星のまたたく宇宙に

作:澄川 櫂

第十五章 想いの果てに

「止んだ……?」
 嵐のように吹き荒れていたのが嘘のように、唐突に消えるビームの光。プロト・リガズィのジーベルトは、さすがにそれを訝しがりながらも、周囲に力なく漂うファンネルを手早く叩き落とす。そうして自機を振り向かせると、サイレンの赤い機体を正面に捉えた。
 大きく翼を広げたモビルアーマーは、機首先にグリーンの光を淡く湛えたまま、変わらず静かに佇んでいる。
「——何だというのだ」
 その不可解さに微かな怒りを覚えながら、銃を向けるジーベルト。狙いを定める間もなく、プロト・リガズィが引き金を引く。
 ライフルより放たれた光は、だが、標的を大きく外していた。一転して上昇するサイレンの、羽の合間よりこぼれる鱗粉に惑わされ、あらぬ方向へと流されたのだ。
「チッ」
 舌打ちして、立て続けに二、三トリガーを押す。が、翼を畳んだサイレンは、今度は紙一重でそれをかわしつつ、一気に速度を上げるのだった。
 鮮やかなビームの光芒が、漆黒の闇に赤い機体を際だたせる。
「……っ!」
 ティレルは、ただ反射的にサイレンを動かしていた。サイコミュの伝えるイメージに従い、右に左に操縦桿を倒していく。さながら機械のように。
 だが、今のティレルには、それが精一杯であった。脳裏に響く少女の声。重く、頭にのしかかられる感覚。ともすれば意識が遠のいてしまいそうになるのを必死で堪えながら、プロト・リガズィと距離を取るべく、機体を駆けさせる。
〈——どうして拒むの?〉
 カチュアでない誰かが、口を尖らせた。
〈私たちが手を組めば、あんなやつに負けやしないのに〉
 言って、振り向く少女。視界に浮かぶ幻影の、栗色の髪が楽しげに揺れる。
一つ眼バーザムをやったときみたいにさ、ほら〉
(違う!)
 ティレルは、誘いかける彼女の手を払うように、大きく頭を振った。
(……僕は、戦争がしたかったわけじゃない。あいつらの戦闘力を奪って、隊長を救けるきっかけが、交渉の材料が出来れば、それだけで……それだけで良かったんだ)
 きれいごとかもしれないが、サイレンならそれが出来ると信じていた。バーザムのような普通の機体でも、相手のパイロットを傷つけることなく、無力化できたのだから。
 実戦など、少し激しいだけ模擬戦と思えばいい。その隊長の教えと、自分の分身にも等しいサイレンを持ってすれば、数が増えたところで無力化は容易なはず……であった。
 それが、自分の意に反して軍艦の一隻は爆沈し、232実験部隊のバーザムもまた、その大半がコクピットを貫かれて屍を晒した。いったい何人の人間が、自分の手にかかって命を落としたのだろう?
 18バンチで一瞬の再会を果たしたN37特機中隊の元メンバー、フェリックス・ヘルマンは、ガルスJの光通信を使って、去り際にこう伝えてきた。
『俺たちのことは気にするな。お前が無事でいてくれさせすれば、俺たちは十分本望だ。お前が手を汚す理由なんかどこにもない。隊長もきっと、それを願っている』
 その先輩の戒めを、自分は破ってしまったのである。意図せぬこととは言え、これはもはや、大義を振りかざした人殺し——カチュアの嫌いな戦争——に他ならない。
〈——嘘〉
 そんなティレルの述懐を、だが、幻影の少女はばっさりと否定した。
(え……?)
〈あなたは最初から、仲間の恨みを晴らすためにそのマシーンに乗った。引き渡したところで、隊長さんは無事でいられないと判っていたから。結果が変わらないのなら、せめてあいつらを倒して仇を取りたい。そんな風に考えたからこそ、あなたはそれを動かす気になった。違う?〉
(それは……)
〈やられる前にやる。それが戦いのルール。だからあなたは、黒い艦をふね沈めた。私は、そんなあなたの肩に、ただ手を乗せて見守っていただけ〉
 口ごもるティレルに、少女は畳み掛けるかの如く、矢継ぎ早に続ける。
〈私のファンネルを貸したのは、多勢に無勢は卑怯と思ったから。本気の私たちに敵いっこないってことを、あいつらに教えてやりたかったの〉
 つと目を伏せたのも束の間、
〈だからさ、人質を取る卑怯者のことなんか忘れて、私たちの力、見せつけてやろうよ。ね?〉
 後ろ手に彼の肩を抱くようにすると、彼女は再び、無邪気な笑顔で彼に呼びかけるのだった。その誘惑に耐えきれず、思わず手を伸ばしかけるティレル。
 その時だった。
『サイコミュを閉塞モードに切り換えるんだ。そうすれば、サイレンはお前の声しか拾わない』
 懐かしい声が、叱咤するように無線に響いた。「え?」と顔を上げるティレルの戸惑いを予期していたのか、続けざまに指示が飛ぶ。
『メニュー37のN、スクリーンの星を探せ、だ』
 その言葉の意味を理解するより早く、彼の手は動いていた。
〈ダメ。止めて——〉
 少女の声をものともせず、訓練中に何度も入力させられたショートカットコマンドを叩き込む。コントロールパネルの表示が目まぐるしく変わり、最後に空の入力ダイアログがポップアップされる。
〈お願い、止めて。私を独りにしないで——!〉
 その嘆願が脳裏に轟くが、彼は迷うことなく入力した。「アイム、ティレル」と。
 途端に、先程までの圧迫感が嘘のように消え失せる。だが、それ以上の理由から、ティレルの声は弾むのだった。
「ビリー隊長!」
『すまん、心配をかけた』
 彼のかつての上官、敬愛するビリー・ラズウェルの声が、サイレンのコクピットを満たしていた。

