ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

7.ゼダンの傘で

『止めろ! ミハイル!』
『一人では無茶よ!!』
 同僚の声がヘルメット内に響く。だがそれも、背後で起きた爆発にかき消された。僚機の姿がガレキの山で見えなくなる。
「二人とも、生き延びてくれよ……」
 彼は呟くと、フットペダルをさらに踏み込んだ。ジムが機体をきしませながら再加速する。前にはグリーンの06ザク。彼は迷わず、乗機にサーベルを抜かせた。
「うおぉぉぉぉっ!」
 気合いと共に払われるジムのビームサーベルが、抜けざまにザクを腹から両断する。
「次っ!」
 間髪入れずライフルが火を噴く。通路の陰から火線を敷く05が、14が、次々と銃火に撃たれて沈黙する。が、それでもなかなか数は減らない。矢のように突き進むジムの行く手を、多種多様なジオンのモビルスーツが迎え撃つ。
 その内の一つが、ライフルを持つ右手を吹き飛ばした。
「くうっ! チッ」
 舌打ちし、06の頭を蹴る。
 と、彼の視界に、漆黒の闇が迫ってきた。要塞の出口だ。
「見えた!」
 言ったときには、ジムの機体は宇宙にあった。思わず漏らす安堵の息。
 そのタイミングを見計らったかのように、ジャイアントバズーカを構えた09Rが、モニター一杯に迫ってモノアイを光らせた——。

「——ッ!?」
 ミハイル・ロッコは跳ねるように体を起こした。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
 肩で息をしながら、汗に濡れた額を右手で押さえる。悪夢——それは十年前の、遠き日の記憶だ。
「チッ……」
 訳もなく舌打ちするロッコ。ゼダンに帰還して三日になるが、休む度に同じ夢を見るのだ。久しく忘れていたのになぜ……。
 一年戦争、ア・バオア・クー攻防戦。彼はそこで乗機を破壊され、瀕死の重傷を負った。が、漂っているところを運良く友軍の艦艇に拾われ、九死に一生を得たのである。
 もっとも、どの部隊に拾われたのかは覚えていない。彼がベットの上で目覚めたとき、既に終戦から二週間が経過していた。そして、傷が完治するまでの三ヶ月と、リハビリが完了するまでの六ヶ月、彼はこの夢に苛まれたのである。
 だがそれも、時を経るに従って忘れた。奇跡的にパイロットとして復活したこと、そして新たに軍から与えられた仕事が、その悪夢を忘れさせたのである。ティターンズとしてゼダン、かつてのア・バオア・クーに出入りするようになってからも、夢に見ることはなかった。
 それが先日のルナツー戦以来、こうして鮮明に浮かび上がってくるのである。
「……あいつか」
 ロッコはグレーのリック・ディアスを思い出し、呻いた。
 サラミスを沈め、彼を追いつめたグレーのディアスに、彼はあのドムの姿を重ねてしまったのである。シルエットが近いせいもあるだろうが、何かあの時と同じようなものを感じ取ったのだ。
 それが死の予感だったのかは分からない。が、少なくとも彼はそれに恐怖し、そして必死になった。だからこそ、今ここにいるのである。
 過去を知るゼダンの傘に。
「スペースノイドめ……」
 と、ベッド脇のインターカムが鳴った。物憂げにスイッチを入れるロッコ。
「……なんだ?」
『ロッコ中尉、緊急召集です。直ちにイスマイリアへお戻り下さい』
 見慣れたアレキサンドリア級のブリッジを背に、若いオペレーターが緊張した面もちで伝えた。
「分かった。十五分で行く」
『はっ!』
 映像が切れると同時に、彼は立ち上がった。が、その足は出入り口とは別の方向へ歩み始める。まずは、このびっしょりとかいた汗を洗い流さねばならぬ。
「エゥーゴが来たのか」
 一言漏らすと、彼はシャワーをひねった。緊急召集と言われれば、おのずと事態は理解できる。
(スペースノイドめ……)
 やや熱めのシャワーを浴びながら、彼は声には出さずに、再び罵るのであった。

