共和国緊張

作:澄川 櫂

CHAPTER. 6

 地球連邦軍軍事監督官ゲイル大尉を乗せた連絡艇と合流したロンド・ベル四番隊は、武装解除の上、本部のあるサイド1・ロンデニオンへの帰路に就いた。艦載のモビル・スーツ隊は全滅。艦隊員にも多数の死傷者を出しての帰還である。
 一方のジオン共和国側は死傷者ゼロ。損害も、ランツ曹長のシュツルム・ディアスが右腕を失ったくらいのものである。まさに圧勝だった。
 だが、喜んでばかりはいられない。四番隊壊滅の報を受けた連邦政府は直ちに抗議声明を発表し、ロンド・ベル全軍に待機命令を出した。出撃も時間の問題だろう。
 リーア、グラナダ、フォン・ブラウンの三大政庁が、そろって共和国支持を表明しているとは言え、いざ開戦となった場合にどこまで支援する用意があるのか。
 いや、そもそもその気があるのかさえ疑わしいのだ。結局のところ、共和国は自らの戦力のみで連邦軍と戦わねばならない。
 両軍の戦力差は歴然である。どう転んでも、共和国側に勝ち目はないだろう。ただ一つ望みがあるとすれば、それは世論である。
 昨今の連邦政府によるコロニー締め付け政策は、宇宙に暮らす民、スペース・ノイドの心に癒えることのない憎しみを植えた。各コロニーに駐留する連邦宇宙軍は、そんな彼らの反乱を恐れるあまり、思い切った行動を取れないでいる。相次ぐ戦乱によって指揮系統をずたずたにされたからだ。総司令部がダカールからチベットのラサに移された現在でも、それは変わりなかった。
 コロニー内で暴動が発生した場合、駐留連邦軍は部隊の戦力のみで対応しなければならない。だがそのほとんどは、〇〇八七年以降ろくに補強もされず、旧態然としているのが実状である。仮にサイド2守備隊のような元エゥーゴの部隊が反旗を翻せば、コロニー駐留軍などひとたまりもないのだ。
 故に各コロニーの駐留連邦軍は、コロニー民衆の動向を見定めながら、ひっそりと過ごしている。コロニーの大勢がジオン共和国支持となれば、目に見える支援こそ行わないだろうが、少なくともダカールの意向に添って共和国を攻めるようなことはあるまい。
 いざ開戦となった場合に先鋒となるであろうロンド・ベルにしても、部隊の中核を担っているのはスペース・ノイド系の人間だ。トップがいかに頑張ろうが、戦意という点ではかなり怪しいものがある。
 そう考えると、共和国は戦わずして勝利を得る可能性があった。ハヤカワらはこの一点に賭けたのである。
 もちろん、ツイマッド社会長ドロールによる根回しは完璧だ。政府や軍首脳が声高に共和国討伐を主張しても、あらゆるところから反対の声が挙がるシステムが既に完成している。ロンド・ベル四番隊の退去時刻を翌一〇時としたのは、その為の時間稼ぎでもあったのだ。
 ジオン共和国は全軍臨戦態勢のまま、一二月二四日を迎えた。ロンド・ベル四番隊との戦闘から、既に三日が過ぎようとしている。だが今もって、ロンド・ベルが攻めてくる気配はなかった。
 いや、その心配はもはやないのかもしれない。
「……妙なことになったな」
 地球連邦政府大統領との電話会見を終えたウェーバーは、砂嵐の流れるディスプレーを見ながら、後ろに立つハヤカワに言った。ああ、と頷くハヤカワ。
 今し方、連邦大統領がホットラインを通じて直々に伝えてきたのは、ロンド・ベル四番隊の非礼に対する謝罪と、対共和国動員令解除の報告。そして、
「スィート・ウォーター解放作戦時には協力を願いたい、か」
「現金な話だ」
 相変わらずの虫の良さに、ハヤカワは呆れるのだった。
 世界の目がサイド3に集中した去る一二月二二日、シャア・アズナブル率いる新生ネオ・ジオン艦隊は、その間隙を突くようにサイド5外縁のコロニー、スィート・ウォーターを占拠した。
 忘れられたコロニーである。守備隊にまともな戦力があるはずもない。大した抵抗も見せぬまま、守備隊はスィート・ウォーターを明け渡した。
 いや、それは表向きのことで、実はスィート・ウォーター守備隊そのものがネオ・ジオン艦隊だった、というのはグラナダからもたらされた情報である。ツイマッド社のスタッフが入手したもので、アナハイム内に流れる噂と言うことだったが、恐らく事実だろう。
