星のまたたく宇宙に

作:澄川 櫂

第十二章 ティレル(後編)

 孤独な独房の主に戻ったラズウェルは、カルノーが置いていった手帳を手に取ると、無言でそれを開いた。日付と共に、拙い文字列が単文となって綴られている。いずれも、ティレルの手によって書かれたものだ。爆沈したスヴァローグから遺留品を回収した際に、ラズウェルが見つけて保管していたのだった。
 最初の日付は、N37特機中隊設立のおよそ一年前。彼がティレルと出会った日から、遡ること約二ヶ月である。
 とは言うものの、特別何かが書かれているというわけでもない。そもそもティレルには日記——記録を付けているという感覚はなかったらしく、時々思い出したように二言、三言、起こった出来事やその時の気持ちをメモした程度のものである。一日の量が少ない上に、日付も飛び飛びなものだから、二ヶ月などほんの数枚だ。
 ゆっくりとページをめくって行くラズウェルの手が、不意に止まる。
〈今日、軍の人が来た〉
 ティレルと出会った日から、ちょうど一週間後の日付の下に書かれた文句。手帳上ではその後、さらに一週間ほど空白の時が過ぎるのだが、ラズウェルの記憶が正しければ、ティレルが軍属になったのはこの間の出来事であったはずである。それは、同僚と交わした彼の会話に、端を発していた。
「まさか。んなわけねぇだろ」
「マジだって。なあ?」
「ああ、開始三十秒で背後からズドン。あれには参った」
 同僚のマシュー・メリルに振られたラズウェルは、言って肩を落とした。当時、アクシズの繁華街に設置されていた対戦型シューティングゲームの話である。
 それは、モビルスーツ・パイロット養成用のシミュレータをそのまま転用したような、実にリアルな出来映えのゲームで、軍関係者の間では何かと話題になっていたのだった。完全なる軍政を布いていたアクシズのこと。冷静に考えれば、安上がりな不満解消策以外の何物でもなかったのだが、娯楽に飢えていた彼らにとって、それは格好のストレス発散材料だった。
 だが、休暇を利用して試した現役パイロットの二人が、揃いも揃って素人相手に完敗を喫したとあっては、メカマンのイアン・ライトも呆れ顔を作るしかない。
「なんだ、ビリーも負けたのか?」
「……悪かったな」
 憮然とするラズウェルの隣で、マシューがさもお手上げといった感じで天を仰ぐ。
「いやぁ、天才ってのはいると思ったね」
 これには彼も同意だった。
 トーナメントを難なく勝ち進んだラズウェルを、準決勝で完膚無きまでに叩きのめしたプレーヤーは、十二かそこらの子供であった。直前にマシューが敗れていたこともあって、気を引き締めて臨んだラズウェルであったが、それでも三十秒しか保たなかったのである。速すぎる動きについて行けなかったのと、急所を一撃されたのが敗因だった。
 操縦の上手い子供は他にも何人かいたが、ティレルが特に優れていたのは、ピンポイント攻撃を仕掛けてくるところだった。嫌みなまでに無駄がないのである。決勝の相手は狙撃を警戒して撃たせる暇を与えない戦法をとったが、それならばと近接戦であっさり袈裟懸けに斬って落とした腕前は、並のものではない。
 とは言え、彼らにとってみれば、雑談の域を出ない話であった。いくら腕が優れていると言っても、徴兵年齢に満たない子供がパイロットになるなどと言うのは、あまりに非現実的である。故に、翌日には話題にすらならなかったのだが……。
 それが、現実のものとなったのだった。
 ラズウェルとメリルは、共に旧ジオン公国軍で正規のパイロット訓練を受けた最後の代である。エースクラスには及ぶべくもないが、実戦経験を買われて講師役を務めることも多かった。学徒上がりと戦後の現地徴用兵が大多数を占めていたアクシズにあって、彼らのようなパイロットは貴重だったのである。
 当時、アクシズは地球帰還作戦遂行に向け、モビルスーツ部隊の編制を急いでいた。一定年齢以上の人間は男女を問わず根こそぎ動員され、少しでも適正のある者は、パイロットとしての訓練を受けることになった。ラズウェルら旧来のパイロット達は、急拵えの部隊を鍛え上げる役目を担わされたのだ。
 そんな彼がティレルと再会したのは、戦術の講義を行うべく壇上に立った、会議室でのこと。直前になって受講することになった数名の中に、軍服に身を包んだティレルの姿があった。
「特別候補生?」
「次代を担うエースの卵達だよ。しっかり教えてやってくれ」
「はあ……」
 いずれもティレルと同年代の子供ばかりである。引率した少佐の説明に釈然としないものを感じた彼は、その夜、データバンクを検索して可能な限りのことを調べてみた。
(先端技術開発センター?)
