前哨戦

作:澄川 櫂

SCENE. 5

「あ……」
 コスティがカーチス機の最期を目にすることができたのは、掃海艇の割り込みによって、ジムとの一騎打ちが中断されたからだ。うるさい小船を腕に仕込んだバルカン砲で沈めた時、それより遙かに眩い光球を視界の端に認めた。
 別に確証があってのことではない。ただ、最期の友軍機の反応が消えたとき、初めに浮かんだ顔がカーチスだったから、何となくそう思ったのである。
(カーチスさん……)
 溢れそうになる涙を拭おうとして、バイザーを降ろしていることに気付くコスティ。自分が戦場にいることを思いだし、慌てて操縦桿を握り直す。
 コスティという、どちらかといえば線の細い少女が、学徒動員令の発令に際してモビル・スーツのパイロットを志望したのは、老いた両親を守りたいという一途な思いからであった。
 もっとも、それは他の訓練生達のように、地球連邦軍を撃ち払うなどといった、勇ましいものではない。仮にサイド3まで攻め上られたとしても、もうすぐ六十に届こうかという両親を、救い出せるだけの力が欲しかったのである。
 お祖父ちゃん、お祖母ちゃんと呼んでも差し支えないほどに歳の離れた両親を持ったことは、幼い頃の彼女にとって苦痛だった。近所の男友達にからかわれる度、なぜあんなにも歳を取ってから自分を生んだのかと、本気で恨んだものだ。
 だがそれも、小学校を卒業するまでのこと。一年老いるごとに、娘と過ごせる時間が減ると嘆く両親の心が、今となっては朧気ながらも理解できる。いつしか彼女は、二人を守りたいと強く思うようになっていた。
 それがモビル・スーツと結びついたのは、向かいの家に住んでいたアラン青年の影響である。彼女より四つ年上で、兄弟のないコスティが兄のように慕っていたアランは、開戦時には既にパイロットであった。その彼が、ルウムでの戦いを終え、一度戻ってきたときに言った言葉が、彼女にモビル・スーツという兵器の印象を別の角度から植え付けた。
「連邦の戦艦も戦闘機も、ザクの動きに付いて来れないんだ。楽勝だったね」
 得意げに語るアランに、その時はただ感心するばかりのコスティであったが、付いて来られないという表現は、特別の響きを持って彼女の脳裏に刻み込まれた。
 たとえ連邦がサイド3まで攻めてきても、モビル・スーツがあれば家族を連れて逃げられる。生き延びることができる。
 忌まわしい招集令状が彼女の元に届いたとき、既に過去の人となってしまったアランの言葉は、最期の希望ともいうべき光を伴って、鮮烈に蘇ったのであった。
 幸いにも、彼女はその適性を認められ、パイロット候補生としての訓練を受けることになった。訓練といっても、速成もいいところであり、適当に操縦が出来れば即配属である。もっとも、多少の能力査定はなされており、こと新人に関して言えば、機体の性能イコール成績の図式が成り立っている。
 最新鋭機を宛われたコスティは、それなりに期待のおける新人なのである。勘がいい。彼女のファイルには、担当教官の印象として、その一言が添えられていた。
 故にオリゾンは、囮という大役を、デビュー間もない彼女に与えた。結果、艦艇を沈め、モビル・スーツ一機を完全に引き付けたのだから、オリゾンにしてみれば願ったり叶ったりと言ったところだろう。むろん、生きていればの話しだが。
 初陣としては驚異的な成果である。しかし、当の本人は、この結果に失望していた。
(一機も抜けないだなんて……)
 コスティの乗るガルバルディという機体は、機動性はもちろんのこと、パワーについても他機種に優る。と、技術士官は言い、彼女もそれを信じた。実際、実機を使った模擬戦では、一足早く配備の始まったゲルググ相手に、終始優位に立つことが出来た。
 そのこともあって、四つに組んでしまえば勝てるという認識が、彼女の頭にはあった。連邦のゴーグル野郎はスピードこそあれ、パワーはさほどでもない、という先輩パイロット達の講話も影響したかもしれない。だから、ジムに距離を詰められたコスティは、主兵装のビーム・ライフルに頼るのではなく、かえって接近戦を挑んだのである。
 ところが、戦闘は彼女の望んだ形にはならなかった。組めばなるほど、ガルバルディのパワーはジムを圧倒している。が、ねじ伏せる前に離れられては意味がない。調整が完全でないのか、とっさの反応が鈍いようだ。
 実はそれこそが敵パイロットとの技量の差に他ならないのだが、彼女はそうは思わない。自国の技術的優位を無邪気に信じていただけに、ほとんど裏切られた気持ちで操縦桿を握っている。
 三度目の斬撃を力任せに凌ぐコスティは、滲む視界を晴らすべく、一人声を張り上げるのであった。