 少なくとも、ハヤカワとウェーバー、そして“影の宰相”ことドロールはそう捉えていた。
「メラニーはシャアという男に惚れている節があったからな。モビル・スーツの一機や二機、提供したとしても不思議ではない。出所はおおかた、そんなところだろう」
 部下の報告を二人に伝えるドロールは言ったものだ。
「で、共和国首相としては、どう対処されるのかな?」
「どうもしないさ。我が国に他国を支援するほどの余裕はない。もっとも余裕があったところで、あいまいな軍隊への協力などお断りだがな」
 ハヤカワとウェーバーは笑った。連邦の弁解を皮肉ったのだ。
 大統領曰く、連邦政府は共和国の安全を見守るつもりでしかなかったという。それをロンド・ベルは共和国の監視と誤解し、さらに日頃の増長が要らざる行為を働かせたと。
 全くもって馬鹿げた話である。こんな理由で更迭されるロンド・ベル司令こそ哀れだ。
「現時点をもって、非常警戒態勢を解除する。国軍は以後、スィート・ウォーター艦隊の動向に注意せよ」
「了解であります」
「……とは言ったものの、ジョー、連中がここを攻めると思うか?」
「さあ……。個人的にはないと思うが、結論を出すには早いな。旧公国派が呼応せんとも限らんし」
 ここで言う旧公国派とは、ハマーン軍残党のことである。
 総帥ハマーン・カーンの戦死により、旧ネオ・ジオン軍はその大半が連邦に投降したのだが、一年戦争来の士官を中心に、再び地下に潜る者も少なくなかった。サイド3内にも潜伏しているものと思われるが、その行方はようとして知れない。
「ま、サダラーン一隻くらいは浮かべておくさ」
 さしあたっての心配は国内の不穏分子である、とハヤカワは判断していた。スィート・ウォーターの艦隊が共和国を攻めることはない、そう思っている。今さらサイド3を落としたところで、なんの得があるというのか。
「ほーう」
 不意にウェーバーが感嘆した。連邦大統領からの親書をハヤカワに見せる。
「ロンド・ベル司令の後任、誰だと思う?」
「——!? あのブライト・ノアか」
 スィート・ウォーターを占拠した艦隊の頭目と噂されるシャア・アズナブルは、グリプス戦争時、クワトロ・バジーナを名乗ってエゥーゴの指導的役割を演じた。そして、彼の乗っていた艦艇ふねの艦長が、ブライト・ノア大佐なのである。
 ノア大佐はまた、一年戦争を通じて輝かしい戦果を挙げた地球連邦宇宙軍第十三独立艦隊こと、ホワイトベースのキャプテンをも努めた男である。その実力故、一時は危険人物として軍から疎まれていたほどだ。
「連邦も思い切ったことをする」
「全く。やりにくくなるな」
 言いつつも、ハヤカワの瞳は笑っていた。不謹慎かもしれないが、相手が優れていればそれだけやりがいもある。もっとも、ノア大佐が噂通りの人物なら、向こうからは仕掛けてこない可能性が高いのだが。
「……スィート・ウォーターが片づいたら、ロンド・ベルは再びここを攻めると思うか?」
「連邦政府はそうするだろうな。ただ、ノア大佐がどう出るか」
「付け入る隙はあると?」
「さあ。個人的にはそう願いたいが……。それより、モビル・スーツの改修計画は通るんだろうな」
 ハヤカワは幾分、声を潜めて訊いた。
 現在、ジオン共和国軍は計八十四機のモビル・スーツを保有しているが、そのいずれも、連邦軍の主力となりつつあるジェガン、リ・ガズィといった新鋭機に比べると分が悪かった。いくら腕の良いパイロットを集めているとは言え、数では連邦軍が圧倒的に勝っている以上、切り抜けるには限度がある。
 そのため、共和国軍上層部は保有モビル・スーツの早期改修を政府に上申していた。欲を言えば新型を導入したいところだが、共和国の財政がそれを許さない。
 だが、首相ウェーバーによって提示された計画案に、議会は難色を示した。地球連邦政府を刺激するのは得策でない、というのがその理由だったが……。
「それは問題ない。慎重派も事態の深刻さにようやく気付いたようだからな。こればかりはロンド・ベルに感謝せねばなるまい」
 ウェーバーは低く笑った。ネオ・ジオン占領以前からの保守系議員達は、連邦政府が自治権放棄を求めてもなお、顔色伺いで乗り切れると本気で考えていたのである。呆れたものだ。
 ハヤカワも口元に冷笑を浮かべ、それに応えるのであった。