 意外なほど簡単に所属情報を入手出来たことに、一抹の不安を抱くラズウェルだったが、表示された施設名称に困惑の度を深めたこともあって、結局はそこを訪れることにした。
 それが、運命の分岐点へと繋がることも知らずに。

「困ります、少尉」
 誰何の声を上げた警備兵は、相手の階級が自分より上と知っても、臆することなく行く手を阻んだ。知り合いがいると告げたのだが、取り次ぐことすら拒んだ軍曹は、どこまでも任務に忠実である。
 もしこの時、年増の技術中尉が通りかからなければ、ラズウェルが施設の秘密を知ることはなかっただろう。
「どうしたの?」
「あ、スタイン中尉。こちらの少尉殿が……」
 敬礼する軍曹が、手短に事情を話す。知り合いがいるという話に興味を覚えたのか、彼女はラズウェルの方を向くと尋ねた。
「君、名前は?」
「ビリー・ラズウェル少尉であります」
「……ああ、君が」
 彼の名を聞いてなぜか目を細める中尉は、
「いいわ、来なさい」
 唐突に言って、彼を門の内側へと促すのだった。
「え?」
「中尉、しかし……」
「責任者の一人が良いと言ってるんだから、黙って道を空ける」
「ハッ!」
 彼女はポーラ・スタインと名乗った。元々はツイマッドの技術者で、一年戦争開戦後にアクシズへと派遣され、そのまま軍属になったのだという。
「まあ、これも運命ね。なってしまったものは仕方ないというか。君もそんな口?」
「いえ……」
 技術士官とはいえ、歳も階級も上の人間から親しげな会話を投げかけられて、ラズウェルは困惑を隠しきれなかった。それがポーラという女性の持つキャラクターなのだろうが、なにぶんにもこちらは初対面だ。
 静まりかえった廊下の雰囲気もまた、彼から落ち着きを奪っていた。さして大きな声を出しているわけでもないのに、随分と響き渡る感じがする。それでも、自分を通した理由だけは、訊くことが出来た。
「ティレルを掘り出してくれた人間を、無下に扱うわけにも行かないでしょう?」
 返ってきたのは、思わせぶりな答えだった。ドアキーにカードを通した彼女の指が、素早く暗証番号を叩き込む。開いた扉の先で彼を待っていたのは、ドーム状の大型機器類をガラス越しに見下ろすモニター室。そのディスプレイの一つに、ゲームセンターで出会った少年の姿があった。
 中央の大型モニターにはシミュレータが再現するハイレベルな戦闘が映し出されており、そのうちの一機に“ティレル・ウェイン”の名がマークアップされている。
「彼、もの凄く優秀でね」
 シミュレータの画像を指で叩きながら、スタイン中尉は口を開いた。その指先にあるのは無論、ティレルの名前がマークアップされた機体だ。
「ここで研究している特殊なシステムを一発で起動させたわ。他の子達は皆、薬を使わないと無理だったのに」
「薬?」
「システムと調合させるための、潤滑油のようなものね。もっとも、それでモノになる人間も限られているのだけれど」
 さらりと言ってのけると、中尉は踊るような視線を戦闘モニターに向ける。
「その点、ティレルは凄いわ。ほぼ完璧にシステムを操っている。これなら実用化の日も近い」
「あなたは……!」
 ラズウェルは、思わずそう口にしていた。科学者特有の、とでも言うのだろうか。人を物のように言う彼女の口調に、反感を覚えたのだ。
 それでいて口を噤んだのは、相手の階級が上であることを今更のように思い出したからだが、予想に反して、中尉は穏やかな眼差しを彼に向けるのだった。
「まあ、合格かな」
 言って、微笑んでみせる。と、けたたましい警告ブザーの音が鳴り響き、ティレルとは別の少年の写るモニターが、不吉な赤い光を放った。眼下に並ぶドーム状の設備の一つに、白衣を着込んだ男達が血相を変えて駆け寄るのが見える。
「……君が思ったように、ここは異常なところよ」
 内部から担ぎ出される少年のぐったりした姿を見つめながら、暗い声で続けるスタイン。
「でもね、悲しいけどこれも現実。ならば、その中で最善を尽くすのが、人の務めではなくって?」
 その後ほどなくして、口外無用を念押しされた上で施設を後にしたラズウェルは、罪悪感を覚えずにはいられなかった。どういう経緯があったのかは判らないが、スタイン中尉の口ぶりからすると、ティレル少年がここへ来ることになった理由の一つは、彼にあったらしい。恐らく、ゲームセンターでの対戦結果を指しているのだろう。マシューやイアンとの何気ない会話が原因なのか?
