星のまたたく宇宙に

作:澄川 櫂

第五章 ガザの記憶

「これは……!」
 センサーが捉えた機影に、ミッシェル・クラフトは驚きを隠せなかった。型式番号AMX-003、ガザC。ハマーン・カーンに率いられたジオン公国の残党ネオ・ジオンが、まだアクシズを名乗っていた頃に主力としていた可変モビルスーツである。エゥーゴを前身とするサイド2守備隊の面々にとっては、時に敵として、時に味方として、戦場で相見えてきた感慨深い機体だ。
 俗に一年戦争と呼ばれるサイド3独立紛争で、未曾有の殺戮劇の果てに敗れたジオン公国の将兵は、遠く火星と木星の間のアステロイドベルト帯にある小惑星基地、アクシズへと逃れた。スペースノイドの自治権獲得を理想に掲げたジオン公国。その再興を誓った彼らは、地球を肉眼で見ることの叶わぬ地で、実に七年に及ぶ逃亡生活を耐え抜いたのだった。
 ティターンズの反乱が起こり、スペースノイド系連邦軍人を中心とするエゥーゴとの対立が激化する中、念願である地球圏への帰還を果たしたアクシズは、連邦軍の混乱に乗じて紛争の主導権を手中に収めた。だが、外界と隔絶された特殊な環境下で培われた組織の結束は、サイド3という大地を手にしたことで脆くも崩れ、ネオ・ジオンは瓦解の道をひた走ることになる。
 結局、総帥ハマーン・カーンの戦死によって組織としての体裁を失った彼らは、散り散りとなって地下に潜り、以前に増して孤独な活動を続けることになった。彼らの扱う機体は、戦う目的が純粋であればあるほど古くなる傾向にあるという。ガザCという、ジオン公国からネオ・ジオンへの過渡期の機体を操る集団の、目的とするものはどこにあるのだろうか。
 そのガザCが、コロニー近海を敵味方識別信号も出さずに飛んでいる。ただ一機、優雅な軌跡を描くように。浮遊物の隙間をすり抜け舞う様が、センサーの動きだけでも鮮やかに伝わってくる。
 クラフトはさすがに不審に思った。現在、サイド2の領海には、レッドアロー号捜索のため多数の船舶が展開している。にも関わらず、まるで己の存在を誇示するかのような飛行の仕方は、場所がゴミ溜まりであることを差し引いても大胆すぎた。
 何かの陽動かと思い、念のため確認してみるが、近辺に同様の機影は見あたらない。
「なんだ……?」
 と、同行するバーザムが速度を上げた。こちらもガザCに気付いたのだろう。ライフルを構え、戦闘姿勢を整えると、迷うことなくそれに向かう。
 クラフトもまた、ディアスを加速させた。推力で勝る分だけ、こういうときには余裕がある。
(悪いが、先に押さえさせて貰う)
 声には出さず、バーザムに向かって告げるクラフト。別段、縄張り意識があるわけではないが、彼らに身柄を引き渡す前に、可能な限りのことを聞き出しておかねばならない。むろん、可能であればの話だが。
 だが、クラフトはすぐさま舌打ちをする羽目になった。彼に抜かれたバーザムが、発砲する姿勢を見せたからである。が、幸か不幸か、バーザムは発砲することを躊躇った。いや、発砲できなかった、というのが正しいだろう。