「貴様、なぜそこに!?」
 回線を通して現れたラズウェルの無精髭姿に、ジーバルトは驚愕も露わに声を荒げた。そんな彼に、サブウィンドウに映るラズウェルは、皮肉たっぷりに告げるのだった。
『残念だったな、大将。あんた、軍に捨てられたんだよ』
「何!?」
『司令部の命により、反逆罪、および、民間人虐待の容疑で、メドヴェーチ艦長以下、数名の身柄を拘束した。貴官ら232部隊にも、騒乱罪、公文書偽造、装備品並びに接収品不正使用の疑いで、同様に逮捕命令が出されている』
 カルノーが事実のみを淡々と伝える。
「馬鹿な……」
『今の政府は宇宙民スペースノイド地球民アースノイド共に、過激な人間を望んでいない。負の遺産が消えるのは良い。サイド2守備隊解体の口実が得られるのも結構。だが……』
『それを提案し、実行に移すような者こそ、彼等にとっては目障りな人間に過ぎない、てことさ』
 カルノーの言をラズウェルが継ぐ。
「……貴様、まさか、こうなると見越して?」
 彼の揶揄に、ジーベルトはカルノーに向かって問い質した。カルノーはその目的がために、全てを予見して、自分を、232部隊を手玉に取ったとでも言うのか。
「まさかな」
 カルノーはだが、小さく首を振ってみせると、押し殺したような声で答えるのだった。
「私はただ、彼をサイレンの呪縛から解き放ちたかっただけだ。こんな事態に陥る前に」
 そう告げるカルノーの横顔を見つめながら、ラズウェルはティレルの日記に加えられていた、彼の言葉を思い出していた。

 我が目的は、ただひたすら、彼の身の安全のみ。そのために蛇蝎となろうとも——。

 この男は、連邦軍人フランツ・カルノーである前に、ティレルを守ると誓った人間、エディ・ロウであろうとしたのだ。背景の違いを逆手にとって、彼なりに最善を尽くそうとした。かつての仲間を失うという痛恨事にも、あえて心を鬼にして。
「曹長、現時点をもって、N37特機中隊としての任を解く」
『……え?』
「仇討ちなど考えるな。お前の好きにやればいい」
 ラズウェルはティレルに向かって言った。事ここに至っては、ティレルの力を信じるしかない。だが、周囲の都合によるしがらみを、彼が背負う必要はどこにもないはずだ。
「隊長……」
 ヘルマン曹長の言い残した言葉と寸分違わぬその言に、ティレルは驚きを隠せない。

 ——お前はお前の好きにやれ

(僕は、カチュアの嫌いな戦争はしないと決めたんだ)
 だが、その決意とは裏腹に、戦艦を沈め、モビル・スーツを何機も墜としてしまった。我を失っていたとは言え、しないと決めた戦争をしてしまったようなものだ。
 もちろん、面と向かって誓ったわけではない。とは言え、自分が戦争をしたと知れば、彼女はきっと、自分のことを敬遠するだろう。それは、流されてサイコミュを使ってしまったことに対する、当然の罰……。
(今更、遅いかもしれないけど)
 グリップを握りなおしながら、改めて己が心に誓うティレル。
(これ以上、誰も傷つけずに終わらせてみせる)
 その声に応えるかのように、サイレンの瞳が一瞬だけ、鮮やかな光を放った。
 一方——。
「……そうか、私はとんだ茶番に付き合わされていたのだな。ヒューマニズムにほだされた、愚かなスパイの口車にまんまと乗せられて」
 プロト・リガズィのジーベルトは、口元を歪めて自嘲した。我が部隊のあまりにあっけない終焉を思いながら。
 不思議なまでに保たれてきた、隊の強固な独立性。それもこれも、全てはこうした二面作戦で、体よく切り捨てるための布石に過ぎなかったのか。
『ジーベルト少佐』
 イグニス・ファタスより、今や艦の全てを掌握したルースラン艦長代行の呼びかけが、無線を伝う。
『貴官の目論見は既に潰えた。これ以上、不毛な争いを続けることに、何の意義があるだろう?』

 ——不毛? 意義?