 この頃のティレルの手帳には、頻繁に次のような記述が出てくる。
〈薬飲んで、壊れるまでやるなんて、おかしいよ〉
 そうじゃないんだ、ティレル。手帳を読み進めながら、ラズウェルは内心で呼びかけていた。
 あの施設においては、それが普通だったのだ。薬を必要としないティレルが、むしろ特別だったのである。そして何より、携わる人間に恵まれたことが、ティレルをティレルであり続けさせた。
 そのことを、彼は他の誰よりも深く、身に染みて知っている。
「——自分が中隊長、ですか?」
「そういうことだ」
 突然の辞令の内容に困惑するラズウェルを、彼の上官は拳で軽く小突いて祝福した。
「おめでとう、やったな」
「はあ……」
「なんだなんだ、その覇気のなさは。そんなんじゃ、若い連中に馬鹿にされるぞ?」
 我が事のように喜ぶ上官と違い、ラズウェルは自身の思いがけぬ昇進を素直に喜ぶことが出来なかった。“N37特機中隊”という耳慣れない呼称に、引っかかるものを感じたからである。
 時期的なものもあった。地球帰還作戦が佳境を迎えつつある中、ようやく定まった部隊編制を崩す理由が見あたらない。まして、当時彼が属していたのは、先鋒の一角を仰せつかった部隊である。出撃を間近に控えたこの時期に組み直すというのは、決して得策ではないだろう。
 何か裏がある。その予感は、見事に的中していた。
「大変だな、ビリー。あの天才ゲーム少年のお守りらしいじゃないか」
「……? 誰がそんなことを?」
「イアンだよ」
 マシューは言って声を潜めた。
「なんでもあいつ専用の機体を造ったらしいぜ。イアンとこの班長おやっさんが、専属で引き抜かれたって。部隊名は“N37特機中隊”」
「そうか……」
 やはり。ラズウェルは思わず漏らしていた。
 イアンのいる整備班を束ねるジョイス・マクミランは、腕の立つことで有名だ。特殊な機体が建造されたときには、決まって声が掛けられる。
 例の施設の一件はマシューにも話してないが、ティレルが軍属になったこと自体は伝えてある。それで彼なりに気にしていたのだろう。マシューの情報通ぶりに、この時ばかりは感謝した。
「まあ、何にしても先を越されちまったなぁ。実戦で稼いで、すぐに追いついてやるから、お前も胡座かいてんじゃねえぞ?」
「ああ、待ってる」
 翌日、N37特機中隊の面々を前に着任の挨拶を行ったラズウェルは、そこで初めて、ティレルと直に言葉を交わした。意外にも、ティレルは彼を覚えていたようで、部隊設立の日付の下にはこんな一文が書かれている。
〈あの人、パイロットだったんだ〉
 ティレルがどういう気持ちで書いたのかは判らないが、ゲームで完敗した身としては、苦笑を禁じ得ない。
 ティレル専用の機体がメンバーに披露されたのは、部隊設立の三日後だ。機体そのものは設立と同時に受領したのだが、マクミラン技師長がパイロットとのインターフェイス周りに問題があるのを見つけて、徹底的に直させたのである。
〈今日、初めてサイレンに乗った。何か変な感じ……〉
 ティレルは手帳にそれしか書いてないが、この時に見つかった問題が実はかなり深刻なものであったことを、ラズウェルは後に技師長おやっさん当人から聞かされた。パイロットの精神を破壊しかねない機構が組み込まれていたのだという。そして、インストラクターとして派遣されたポーラ・スタイン技術中尉が、意図的にそれをリークしたらしいことを知った。
(そういうことか)
 ラズウェルはこの時初めて、自身がこの中隊の指揮官に選ばれた訳を理解した。

 ——まあ、合格かな

 あの時、技術中尉の口にした言葉が蘇る。
 どういう手を使ったのかは知らないが、部隊の創設に際し、彼女はティレルにとってためになる人間を集めたのだろう。むろん、そんな部隊など創られないに越したことはない。が、アクシズという限られた空間の中では、力ありと見なされた者は皆、戦わざるを得ないのが実情である。
 ならば、与えられた現実の中で出来うる限りの最善を尽くすのが、関わってしまった者の役目ではないだろうか?