 彼らのレーダーは、にわかに方向を転じた目標の向かう先に、一隻の民間船がいることを告げていた。ジャンク屋か何かの作業船だろうか? 最大望遠で拡大させると、ワーカーとおぼしき光点が一つ、活動しているのが判る。
「ちっ!」
 バーザムのパイロット、ムーア・イリアスは、辺り憚ることなく舌打ちした。細面で幾分頬の痩けた口元を大きく歪める。それでいて、
「なんて邪魔な……」
 言いかけた言葉を飲み込んだのは、随行するサイド2守備隊のディアス改と無線が通じていることに、今更ながら気付いたからだろう。
 コロニーの守備とそこに暮らす人々の安全確保を第一とするサイド2守備隊は、駐留連邦軍部隊との関係こそ良好だが、地球連邦軍という組織そのものとは、総じて仲が悪かった。それは、ロンド・ベル隊による反連邦政府運動の残党捜索に、文字通り形ばかりの協力を行ったことでも明らかである。
 地球に暮らす特権階級の手足として活動する連邦軍が嫌われるのは、何もサイド2に限った話ではない。だが、四年前のティターンズの反乱でもっとも多くの被害を被った地域の一つであるサイド2では、特にその傾向が強かった。
 そもそも、サイド2守備隊という自警組織自体が、ティターンズ打倒のために立ち上がった有志の集まりなのである。ティターンズの暴虐を見て見ぬふりで過ごした地球連邦政府や連邦軍に対し、彼らが今もって良い感情を抱かないのは、当然と言えば当然かもしれない。
 大方、「サイド2守備隊を刺激するような行為は慎むように」といった趣旨の通達でも出ているのだろう。無線越しにイリアスの様子を伺うクラフトは、いかにも軍人という印象を受ける少尉の顔を浮かべながら思った。
(ま、面白味には欠けるがな)
 小さく舌打ちするイリアスにそれ以上構わず、クラフトは民間船のデータを再度呼び出すと、首を捻った。スワローテール号のことだ。彼は、この船を知っていた。コーウェル整備工場を営むマイク・コーウェルとは、旧知の間柄である。
「こんなところで何を……」
 言いかけて、彼はマイクの愚痴を思い出した。ティレルが入ってからと言うもの、イワンの病気がひどくなったという。金をかけずに機械の性能が上がるのは良いんだが、ああも頻繁に変えられると、届け出るのも大変でな、と。
「さては、ジャンク漁りか」
 当たりをつけると、クラフトは嘆息した。
「やれやれ……」
 小さく頭を振って、無線のスイッチに手をかける。
「前方のモビルスーツに告ぐ。速やかに機を停止し、所属、姓名を明らかにせよ。これは警告である。当方の指示に従わない場合は敵対行為と見なし、直ちに攻撃を行う」
 騒ぎになると知った上で、彼は一般船舶向けの周波数に乗せて警告を発した。もとよりガザCが従うとは思っていない。あくまでも、スワローテール号に事態を知らせるのが目的だ。
 が、意外にも、ガザCは警告に応えた。スワローテール号に接触する直前、なんと速度を落としたのである。少なくとも、クラフトの目にはそう映った。