 一方、ガルバルディに軽くあしらわれたジムのパイロット——クルトは、相手に傷らしい傷も負わせられない悔しさと忌々しさに、顔を歪めていた。
「くそっ」
 そんな言葉が、我しれず口を突いて出る。
 左手に持たせたマシンガンで牽制しつつ、ガルバルディとの距離を取ると、彼はビーム・サーベルをバックパックに戻した。ジムの推進剤は、あと一回ドッグファイトをやれば空になる。せめて、サーベルのチャージと弾倉の交換くらいは、今のうちにやっておきたかった。
 弾倉の交換といっても、特別やることがあるわけではない。ワン・アクションさえ与えてしまえば、あとはマシンの方で勝手に処理してくれる。パイロットに要求されることと言えば、その動作が完了するまでの数秒を狙い撃ちされぬよう、周囲に目を光らせるくらいのものだ。
(あの人は今頃どうしてるんだろう……?)
 隕石群の陰に時折映る青い光が、地球のものであると知ったクルトは、ふと、そこに残してきた養母のことを思った。父や母と呼ぶには老けすぎていた夫妻のことを。
 幼い頃に交通事故で両親を亡くし、孤児院に入れられていた彼を老夫妻が引き取ったのは、それぞれに独立していった息子達と過ごした日々を懐かしみ、そして、寂しさを紛らわせるためであった。老夫妻の暖かい眼差しは、彼にではなく、彼を通して映る義兄の影に向けられていた。
 気にならなかったと言えば嘘になる。が、彼の精神は、それを容認できるほどには成長していた。ワンランク上の寝食と教育の機会を与えてくれるだけで、感謝の対象となり得たからだ。その見返りとして、自分は彼らの思い出の一場面を演じている。
 これが平時のことであれば、クルトと老夫妻の関係は、まずまず順調に育まれていったことだろう。が、あいにく戦争が起こった。宇宙に上がっていた夫妻の二人の息子が、相次いでこの世を去った。
 悲嘆にくれる老夫妻、特に養母の視線から逃れるために、彼はようやく馴染んできた家を飛び出した。なぜ、この子ではなく、息子なのか。口に出して言うことこそなかったが、その目が如実に語っていた。何でこの子が生きているのか、と。
 近所の住人達に至っては、露骨に言葉に表した。夫妻の二人の息子は、学問に優れた兄弟として評判だった。その二人に比べれば、どうしてもクルトは劣って見える。彼を見かける度、近所の奥様連中は決まって囁き合うのであった。あんなに立派だった人が亡くなったのに……、と。
 が、それだけならまだ耐えられた。むしろ、いつか義兄(あに)たちを越える男になって見返してやる、などと心に誓ったものだ。
 彼をその家から決定的に引き離したのは、養母の親戚が漏らした「疫病神」の一言だった。実の両親だけでは飽きたらず、養家にまで仇なす恩知らずめ、という嫌悪の視線。養父はそれを叱り、気にすることはないと言ったが、クルトはたまらず、その夜のうちに家を出た。
 言われたこともショックだったが、何かを訴えかけるような養母の視線が、たまらなく嫌だったのだ。
 そんな彼にとって、軍隊という世界は居心地が良かった。個人的な背景を問われることはなく、実力だけがものを言う世界。そこで重要なのは、いかに良く戦えるかということであり、特別高度な学問などは必要とされない。ただ、戦うための知識・技術を体得することのみ求められた。
 パイロット、それもモビル・スーツ乗りとしての適正を認められたクルトは、その訓練にひたすら没頭した。鋼の巨人を操るというのは、それまでの人生を忘れるには十分すぎるほど、面白い要素に溢れていた。
 誰のためでもない、自分自身のために。人生標語としては平凡、かつ使い古された感のあるそのフレーズは、孤児に戻った十四歳の少年にとってあまりに自然だった。
 故に、万事において気負いがない。まるでゲームでも楽しむかのように、ジャブローを駆け、ソロモンを勝ち抜き、ア・バオア・クーの海へと至った。打倒ジオンに燃える小隊長が、ソロモンであえなく命を落としたのとは対照的である。
 が、クルトが苛立っているのは、ゲームがなかなか進まないからではない。フェイバーら、沈んだツアルのクルー達のことを思っていた。
 老艦ツアルのクルーは、艦に引けを取らぬ老兵達の集まりだった。それだけに、若いクルトは乗艦早々、人気者となった。自分の子供と大差ない年齢であると知って、何かにつけて気にかけてくれたのである。
 中でも、メカニックチーフだったフェイバーの接し方は、息子に対するのと同じであると言っていいほど、親身であった。受ける側にとってはむず痒いばかりだが、それを迷惑と思わなかったのは、心のどこかで父親なり、母親なりと言った存在を欲していたからだろう。
 そのフェイバーが死んだ。クルトはとっさに、仇を討とうと思った。軍に入って初めて、ほかの誰かのために戦おうと思った。
 いや、それこそが本当の意味で、自分のための戦いなのかもしれない。
(……結局、辛くて逃げ出しただけなんだよな)
 久しく忘れていた養母の顔を思い浮かべながら、クルトは声には出さず呟いた。温かく優しい光に溢れる彼女の瞳が、悲しみに歪み、すがるように揺れだしたあの日。憔悴しきった養父は、彼を書斎に呼んで頭を下げた。義母(かあ)さんを支えてやってくれ、頼む、と。
 が、クルトは逃げた。本当の家族になるのが怖かった……。