『無用な犠牲を避け、潔く身を退くのも、指揮官たる者の務めではないのか?』
 確かにそれは、一般的な見地からすれば、正論なのかもしれない。けれども、ジーベルトにとってみれば、それはあり得るはずのない話だった。
「……無用な犠牲か。確かに、駒として扱われる身であれば、その通りだろう。だが、我々は違う」
『——何?』
「上層部の思惑など、知ったことではない。我々は、各々が常にやりたいようにやってきた。与えられた状況を楽しむ。それこそが、我が隊のモットーだからな」
『貴様……!』
「降る者を止めるつもりはない。だが私は、散った者の無念を晴らすのが、リーダーたる者の役割だと考えている。それに……」
 ゆっくりと辺りを見渡すと、ジーベルトは続けて言った。
「私の望みは、再び戦場に立ち、己が腕を示すこと。この好機を捨てるつもりは毛頭無い」
『ジーベルト! それ以上は拘束では済まなくなるぞ!』
「どうかな?」
 が、ルースランの警告に、彼は薄ら笑いを浮かべて応える。
「一度覆った命令が、再び覆らないとなぜ言い切れる? 私がこいつを押さえれば……どうなるかな?」
 プロト・リガズィがライフルを撃つ。同時に、難なくかわすサイレン目掛けて一気に加速する!
「どんなに優れていようが、所詮は作られた戦闘人形だ」
 正確な攻撃を見越し、バックパックの巡航ユニットを切り離す。爆光を背に飛びかかるプロト・リガズィ。サイレンの懐にあって、ビームサーベルを振り上げる。
「ここまで近付けば、手も足も出まい!」
 だが、それを見つめるラズウェルとカルノーは、微動だにしないのだった。
「……大将、あんた勘違いしてるよ」
 ラズウェルがぽつりと漏らす。
「あいつは……ティレルは強化人間なんかじゃない」
 サイレンが姿を変える。振り下ろされたサーベルを受け止める、ビームの刃。一つ眼を備えた顔が、鋭くジーベルトを見つめ上げる。
「何っ!?」
「あいつはちょっと腕が立つだけの、俺ら自慢のモビルスーツ乗りパイロットだ」
 三本指のマニピュレーターを備えたそれは、あまりにも細く簡素で、腕と呼ぶには甚だおこがましい。対照的に、かぎ爪もそのままの足は太く短く、全体としてアンバランスな印象を受ける。背に翼を広げた姿と言い、まるで冗談のような風貌だが、それでも確かに四肢を備えた機体——モビル・スーツがそこにある。
「……この出来損ないが!」
 かっとなるジーベルトが乗機にライフルを握る腕を動かさせるより早く、サイレンのかぎ爪が脇下から両腕を挟み込む。
「はあっ!」
 ティレルの気合いと共に、プロト・リガズィの頭上を乗り越えるようにして回転するサイレン。肩口を握りつぶされた両腕が、サイレンの機動に合わせてねじ切られ、脱落する。
「ええいっ!」
 それでも、自由を取り戻した機体で振り向きざまに頭部バルカンを浴びせるジーベルトだったが、その頭部をファンネルのビームに貫かれて絶句する。同様に右足を砕かれ、次いで左足が、華奢な腕に握られたサーベルに斬り落とされる。
「馬鹿な……」
 再び正面に回ったサイレンが、サブカメラに荒い画像として映し出される。その姿は、まるで小柄な悪魔のようリトル・デーモン
 サイレンはサーベルの刃を納めると、その柄をプロト・リガズィのコクピットに押しつけた。
『降参して下さい。あなたにはもう、武器は無いはずです』
 少年の声で呼びかける機体の背後で、二基のファンネルが狙いを付けるのが判る。
「くっ……」
 文字通り手も足も出ない状態では、さしものジーベルトも諦めるしかなかった。
「勝負あったな」
「ああ」
 ——終わった。ラズウェルが、カルノーが、そして、当のティレルさえもがそう思ったとき、異変は唐突に起こった。
 頭上から降り注ぐビームの一条が、サイレンの左肩に命中する。
「うわぁっ!?」
 激震に呻くティレルが見上げる先には、迫り来る一機のバーザム。サイレンのセンサーが、ようやく警告を発する。
 アーマー形態に戻して逃れようとするティレルだったが、その間に横に付けたバーザムが、素早くライフルを構えて彼を捉えた。甲高く響くロック音。
「もらった! 強化人間!」
 ムーア・イリアスの歓声がこだまする。ティレルの脳裏に浮かぶ、カチュアの姿。
「やられる!?」
 ティレルが口にするより早く、サイレンは彼の声に応えていた。
 ファンネルに灯る光。直後、二条のビームがバーザムのコクピットを貫く。爆光と共に、遅れて放たれるビームライフル。それは加速をかけるサイレンの、右のエンジンユニットを抉るようにして突き抜けた。
「いかん!」
 思わずディアスを前進させるクラフトの目前から、きりもみ状態で飛び去るサイレン。モニターに映る姿が、見る間に小さな光点と化す。
「ティレル!?」
 身を乗り出して覗き込むカチュアの視界で、それはやがて、ひときわ大きな輝きを残して消えて行く。
 少女の嘆きは、深いうねりとなって、星の波間を駆けるのだった。

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