 薄桃色の細身のボディ。エビを思わせる大柄のバックパック。そして、三本指の足。次第に遠ざかる異形のモビルスーツを、メッドのコクピットから見送るカチュアは、ただ呆然とするばかりであった。
「何、あれ……?」
 声にならない問いかけに応えるように、薄桃色のモビルスーツが旋回する。カチュアの視線は、その右脇に抱えられた大砲に釘付けとなった。不意に込み上げる、言い知れぬ不安……。
『カチュア! コース変えて!!』
 スピーカに鋭く響いたティレルの声に、はっと我に返った瞬間、彼女の頭上を鮮やかな光が駆け抜けた。次いで、キャノピーを揺らす激しい振動。
「きゃあっ!」
 カチュアの心は、不安のもとを確認する間もなく、恐怖に震えた。

「馬鹿なっ!?」
 漆黒の宇宙を照らすビームの帯に、クラフトは目を剥いた。後方のバーザムが発砲したのだ。
「民間船がいるんだぞ!!」
 怒鳴るクラフトをよそに、ライフルを立て続けに放つイリアス機。変形し、高速離脱を図るガザCの周囲で、ビームの直撃を受けたゴミが弾け、小さな火球を形作る。クラフトは慌てて、ディアスをイリアス機に寄せると、そのライフルを押さえさせた。
「貴様、正気か!」
「私はただ、目標を牽制しようと……」
「だからといって、至近距離で炸裂させる奴があるか! ワーカーはモビルスーツほど頑丈ではないんだぞ!」
 イリアスの当惑しきった声に、クラフトは怒りを爆発させた。まるで周りが見えていない。船ほど目立たないとはいえ、ワーカーの反応ぐらい、少し注意すれば気付くだろうに。まして、ここはコロニーの領海内である。これだから連邦の素人は、と思う。
 視線を戻したクラフトは、忌々しげに口元を歪めた。僅かな間の出来事であったが、ガザCの姿は既に見えなくなっている。ゴミが散ったおかげで探照波が拡散し、レーダーもまるで用をなさない。
「……彼らが無事だっただけでも良しとするか」
 ガザCの追跡を諦めると、クラフトはスワローテール号を見やった。メッドの黄色い機体が、引き上げられた別のワーカーと共に、クレーンのワイヤーにしがみつくような格好で甲板に向かって流れて行く。別段、被害はないようだ。
 と、そこへ別のモビルスーツが現れた。バーザムと同じブルーグレーと濃紺の塗り分けは、それが232実験部隊の所属であることを示している。が、スマートでいくらか洗練されたラインを持つ機体は、細い二つ眼を備えた顔を頭部に戴き、その背には、バーザムにはない大柄のブースターパックを装備していた。
「ゼータ……!」
 クラフトは、先にこの機体を目にしたパレットの印象が正しいことを、我知らず認めていた。メタスの拡大された録画映像では、かなり違いがあると感じたのだが、全体として受ける印象は、まさしくゼータガンダムのそれであった。
 四年前の争乱の際、彼らサイド2守備隊が与したエゥーゴの象徴として、幾多の戦場を駆け抜けた名機、ゼータガンダム。オリジナルの機体はサイド3を巡るネオ・ジオンとの戦いで失われたが、広報に使われた映像がその後も度々テレビで放映されたこともあって、軍関係・民間を問わず、認知度は高い。クラフト自身、実物は一度しか目にしたことが無いのだが、他に類を見ない洗練されたデザインは、強く印象に残っている。
 ガンダムタイプのそのマシーンは、月に拠点を置く複合企業、アナハイム・エレクトロニクスより貸し出された機体で、232実験部隊にて評価試験中とのことであった。既に正式採用が内定し、“リ・ガズィ”というコードネームも決まっているという。
 ガンダムタイプと言えば、連邦軍では高性能モビルスーツの代名詞である。そのガンダムの名をあえて冠していないことにどんな意味があるのか。一介の、それも所属組織の異なるパイロットには知るよしもなかったが、クラフトはふと興味を覚えた。
『どうしたか?』
 胸にRGZ-90Xとペイントされたマシーンは、ディアスに腕を伸ばすと、ラディ・ジーベルト少佐の声で尋ねた。細い二つ目が、淡い光を灯らせる。
「所属不明機を捕捉、追跡したが見失った。レーダーにも反応なし」
 クラフトの言葉を確かめるように、ジーベルト機は顔をバーザムに向けた。イリアス少尉が肯定を意味する信号を返す。
『こちらは該当する機影を捉えていないのだが』
「ガンダムでもダメか?」
「……。ガンダムだから万能、と言う訳でもないのでな」
 クラフトの揶揄につまらなそうに応えると、ジーベルトはイグニス・ファタスに回線をつなぎながら、スワローテール号を見やった。
 ワーカーを回収し終えたスワローテール号は、ブリッジをこちらに向け、静かに佇んでいる。事態が事態だけに、成り行きに任せて様子を伺っているのかもしれない。
 その安定した操舵ぶりに興味を持ったのか、スワローテール号に機を寄せるジーベルト。が、クラフトのディアスと、遅れて到着したメタスがそれを遮るのであった。
「悪いが、事情聴取はこちらの管轄だ」
 ジーベルトが口を開くより早く、クラフトは言った。ことさらに縄張り意識を強調する姿勢を見せたのは、この場を早々に収めようという意図があってのことだ。イリアス機の行動に不信感を覚えたと言っても、それを口実に事を荒立てるような愚を犯すつもりはもとよりない。
 だから、
「本部までご足労願えるのであれば、立ち会って頂いても一向に構わないが……」
 そう、言い添えることを忘れなかった。
『承知している』
 憮然としたジーベルトの言葉に、すかさず念押しするクラフト。
「出来れば少尉の調書も取りたいのだが?」
『……了解した』