 その思いを、ラズウェルは部下に面と向かって語ったこともなければ、あえて確認したこともない。だが、彼の部隊のメンバーが多かれ少なかれ同じ思いを抱いていたことを、彼は知っている。
「……ちょっと、本当過ぎやしませんか?」
 渡された偽造経歴書の内容に、フェリックス・ヘルマン曹長は眉をひそめた。万一の事態が発生したときにティレルを落ち延びさせる方策について、検討を重ねていた席でのことだ。定例の幹部ミーティングで誰とも無しにそのことが話題となり、地球圏の混乱に乗じて人員を潜り込ませた手法が提案されたのである。
 人事データから抜き出したティレルの、あまり豊富とは言えない情報を基に、連邦フォーマットの経歴書を鮮やかに起こして見せたエディ・ロウ——いや、今となっては連邦スパイのフランツ・カルノーか——は、澄まし顔で答えたものだ。
「事実に近い嘘ほどばれないものさ」
「とは言うものの、お祖母ちゃんじゃ、じじいの名前を使うわけにもいかんなぁ」
 マクミラン技師長が、灰色がかった髪を掻き上げながら言う。ティレルの本来の家族構成に祖母の存在があるのは判ったが、肝心の名前が不明なのである。本人に聞けばすぐに判ることかもしれないが、険悪な関係であったらしい事を考えれば、好んで話してくれるとも思えない。
 と、
「私の名前を使えばいいじゃない」
 隊の幹部クラスでは唯一の女性であるスタイン中尉が、さも当然とばかりに口を挟んだ。それを聞いた技師長が、人の悪そうな笑みを浮かべる。
「いいのか? 意地悪ばあさんの名前だぞ?」
 スタインは軽く肩を落とすと、
「敬遠されてるって意味では同じだし、それに……」
「それに?」
「あと三十年もすれば、私も立派なお婆ちゃんよ」
 言って、にやりと笑ってみせるのだった。これには一同笑うしかなく、完成した経歴書を手にしたマクミランは、満足そうに頷くと、発案者としての自信に満ちた、力強い口調で請け負った。
「あとはこの儂に任せておけ。なに、見た目以上に広い顔だからな。心配無用じゃ」
 ……そうだった。
 技師長のミミズクのような風貌を脳裏に描きながら、ラズウェルはようやく思い出した。ティレルを落ち延びさせる方法を考えたのが、エディではなく、マクミラン技師長であったことを。確かに、偽の履歴を書いたのはエディだったが、連邦のデータベースへの登録を含め、実際に手筈を整えたのは、豊富な人脈を駆使できた技師長その人である。そして、ティレルが機体を秘匿するのに使った隕石基地のポイントは、最悪の事態を想定して、技師長と隊長であるラズウェルだけが知ることとなった。
 だが、こればかりはマクミランの発案ではない。その方が安全だと、エディが皆に呼びかけたのだ。事実、技師長が戦死した今となっては、彼が口を噤んでさえいれば機体の秘匿先が漏れる恐れはないのだから、極めて好ましい提案だったと言える。
 奴もまた、ティレルの身を真剣に案じていた人間だったのか。
(……。まさかな)
 その考えを、ラズウェルは頭を振って一蹴した。ヘルマンら生き残りのかつての部下を、いとも簡単に屠った連中の仲間だ。そんなことがあってたまるものか。
 視線を手帳に戻す。そこには、N37特機中隊が本格的に訓練を始めてからの記述が続いていた。
 初めての模擬戦。特殊兵装のテスト。母艦となるスヴァローグとの出会い……。
 色々と思い起こされることはあるが、最も特筆すべきなのは、この頃から徐々にではあるものの、一日の分量が増えているということだ。何か心境の変化があったのか、時にVサインが現れたりと、それなりに楽しんでいる様子が覗える。
 また、内容自体も、隊の仲間について記したものが増える傾向にあった。ティレルの観察眼はなかなかのもので、短い文章の中に、対象となった人物の個性や行動が端的に示されている。特にラズウェルが鋭いと感じたのは、自身について書かれた次の一節だ。