「ご苦労、中尉」
 ロッコがブリッジに上がるや否や、エドガー・キボンズ少佐が声をかけた。元はパイロットだが、今はイスマイリアの参謀格を努める男だ。
「……なんだ?」
 ロッコはそれに応えず、髭面の艦長、ダグラス・クラントに訊いた。おおかたの察しはついているが、詳しい情報が知りたかった。
「暗礁宙域に配置した探知衛星が、こちらへ向かう艦隊をキャッチした。詳細は判らんが……まあ、七隻といったところだろうな」
「我々はカルバラ、キルクークと共にこれを迎撃する。いや、正確には足止めだな。敵本隊は恐らく、正面から攻めるはずだ」
 キボンズが続ける。
「ワーノック閣下はゼダンの放棄を決めた。堕落した新政府軍だけなら突破も容易いが、エゥーゴ艦隊が加わるとやっかいだ。我々は可能な限り時間を稼がねばならん」
「——で、私にどうしろと?」
「中尉にはモビルスーツ隊を率いて敵後方に回り込み、派手に暴れて……」
「おい! 中尉!」
 クラント艦長が怒鳴った。ロッコがキボンズの話が終わるのを待たず、通路の方へと流れていったからだ。
「作戦そのものには反対しないが、部隊の指揮は他をあたってくれ」
「なんだと?」
「何者にも束縛されない単独行動は、私の特権だ」
 振り向きざまに言うロッコ。言葉遣いこそ穏やかだが、クラントはその瞳のあまりの冷たさに、思わずぞっとなった。
「分かったよ、中尉。モビルスーツ隊の指揮は、クーパ中尉に執ってもらう」
「そうしてくれ」
 キボンズに当然とばかりの口調で答えると、彼はブリッジを去っていった。
「……あれが黒鷹か。ったく、なんて目ぇしてやがる」
 ややあって、クラントは冷や汗を拭うようにしながら、口を開いた。
「特殊工作員ミハイル・ロッコ。軍籍上はア・バオア・クーで戦死した男、か。……扱い辛い奴だな」
「大佐はなんであんな男を?」
「ティターンズを陰で支え、亡くなられたジャミトフ閣下の信任も厚かったそうだ」
「裏の仕事でか?」
 若干、声を潜めて問いかけるクラントだったが、キボンズはそれに応えなかった。
 裏の仕事、例えば要人暗殺といった行為を、キボンズは好んでいない。そして、それに携わった人間を軽蔑していた。

 ——見えないところで一人を殺って、なんの恫喝になる?

 そういった理由だ。もしもロッコが暗殺だけの男であったならば、彼は真っ先にこの男を粛正したことだろう。
(黙らせるには思い切った行為が必要だ。結果的に、サイド一つを潰すとしても)
 猛毒ガスであるG3を注入するコロニー潰し作戦を、彼は必要悪と捉えていた。地球を宇宙人——スペースノイドから守るには、不穏因子は徹底して叩かねばならぬという理論である。彼に言わせれば、それを躊躇するのは臆病の表れでしかないのだ。
 実際には、大量虐殺を好む者などいない。もちろん、キボンズとて良心が痛む。
 しかし、
(元は地球を潰すのに、宇宙人共が使った作戦だ。その彼らに非難される筋合いはない)
 と、彼は割り切っていた。これは四年前の“30バンチ事件”の折り、ティターンズ総司令バスク・オムが言った言葉でもある。
 当初、地球出身者のみで構成されたティターンズには、一年戦争のコロニー落としで家族を失った者も多かった。それ故、この論理はティターンズ将兵に広く受け入れられたのである。
 今はG3作戦を実行する能力はない。しかし、エゥーゴを、グラナダを叩く手段はあるはずだ。そしてそれを成さねば、地球は宇宙人共に食い潰される……。
(必要とあらばどんな手でも使う。ロッコはいわばジョーカーだ。何かと役に立つ)
 小さく嘆息すると、キボンズはクラントに言った。
「不愉快なのは解るが、しばらく好きにさせておけ」

※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。