 ——俺にも、お前と同じくらいの歳の息子がいてな

 あれは、ア・バオア・クーの海域に入る直前のことだったろうか。フェイバーがふと洩らしたのは。
「妻に先立たれてからどうにも折り合いが悪く、ある日突然、どこかへ飛び出して行っちまった。探そうにも、そのすぐ後で戦争だ。今じゃ生きているのか、死んでいるのかもはっきりしない」
 怪訝な顔の自分に構わず、誰に聞かせているとも知れぬ口調で語るフェイバーは、側舷の小さな窓から見える宇宙を見つめると、ややあってから、
「……だから、こんな仕事をしていられるんだろうな」
 ぽつりと言った。
 直後に「総員警戒」の号が下ったこともあって、結局彼が何を言いたかったのかは判らず終いである。ただ、フェイバーが遠い目をしていたのが、強く印象に残っている。
 それは、半ば自棄気味に従軍してきたフェイバーが、素に戻った瞬間かもしれなかった。そんなふうに思うのも、クルト自身が同じような心境にあるからだろう。短期間とは言え、親しく過ごした人間を失ったとき、彼は久しく忘れていた養父母の顔を思い出した。フェイバーと同じ思いを味わったかもしれない、人たちのことを。
(戦争が終わったら、一度会いに行こう)
 今さら会ったところで、どうなるものでもないだろうが、そうすることで一区切り付くような気がする。何に? 自分自身の心に。
 そのためには、何よりもまず生き延びなければならない。クルトはほとんど初めて、戦う意味というものを見出したような気がした。
 既に味方のモビル・スーツは彼を除いて全滅し、スティーブ少尉率いる航空隊も、補給のために後方へと去った。対する敵機は、確認できる限りはこちらと同じ一機だが、敵勢力圏内であることを考えれば、援軍の可能性は大いにある。
 が、それを理由に後退することはしたくなかった。ここで逃げ出せば、養父母に会いに行くのはおろか、生きて再び大地を踏みしめることすらできないように思えるのだ。
 ビーム・サーベルのチャージが完了したことを示すランプが、コンソールに灯る。敵機の位置を確認したクルトは、その姿を正面に捉えるや否や、一気に距離を詰めた。

 クルト機に気付いたガルバルディが、腕のバルカン砲で牽制する。それに構わず、突き進むジム。弾数僅かなマシンガンで打ち砕き、体ごとぶつかって行く!
「きゃあっ!」
 思いもよらぬ行動に、ただ慌てるばかりのコスティ。クルトはその隙を逃さない。パワーでは相手の方が数段上だ。四つに組まれる前に片を付けねばこちらがやられる。
「うぉぉぉっ!」
 吠えるクルトの気合いに呼応して、バック・ノズルの輝きがさらに増す。絡み合う二機は隕石群に向かって流れ、その一つと接触。跳ねたところを別の隕石が受け止めた。
 ひしゃけるランドセル。ガルバルディのコクピットを激震が伝う。右足を襲う激痛に、コスティが声にならない悲鳴を上げる。
 直後、コクピットの外装が吹き飛んだ。脱出装置の誤作動であろうか。だが、シートはその胎内を離れることなく鎮座したままだ。
 無防備なノーマルスーツ姿を宇宙に晒すコスティは、薄れ行く意識の中で、ビーム・サーベルを振りかざすジムを見続けた——。

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