〈今日の隊長は、なんだか元気がなかった。いつもより簡単に当てられたし……。何かあったのかな?〉
 日付は、イアンからマシュー・メリルが戦死したと知らされた翌日のこと。同期の死を悼むと同時に、戦争の再開を実感し、ティレルを生き延びさせるとの決意を新たにした日の出来事だ。彼自身は朝には気持ちを切り替えたつもりでいたが、模擬戦で対した少年は、彼の心の揺れを敏感に感じ取っていたらしい。
 そんなティレルも、だが、自身のことに関しては鈍かった。その最たるものが、N37特機中隊のデビュー戦が決まり、準備に追われている最中に催したバースデーパーティだろう。スヴァローグの乗員をも巻き込んで盛大に開催したそれは、完全にティレルの想像外の出来事だったらしく、その日の心境は実に見開き半以上に渡って綴られている。
 主賓席では戸惑ってばかりのティレルだったが、よっぽど嬉しかったのだろう。文面はいつになく高ぶっている。このページをめくってすぐに書かれた文句を、ラズウェルは一言一句正確に覚えていた。
〈僕がみんなを守るんだ〉
 初めてこの部分を読んだとき、いかに心を揺さぶられたものか。
 書いた後でこそばゆく思ったのだろうか。まだだいぶ余白があるにも関わらず、翌日の記述をあえてページを変えて行ったところにティレルという少年の素顔が現れている気がして、いつ読んでも頬が緩まずにはいられないラズウェルである。
 そんなことを思いながらページをめくった彼はだが、余白に赤で記された書体の異なる文面を見て、我が目を疑った。
「あいつ……!」
 思わず口を突いて出たのは、驚きと苛立ちの入り混じった声。だが、そんな声の調子とは裏腹に、ラズウェルは奮い立つ己の心を感じずにはいられないのであった。

 ひときわ大きな振動が、二人のいる部屋を揺らした。アラーム音に目を転じると、サイド2守備隊の主力機、ディアス改の重厚な機体が、底部ハッチより上がってくる姿が見える。
 窓越しにモノアイを淡く灯らせるディアスは、二人を認めて安心したのか、ゆっくりとデッキに降り立つと、壁際のノブに手を掛けた。ハッチの閉まる振動が、再び床を伝っていく。やがて、エアロックより現れたミッシェル・クラフト中尉は、幾分複雑な表情を浮かべながらも、開口一番、言った。
「二人とも、無事だったか」
「中尉さん……」
 突然現れた知り合いの姿に、戸惑いを覚えるカチュアだったが、それとは対照的に、
「来てくれると思ってました」
 こともなげに応えるティレルは、言って僅かに声のトーンを下げるのだった。
「コリン・マーキスさん」
 その呼び名に、クラフトの顔色が曇る。
「……知っていたのか」
「この中に入ってました。カチュアの伯父さんの、昔の仕事のことと一緒に」
 記録チップを投げて寄越すティレルは、ますます顔をしかめるクラフトの内心を慮ってか、すかさず続けた。
「中身は消して、物理的にも使えなくしてあります」
「だろうな」
 チップを胸ポケットに入れながら、にこりともせず頷くクラフト。
「で、君のことはなんと呼べばいいのかな?」
「ティレル、で良いです。一応、本名ですから」
 中尉の問いにさらりと答えると、彼は居住まいを正して小さく敬礼した。
「僕は……いえ、自分はアクシズN37特機中隊所属、ティレル・ウェイン曹長です」
「では、やはり君が……」
「はい。あいつらが探してる、サイレンのパイロットです」
 迷わず肯定したティレルの様子に、クラフトは小さくため息を吐く。最悪の予感が現実のものとなった瞬間……。
「サイレンというのは、あの戦闘機……いや、モビル・アーマーのことか」
 窓に向けて顎をしゃくると、ティレルはこくりと頷いて見せる。
「ものは相談だが、あれを我々に引き渡して、君はカチュアと一緒にコロニーに戻る、というわけにはいかないのか?」
「それは無理だと思います」
 クラフトの提案を、彼はあっさりと否定した。
