く。
 グラナダを発進した第一艦隊より、「負傷兵を戦艦リバプールに移し、速やかに合流ポイントへ移動せよ」との命が届けられたのは、つい十分ほど前のこと。人手が圧倒的に足らない状況下では、メカニッククルーも補給物資の積み込み作業を一時中断して、負傷兵の移送を手伝うのである。
 むろん、物資の積み込みも重要である。が、幸いにもミスロォウは自航式のドック艦だ。補給は移動しながらでもできる。故に、負傷兵の移送作業が最優先とされたのだ。
 とは言うものの、ハンガーの整理も早々に済ませておく必要があった。収容した機体の数が増えた分、ハンガー内の余剰スペースは減っている。補給物資の搬入導線を確保すべく、目に付く隙間に損壊した機体を押し込んでいるような状態だ。このまま戦闘にでもなれば、目も当てられない状況になるのは明らか。せめて出撃の邪魔にならない程度には、片付けておく必要がある。
「……ったく、聞く暇があったら行動しろ!」
 丸眼鏡の整備班長は、ありったけの癇癪をぶちまけていた。
 一方、ハンガーデッキとエアロックを隔てて隣接するブリーフィングルームは、喧噪とは無縁の静寂に包まれていた。作戦計画を示す士官の声だけが、淡々と刻まれる。
「——これが、本作戦の概要である。パイロット諸氏には、作戦開始までの三十六時間、交互に英気を養って貰いたい。以上だ」
「解散!」
 五体満足な全てのパイロットを集めての打ち合わせは、パレット少尉の短い言葉で締めくくられた。三々五々、自室へ、あるいは母艦へと、足取りも重く引き上げるパイロット達。退室する彼らは皆、一様に無言だ。
 先だっての戦闘では、第三艦隊に所属するパイロットの実に半数近くが帰らぬ人となった。撃墜されたばかりではない。何とか艦に辿り着いたものの、負傷が元でほどなく息を引き取った者も多かった。
 とは言え彼らは職業軍人。作戦行動中ともなれば、同僚の死を悲しんでも、それに浸ることは許されなかった。次なる戦いに向け、万全の状態を整えることが、彼らに課せられた最重要の務め。
 が、リサ・フェレル、フィル・ホーガンの若い二人は、拳を固く握り締めたまま、すぐに立ち去ろうとはしないのであった。
「大尉、あれだけなんですか」
「ん……?」
 パレット少尉と最終の確認を行っていたデュランは、フィルの問いに不審顔で振り向いた。ややあって、ようやく気付いたように言葉を返す。
「それは、トニーのことを言っているのか?」
「はい」
「彼のことは残念だったが、感傷に浸っている暇はないな」
「そんな!」
「大尉は悲しくないんですか!?」
 耳を疑うリサを押し退けるようにして、フィルは怒りも露わにデュランへと食ってかかる。が、
「我々は作戦行動中だ」
 デュランはにべもなく応じるのだった。
 ブリーフィングに先立って、彼らは死んだ同僚に一分間の黙祷を捧げた。それが、戦場におけるせめてもの慰めである。だが、若く経験も浅い二人にとって、それだけでは納得がいかないのだろう。
 憤りに溢れた瞳で見上げる二人を、デュランは無表情に見つめた。気持ちは解らないではない。人として当然の反応ではあろう。だが——。
「下手な感傷は、己の身を滅ぼすだけだぞ」
 このあとも同様の修羅場が続くことを思うと、デュランの口から出る言葉は自然と辛辣なものになる。直後、彼は頬に痛みを感じていた。
 デュランの意志とは無関係に流れた視界に、つい今し方まで手にしていたファイルの散らばる様が映る。彼の体は、椅子を飛ばして背後の壁に叩きつけられていた。
「フィル!」
「大尉は……大尉は何も感じないんですか!? あんなに人が死んだのに!」
「これは戦争だからな」
「そんな理屈!」
「フィル、やめて!!」
 再び殴りかかろうとするフィル。横から抱きつくようにして、それを必死に止めようとするリサ。
「放せよリサ!」
 そんな彼女を引きずるようにしてもがきながら、フィルが叫ぶ。
「どうせ大尉には、僕たちの気持ちなんか解るわけないんだ! 家族のいる大尉には——」
「いい加減になさいっ!」
 力任せにリサをふりほどいたフィルの頬を、パレットの平手が打った。響き渡る甲高い音に、リサの視線が驚愕と共にパレットを見る。フィルもまた、打たれた頬に手を当てながら、呆然と彼女を見上げるのであった。
「大尉はあなたのことを思って言っているのよ。それをあなたは」
(どうして……!?)