「今年も積もらせるそうですね」
「……?」
「雪ですよ」
「ああ、今日はイヴだったな」
「ハハハ。隊長、少し働き過ぎじゃないんですか?」
「かもしれん」
 冗談混じりに言って笑うランツに、助手席のハヤカワも思わず苦笑した。クリスマスを忘れてもう何年になるのかな? と思ってみる。
 サイド3・3バンチでは、ネオ・ジオンから解放された〇〇八九年以来、一二月二四日の夜に雪を降らせていた。コロニー全体をうっすらと雪化粧させるのである。
 スペース・コロニーは基本的に、地球上のあらゆる環境を人工的に造り出すことが可能だが、年中暑くもなく寒くもないという、全くもって理想的な気候に設定されているのが普通だった。気象変化には金がかかるのだ。
 コロニー環境維持の費用は全て税金でまかなっていたが、高い税率をもってしても、乾燥防止の雨すらままならないコロニーの多いのが現状である。むろん、サイド3とて例外ではない。
 それをあえて行わせたのは、市民に希望を与えたいというウェーバーの想いであった。当初は最初の一年のみの予定であったが、市民の評判はことのほかよく、結果として毎年行われている。
 だが、そんな3バンチにあって、ハヤカワはクリスマスを意識しなかった。と言うより、余裕がなかったのかもしれない。いつもこう、何かに追われていたような、そんな気がする。
「隊長もクリスマス休暇を取られたらどうです?」
「そうも言ってられないだろう。もっとも、アテもないがな」
「でも、世の中何があるか判りませんよ?」
「はっはっは!」
 これには大笑いのハヤカワ。こんな気分でいられるのは何年ぶりだろうか。
「——あ。少佐の方が先に着いてら」
 ハンドルを握るランツが呟いた。一台のセダンが前方に停まっている。こちらに気付いたのか、運転席から見慣れた顔が降りてきた。
「フェスターのやつ、何だって言うんだ?」
「さあ。自分はただ、隊長をここにお連れするよう言われただけですから」
 ハヤカワは眉をひそめると車を降りた。フェスターがゆっくりと彼に歩み寄る。
「わざわざお呼びだてして申し訳ありません」
「構わんさ。それよりなんだ? 呼び出すからにはよほどのことなんだろうが」
「大尉、いや、中佐にぜひお会いしていただきたい方がおりまして……」
 フェスターに促されるままに、ハヤカワはセダンに目をやった。と、その視線が釘付けになる。いるはずのない人物の姿に、ハヤカワは一瞬、声を失った。
 ドアの脇にひっそりと佇む黒髪の女性——。
「……どうして」
「二年前、中佐に会いたいと。結局は会わずじまいだったんですが。今は4バンチで……」
 隣でフェスターが教えるが、ハヤカワの耳には、その半分も入っていなかった。
「サリナ、どうして……」
 呆然と尋ねるハヤカワに、黒髪の女性——サリナは小さく笑みを返す。が、その瞳は濡れていた。
「……帰ってきた」
「え……?」
「目。別れたときと同じ、優しい目」
 彼女はそう言って、いまだ困惑気味のハヤカワにもたれた。彼の胸板に顔を預ける。しばしそうして、彼の温もりを感じていたサリナは、やがて絞り出すように、ぽつり、ぽつりと語り始めるのだった。