「あの眼帯の少佐は、サイレンの力を見たがってます。第一、中尉さんのところから出したところで、連邦軍が納得するわけ、無いじゃないですか」
「まあ、確かに」
「それに、連邦の戦艦には、ビリー隊長が捕まってるんです。僕が行かないと、きっと、他の仲間と同じように……」
 そこまで言ったところで、ティレルは不意に口を噤んだ。思っても口にしたくない言葉だったのだろう。察しをつけたクラフトともまた、無言で目を伏せる。しばしの沈黙……。
 一方、二人のやりとりを横目で眺めていたカチュアは、ビリーという聞き覚えのある名前に記憶を辿り、やがて「あっ……」と小さく声を上げるのだった。
「その人、ひょっとして、あの行方不明になった船の船長さん?」
「……。うん……」
 寂しげな表情で頷くティレル。 
「本当なら今頃、僕はみんなと会ってるはずだったんだ」
 言いながら窓際のデスクに歩み寄ると、ティレルはキーボードに手を這わせた。つい最近も再生したのだろう。間を置かずにビデオディスクの映像が流れ出す。
『よう、ティレル。久しぶりだな』
 そう言って姿を見せたのは、三十路を越えたと思しき一人の男。まくり上げた袖口と無精髭混じりの頬から、一見すると粗野な印象を受けるのであったが、その瞳は、相手を労る優しい光を湛えている。
『四年も待たせて済まない。仕事の関係で、近々サイド2へ行くことになった。約束通り、お前を迎えに行くからな』
 男はカメラの奥のティレルに向かって語りかけると、後ろを示した。ズームアウトするフレームの中に、気の良さそうな男達が映し出される。
『皆、お前に会えるのを楽しみにしている。成長した姿を見せてくれ。じゃ、約束のポイントで』
 男が軽く敬礼したところで、ビデオディスクは終わりを告げた。僅かな砂嵐を残して、ウインドウがブラックアウトする。しばしそれを見つめていたティレルは、懐から取りだした写真に目をやると、それをデスクに置いた。
「……いいの?」
 問いかけるカチュアに、背を向けたままで頷く。
 そこには、若干幼いティレルを中心に、先程の男達と映像には映らなかった人々が、一様に笑みを浮かべていた。出航間際に撮ったものだろうか。背後には茶褐色の軍艦がその巨体を静かに浮かべている。
 写真の顔を順に眺めていったカチュアは、そこに見覚えのある眼鏡顔を見つけて息を呑んだ。気配を察したティレルが、静かに付け加える。
「エディ・ロウ中尉。僕のいた部隊の副長さん。連邦のスパイだったみたいだけど、悪い人じゃなかった」
 一呼吸置くと、まるで次の一言が言いたかったかのように続けた。
「だから、カチュアの伯父さんのことなら、心配要らないと思うよ」
「マイク伯父さん……!?」
 言われて思い出したカチュアが、慌ててクラフトを振り向く。すると、彼はカチュアを落ち着かせるべく微笑んでみせると、静かに頷くのだった。
「マイクのことなら大丈夫だ。つい今し方、駐留連邦軍に身柄を引き渡されたとの報告があったからな。うちの連中も立ち会ったそうだし、問題はないだろう」
 ほっとしたあまり力の抜けるカチュアの体を支えると、クラフトはティレルに問いかけた。
「君は、こうなると知っていたのか?」
「……分からない」
 俯き加減のティレルが答える。
「ただ、僕はあそこにカチュアだけは残しておきたくなかった。だから……社長を待たずに逃げたんだと思う」
「そうか……」
 あまりに率直な少年の言葉に、クラフトは一瞬、頬の緩むのを感じた。だが、すぐに表情を改めると、さらなる問いを重ねる。
「大体の事情は飲み込めたが……私は何をすればいい?」
 答えは訊かずとも判っている。が、それでも、あえて尋ねずにはいられなかった。
「——カチュアを、頼みます」
 振り向いて答えるティレルの瞳に、迷いの色は微塵もない。それは、何かしらの決意を固めた人間に共通の顔。かつて、コリン・マーキスがモーリンを守ると決めたときにも、同じような表情でいたのだろうか?