 パレットと死んだフレディとの関係は、艦内では知らぬ者がないほど有名だった。悲しみの度合いから言えば、自分達よりずっと上のはずだ。そんなパレットが、自分の憤りを窘めている。怒りに駆られた自分を叱っている。フィルは混乱し、身を翻して駆け出していた。
「待ちなさい!」
 ブリーフィングルームを飛び出すフィルを追いかけ、捕まえようとするパレットだったが、それを引き留めたのは他ならぬデュランだった。
「いいんだ、少尉」
 フィルを追って出ていくリサの背を見ながら、デュランは言った。
「同僚の死に顔色一つ変えられない私は、殴られて当然だろう」
「大尉……」
「昔なじみのフレディが死んだにもかかわらず、平然と次を考えている。……薄情な男だな」
 自嘲気味のデュランに、パレットは憐れむような視線を向ける。
 デュランの身にかつて起こった出来事を、彼女は知っていた。容易に拭い去る事の出来ない、辛すぎる過去を。でなければ、デュランの今の言葉を聞いた瞬間に、パレットは彼をぶっていたかもしれない。
 表面上は平静を装っているが、フレディの死が堪えていないわけはないのだ。
「そう思われるのでしたら……」
 パレットはデュランにもたれ掛かった。
「せめてしばらくの間、こうさせて下さい」
 言いながら、デュランの腕に体を預けるパレット。ほどなく、彼女の頬を涙が伝った。

「畜生っ!」
「フィル……」
 食堂でフィルに追い付いたリサは、拳を壁に打ち続ける彼の様子に、かける言葉がなかった。
 フィルの悔しさも憤りも、リサにはよく解る。だが、彼を慰めようと思うほどに、自分が悪者になるような気がして、二の足を踏んでしまう。
 自分の避けた弾に当たって死んだフレディ。その事実は、彼女の心に大きな傷を残した。故にだろうか。仲間の死を自らの過失のように悔やみ、苦悩するフィルの姿を見ていると、いくらか心が軽くなるような感じがしてしまうのだ。
 リサはそんな自分に嫌悪感を覚える。
 先程のデュランに対する心情にしても、フィルのそれとは大きく違う。リサにフィルのような純粋な怒りはない。表面上はデュランの物言いを薄情だと憤りつつも、彼を慕う者として、心の奥底では互いの無事を喜んでいた。なんて身勝手なんだろう……。
 知らぬ間に、自己嫌悪の淵へと落ち込んでいくリサ。
「二人とも、なんて面してる」
 艦内の巡察途中で食堂に立ち寄ったステファンが、苦笑混じりに声を掛けたのも無理はなかった。内実はどうであれ、若い男女が揃って暗く俯く様を見れば、何事かと勘ぐりたくなる。
 もっとも、大方の理由は想像が付くのだろう。顔を上げて視線を寄越す二人に小さく嘆息すると、ステファンはやや皮肉を込めて言った。
「また自惚れか? フィル」
 あれはワーノック軍の猛攻をどうにか退け、カージガンへと帰還した直後のこと、フィルの直接の上官であるバーンズは、トニーの死に己を責める彼を拳で殴った。戦場での生き死には所詮、時の運。それを自分一人のせいにするのは自惚れに過ぎない、と。
 むろん、そのことは艦長であるステファンの耳にも届いている。故の言葉だ。
「そんなこと……」
 フィルは小さく答えた。が、一度殴られたくらいで理解できるほど、単純なことではない。むしろ自分の思考をズバリ言い当てられ、首のすくむ思いである。だから咄嗟に、
「ただ、大尉に納得いかないだけです」
 と、フィルは続けた。
「大尉に? 何が」
「一回の戦闘で、あんなに大勢の仲間が死んだんですよ? もっと言いようがあるじゃないですか。それなのに、大尉は冷酷で、悲しむ事もしないで……」
「お前、大尉の何を知ってるんだ?」
 不意にドスを利かせた声で、ステファンが言った。両腕を組み、眼光も鋭くフィルを睨む。その異様な迫力に、途中で口を噤んだフィルはもちろん、傍らで見守っていたリサまでもが、引き込まれるように彼を見る。ステファンとまともに視線を合わせた格好の二人は、彼の眼力に射貫かれ、揃って萎縮した。
 ステファンはしばし無言で彼らを見据えていたが、二人の探るような目の動きに気付いて、僅かに表情を和らげる。
「……そうか、何も聞いていないのか」
 そう呟いて、一つ深く、ため息を吐いた。「ま、触れて回る類の話でもないからな」と続けて歩み寄る。
「あいつの下で働く以上、二人には知っておく権利と義務がある。アルバートがエゥーゴに参加した、本当の理由わけを」
「え?」
「本当の理由?」
 我知らず反復するリサ。本当の、とはどういうことか。スペースノイド系連邦軍人として、ティターンズを生んだ軍の組織に疑問を覚えたからではなかいのか。
 そんなリサの思考をよそに、ステファンは手近な椅子を引き出して腰を下ろすと、
「もう四年も前になるか。——30バンチ事件。あれが、アルバートの運命を狂わせた」
 静かに語り始めるのだった。

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