 夜を迎えた3バンチコロニーに停泊中の戦艦、イグニス・ファタスは、居並ぶ駐留連邦軍の所属艦同様、静かな佇まいを見せていた。上陸許可が下りていることもあって、乗員の大半が歓楽街へと繰り出している。日付が変わる頃には、酔いどれ千鳥やMPに引きずられた虎が港を騒がすことになるだろう。が、今はまだ、歩哨の足音が時折響くばかりである。
 そのイグニス・ファタスのブリッジでは、メドヴェーチ艦長と副長のルースラン少佐、そして、ジーベルトを始めとする232実験部隊の主要メンバーが、作戦指令台を囲んでいた。ちょうど一段落ついたところだったらしく、遅れてブリッジに上がったイリアス少尉は、皆の注目を集めることになった。
「ご苦労だったな、ムーア」
 一番最初に声をかけたジーベルトは、開口一番、サイド2守備隊による事情聴取への出頭の労をねぎらった。当初の終了予定時刻を大きく過ぎての帰隊だったからだ。
 だが、そんなジーベルトとは対照的に、
「たっぷり絞られてきたのか?」
 続けて声をかけたメドヴェーチ艦長の、髭の濃い口元には、歪んだ笑みが浮かんでいる。
「まあ、通り一遍のことは」
 皮肉に肩をすくめて応えると、イリアスは一同が囲む卓の中央に置かれた、写真の束を手にした。
「これですか?」
「そうだ」
 イリアスの問いに、ジーベルトが頷く。
 それは、何かのVTR映像から複写したと思しき写真だった。全般的にぶれが激しく、輪郭のはっきりしないものが多いのは、元の映像が移動しながら撮影されたものだからだろう。イグニス・ファタスのオペレーターによって、デジタル処理が施されていることを考えれば、撮影者はよほど高速で移動していたに違いない。
 そんな写真の束をテンポ良くめくっていくイリアスだったが、残り数枚になったところで手を止めた。手にした一枚を束から抜き出すと、まじまじと見つめる。
「これは……?」
「お前もそう思うか?」
「……ええ、似ていますね」
 彼の答えに、メドヴェーチ艦長とルースラン少佐は、互いに目を見合わせた。つい今し方、彼らも同じ言葉を口にしていたのである。
「これだけ印象が一致すれば、まず間違いないと思うのだが……」
 メドヴェーチ艦長は、振り向いて、末席に立つスーツの男に視線を向けた。
「どうかな? カルノー大尉」
 カルノーと呼ばれた人物は、小脇にコートを抱えたまま、台上に広げられた写真を無言で見下ろしていた。細い縁なし眼鏡をかけた、一見するとインテリなセールスマンとしか思えない男である。
 男は、艦長に促されてもなお無言のままであったが、ややあって、懐からいま一枚の写真を取り出すと、イリアスが抜き出した写真の隣に並べた。それは、この場を囲む者にとって、既に見慣れた代物である。意図するところは明確だった。
「彼に間違いないでしょう」
 ようやく顔を上げた男は、その素性を伺わせる鋭い瞳を眼鏡の下に光らせ、言った。ジーベルトが、得たりという表情でルースラン少佐を見、次いで、艦長に視線を移す。メドヴェーチは一つ頷くと、手元の通信用紙に一行書き加えた。
「副長」
「確認します」
 艦長より通信紙を受け取ったルースランは、どこか気乗りしない表情を見せながらも、一読して頷き、待機していた通信士の元へと流れて行く。
 それを横目に見送ったジーベルトは、
「担当は、当初の取りの決め通り」
 と、一同に向かって告げる。淡々とした口調に不審なことは何もないようであったが、ルースラン少佐とカルノー大尉は、なぜか意外そうな表情を作った。そして、どちらともなく顔を見合わせる。
「……本当によろしいので?」
「生憎と、我々はその手の仕事が苦手でね」
 訝しげに尋ねるカルノーに、ジーベルトは自嘲とも嘲笑ともつかない笑みを浮かべながら、答えるのであった。

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