「分かった」
 少年の決意の程を確かめたクラフトは、二つ返事で請け負った。
「私はここへは来なかったし、カチュアの身柄も乗り捨てられたバーザムから回収した。そんなところで良いかな?」
 その言葉に、ティレルは大きく頭を下げると、パイロットスーツのメットを手にした。両手で持って頭に被り、首筋のジョイント具合を確かめる。
「……ねえ、ティレル」
 クラフトに体を支えられていたカチュアが、ようやく自分の足で立って口を開いたのは、ティレルがエアロックに手を掛けた、まさにその時だった。
「ティレルがこのところ元気なかったのは、この人達のことがあったから?」
「……。うん」
 質問の意図を測りかねたのだろう。不審顔で振り向くティレルは、しばし間を置いてから、小さく頷く。
「この人達が来るのを、ティレルはずっと待ってたの?」
「うん」
「……じゃあ、この人達がちゃんと迎えに来てたら、ティレルも一緒に行っちゃってたんだね」

 ——やっぱり、そうなんだ。
 
 俯くと、カチュアは唇を噛んだ。裏切られたような思いが、彼女の心に広がっていく。
 あの時、ティレルが港で待っていたのは、家族ではなく、仲間だった。同じ境遇にあって、想いを共有出来ると思った少年は、実は心の拠り所となる新たな家族を得ていた。そして、そんな人々のために、彼は力を尽くそうとしている。カチュアの占めるウェイトなど、微々たるものだ。
 いや、そんなこと、最初から判ってたじゃない。カチュアの中で、別の自分が囁く。
 そう、ティレルはケビンとは違う。カチュアはそのことをあらためて思い知らされた気がした。
 いくら彼女が家族のように思っても、家族同然の生活を送ろうとも、ベースとなるものが異なっている。ティレルにはティレルの過ごしてきた時間があり、培われた人間関係がある。そして、それはカチュアの如き少女が入り込めるような、生易しいものではなかったと言うことだ。
 それでも、とカチュアは思うのだった。
 私にだって、ティレルと過ごしてきた時間がある。今もこうして、同じ刻を過ごしている。だから……。
「——信じてもらえないかもしれないけど」
 込み上げるものを噛みしめるカチュアに、ティレルはおずおずと声を掛けた。それはとても控えめな口振りであったが、少女の耳には、一言一句が鮮やかに響き渡るのだった。
「僕は隊のみんなと会っても、一緒には行かないつもりだった」
 え? と顔を上げるカチュア。
「もちろん、話したいことはいっぱいあるけど、でも、それ以上に、工場と工場のみんなのことが好きだし、それに……」
「それに?」
「あそこが、僕の居場所だと思ってたから」
 その瞬間、カチュアの中で、押さえ込んでいた何かが弾けた。
「待って! 行かないで、ティレル!」
 床を蹴って飛び付くと、両手でティレルの腕を押さえる。
「あなたはケビンじゃない。でも……でも、私にとっては大切な、大切な家族なの。だから、私を置いて行かないで!」
 力の限りに叫んだカチュアは、ティレルの腕を掴んだまま、体を丸める。震えながら続ける言葉は、打って変わってか弱いものであった。
「もう、一人になるのは嫌なの……」
 カチュアの頬を涙が伝う。泣かないと決めた日から、彼女はほとんど初めて泣いていた。

 ——どうして泣いてるんだろう?