「……別れた時には、こんな気持ちになるなんて思ってもみなかった。でも、戦争があって、コロニーを転々として……とても心細かった。私にはあなたが必要だと分かったの」
 そこでまた、ハヤカワの胸元に顔を押しつけるようにして間を区切ると、僅かに潤んだ瞳をゆっくりと上げる。
「あなたの無事を知った時は、本当に嬉しかった。私は居ても立ってもいられず、あなたに会おうとここに……。でも、二年前のあなたは違った。あんな怖い顔、初めてだった」
「………」
「だから私、フェスターさんにお願いして待つことにしたの。以前の優しいあなたに戻る、その日まで」
「……サリナ」
「——また、私と暮らして下さいますか?」
 静かに、じっと見つめられたハヤカワは、だが、それを素直に受け止めることができなかった。なぜなら、
「サリナ、俺は……」
「知ってます。フェスターさんに全て伺いました。……ドナさんのことでしょう?」
「あ、ああ……」
 ハヤカワの孤独を癒した女性、ドナ。共和国軍士官であり、パイロットでもあった彼女は、〇〇八八年のネオ・ジオン動乱で命を落とした。それはハヤカワの心に、いまだ暗い影を落としている。
 と同時に、それはサリナに対する後ろめたさの源でもあった。
「サリナ、俺はもう、君の好意を受けられるような男じゃ……」
「止めて。それ以上言わないで」
 サリナは大きく首を振った。
「……あの時のあなたには、ドナさんのように支えてくれる人が必要だった。そうさせたのは私のわがまま。あなたは何も悪くないわ」
 いっそう潤んだ瞳で見上げるサリナ。
「あなたの苦しみを、私にも担がさせて下さい」
「サリナ」
 ハヤカワはもう、それ以上言えずに、サリナの肩を抱いた。腕を回し、そっと引き寄せ唇を重ねる。
 サリナもそれに応えた。ハヤカワの首筋を両手で抱え、自ら顔を押しつける。まるで六年間の空白を埋めんとするかのような、熱い抱擁だった。
「チエはどうしてる?」
「ホテルよ。あの子ももう十歳。でも、サンタパパの来るのを今でも待っているわ」
「そうか……」
 言って、再び唇を重ねる二人。頷くフェスター。ランツ曹長は携帯電話を片手に、そっとその場を離れるのであった。
 宇宙歴〇〇九二年年一二月二四日。この日、サイド3・3バンチに降った雪は、例年にない美しさで、町並みを白く染め上げた。全てのわだかまりを無に変えて……。

 宇宙歴〇〇九九年四月、ツイマッド社会長コンスタンティン・ドロール死去。享年八十七歳。翌〇一〇〇年の元日、ジオン共和国のデイヴィッド・ウェーバー首相は、ジオン共和国の自治権放棄を宣言した。
 それと前後して、ジオン共和国軍内部に深刻な事態が発生。が、連邦宇宙軍の迅速なる行動の結果、反乱分子は一掃され、危機は未然に回避された、というのは連邦スポークスマンの言である。
 ジョージ・ハヤカワ、及びランドリュー・フェスターの名が地球連邦宇宙軍の軍籍簿から消えるのは、自治権放棄宣言から三日後の〇一〇〇年一月四日。

 ——雪の音はもう聞こえない。

「共和国緊張」完

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