 ふと、そんな思いが脳裏をよぎる。ティレルがいなくても、伯父のマイクがいる。幼馴染みのネッドもいる。厳密に言えば、彼女は一人になってしまうわけではない。
 それでも、一度流れ出した涙は止まらなかった。
「カチュア……」
 両手ですがり、丸くなって震える少女の体を、ティレルは優しく抱きしめてくれた。うそ寒い感じが、見る間に和らいで行くのが判る。
 そうか、そうなんだ。カチュアは思った。
 こうやって、身を任せていられる安心感。気兼ねなく話が出来て、弱さもさらけ出せる唯一の相手がティレルなのだろう。
 きっかけは、弟によく似た雰囲気だったかもしれない。でも、三年近くに渡って、宇宙空間での作業を共にしてきた結果が、そうした関係を確かなものにした。少なくともカチュアはそう信じている。
 彼女を胸に抱くティレルが、耳元で何事か囁いた。ありがとう。そう呟いた気がしたが、
「……ごめん、カチュア」
 顔を上げたカチュアに続けた言葉は、彼女の期待とは裏腹のものであった。
「僕にとって、ビリー隊長はカチュアと同じくらい、大事な人なんだ。もうこれ以上、隊のみんながやられていくのは見たくない。だから僕は、ビリー隊長を助けに行く」
 呆然と見上げるカチュアの体をクラフトに向かって押しやると、素早くエアロックに身を躍らせる。
「でも、約束するよ。僕は必ず、ここに戻ってくる」
 バイザーを降ろすや否や、ティレルはエアロックを閉じた。扉の向こうに姿を消す直前、何か口にしたようであったが、メットを被っていないカチュアには、その声は届かない。
「どうして……?」
 力なく流れるカチュアの体を受け止めたクラフトは、フッと笑うと、彼女に言った。
「……ティレルも、カチュアのことが一番大切なんだな」
 嘘、と言いたげな表情で振り仰ぐカチュアに、さらに続ける。
「ティレルはカチュア、君が人質に取られるのが嫌だったんだよ。だから、君をここに連れてきた。何があっても、トリガーを押せるようにね」
「えっ?」
 それって、隊長さんが人質に取られても、ティレルは躊躇わないって事?
 彼女の表情から、言わんとしたい内容を読み取ったクラフトは、暗い顔で頷いた。
「それが戦いというものだ。ティレルもそれが解っていたからこそ、君をあのふねから連れ出した。君を傷つけないために」
 クラフトの言葉を、カチュアは最後まで聞いてはいなかった。エアロック並びの窓に取り付くと、顔を押しつけるようにして覗き込む。丸みを帯びた三角形の機体が、ちょうど星空に向かって降りていくところだった。
 赤い機体の機首先で、鮮やかなグリーンの瞳が一つ、じっと彼女を見つめている。
 ヘッドセットを身につけ、メットを被り直したティレルは、一息吐くと、サブウィンドウに映るカチュアの姿を拡大させた。音声こそ無いものの、不安顔の彼女が口にしている内容は、なんとなく分かる。
「大丈夫。僕は必ず戻ってくるから」
 そう呼びかけて、サブウィンドウを閉じるティレル。
「……カチュア、好きだよ」
 エアロックの中で口にした言葉を繰り返すと、視線を前に転じる。インフォメーションパネルにポップアップするダイアログをキャンセルして、彼はグリップを握り締めた。

『サイド2守備隊は21バンチを中心に展開しているようです』
「だろうな」
 接触回線で報告してきたイリアス少尉に、こともなげに答えるジーベルトは、「各機、状況を開始する」と短く命じて、プロト・リガズィの呼称が決まった乗機を隊列から離れさせた。巡航形態から人型に転じるコクピットで、イリアス少尉以下のバーザム部隊を見送ると、その右手のポイントを拡大させる。中腹に虚空を覗かせるシリンダーが、生気のない巨体を空しく浮かべていた。
「付近に動く光はなし。全て予定通り、か」
 隻眼でそれを確認するや、口元に嘲笑を浮かべながら21バンチ方面に目をやる。
「こうも簡単に流されるとは、少し買い被り過ぎていたかな?」
 緊張の度合いを高めているであろうサイド2守備隊を、侮蔑の色で見やるジーベルトは、だが、何か気配のようなものを感じて天を見上げた。
 太陽のただ中に、一つの影が浮かんでいるのが判る。
「鳥……?」
 ジーベルトがそれと認識したとき、大鷲のようなその影は、獲物をしかと見定めたのか、翼を閉じて彼に迫った。同時に沸き上がる、眩いばかりの閃光。
「ぬっ!?」
 素早く回避行動を取るプロト・リガズィの至近を、メガ粒子の光線が色鮮やかに駆け抜ける。そして、その直後を過ぎる赤い影。
「来たか!」
 喜色を露わにするジーベルトの前で、大型バックパックを背負った二つ眼の機体を見つめるティレルは、グリップを握り直すと、乗機に向かって呼びかける。
「行くよ、サイレン」
 その声に応えるかの如く、僅かに瞳を輝かせる機体は、折り畳まれた翼を一瞬だけ開いてみせる。放たれる黄色い鱗粉は、星々の瞬きをいっそう強めるようであった。

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