告死天使

作:澄川 櫂

SCENE. 1

 三条の飛行機雲が天を目指す。それはやがて一つとなり、二つ眼を備えた鋼の巨人が姿を現すことだろう。
 灰色の、こちらは一つ眼しか持たない別の巨人が、後を追って上昇に転ずる。が、間に合うまい、と彼は思うのだった。案の定、灰色の狩人が放った光跡は、横合いから飛び込んできた影によって遮られる。
 悔やむような響きの舌打ちは、彼の耳にも確かに聞こえた。
(あなたらしい最後でしたよ、艦長キャップ
 呼びかける青い瞳は、飽きもせず繰り返されるそれらの動きを克明に捉えながら、なおも天の一点を見つめて離れない。視覚にはまだ上がらないものの存在を、彼は雲の向こうに感じていた。

 ——空が、落ちてくる

 誰が言い始めた言葉だろうか。その語源は、ようとして知れない。だが、この感覚を表現する言葉として、これほど適切なものもないだろう。頭上を覆う圧迫感。吹き寄せる風は重く、蠢くように囁き合う。
 それでも、彼の聴覚は聞き覚えのある声ばかりを確実に拾っていた。僅かに耳を傾ければ、不快な雑音はたちどころに消え失せ、際だつ口調は語る者の姿形を色鮮やかに思い起こさせる。
 彼は納得し、そして、巨人達のことを忘れようと思った。それは、人の心を狂わす異形の戦士。彼が求める姿はそこにない。不意に軽くなる心の内の、前にも増して澄み渡っていく様を愉快に思いながら、彼は待つことにした。
 その時が来れば、彼女は必ず現れるのだから……。

 MSモビル・スーツジムⅢを駆るフレデリック・ノーマン曹長は、ネオ・ジオンを称するアクシズ軍の、理不尽きわまりない攻撃を凌ぎながら天を見上げた。灰色の雲はどんよりと重く、まるで全てを覆い隠す緞帳のように立ち籠めている。
「クッ……!」
 警告音と同時にコントロールスティックを倒したノーマンは、右急旋回の圧迫に歯を食いしばりながら、憤りを込めてトリガーを押し込んだ。現地調達と思しき濃緑のハイ・ザックが、火を噴いて海面に落ちて行く。
 宇宙世紀〇〇八八年一〇月三一日。ここダブリンの街は、ただならぬ喧噪の渦中にあった。宇宙時代を迎えてもなお、数万人の人々が暮らすその街に、あろう事か、スペース・コロニーが落下しようとしているのである。
 スペース・コロニー。それは、人類が宇宙という新天地で生活するために建造した、史上最大の建築物である。直径六キロメートル。全長に至っては、実に三二キロメートルにも及ぶ代物だ。円筒形のその構造物は、内部に人工の大地と空を備え、人類第二の故郷として、遙か天空に鎮座しているはずだった。
 だが、月と地球の微妙な重力バランスの下で軌道を維持しているコロニーを、そのどちらかにぶつけることは意外と容易い。幾ばくかの権力と武力を持ち、自らの行為が引き起こす結果についての想像力に欠ける者。あるいは、想像した上で呵責するほどの良心を持ち合わせない者にとって、それは造作もないことなのである。
 彼らの指導者がどういう人物であるかは知らないが、少なくとも、今現在こうして攻撃してくることの意味を考えるならば、後者であるのだろう。なぜなら、この攻撃は示威行為としての見せしめ——生け贄を捧げる儀式——なのだから。でなければ、舷側と上甲板に大きく赤十字を描き、避難民を満載した民間船舶を沈めたりはしない。
「アウドムラは……?」
 敵の後続がないのを確認したノーマンは、ダブリンの街の方角へと目をやった。彼の母艦であるオレンジ色の巨大な航空機は依然として健在で、戦闘空域のさらに上空をゆっくりと旋回している。
 その腹部にある格納庫に向けて、黄色いコンテナを載せた輸送機が数機、足早に上昇していくのが見えた。ドダイ改と呼ばれる座布団型の飛行機は、本来、空中戦を展開するモビルスーツのサポート用に開発された兵器である。が、この非常時下にあっては、避難民を輸送するためのシャトルとして、アウドムラと空港の間を足繁く往復しているのであった。
 史上最大の航空機、ガルダ型輸送機の一族たるアウドムラは、そのずば抜けたペイロードを生かし、一人でも多くのダブリン市民を救おうと躍起になっていた。だが、ダブリン空港はこの巨大な輸送機を受け入れるほどの滑走路を備えておらず、また、コロニー落着までの時間が差し迫った状況では、平時のように洋上に着水することすらままならないのである。
 結局、むなしく旋回することしかできないアウドムラは、体内に飼っているドダイ改を予備機もろとも放出することによって、憂さを晴らしたらしかった。普段は無人で扱われることが多いドダイ改も、この日ばかりは大半の機体にパイロットが搭乗している。空中で防衛に衝いているジムIII隊の、足に選ばれた機体を除けば、ほぼ全てが有人機であると言ってよい。
 モビルスーツの数を減らしてまで、ドダイ改のパイロットを揃えたのである。アウドムラ隊のパイロット経験者は、その巨体を御する数人を残して全て出払ってしまっていた。いざとなれば、彼らは迎撃機に転じてアウドムラを守るのである。人手不足が成せるわざとは言え、艦長自らその任に就いていると知れば、さしもの敵も呆れることだろう。
『ノーマン曹長、聞こえるか! こちらコバヤシ』
 その艦長より通信が入った。応答を返す間もなく指示が飛ぶ。
『洋上より侵攻する敵影を捉えた。アーガマ隊の支援に向かえ!』
「……。ノーマン了解」
 短く答えた彼の表情は、複雑だった。
 今回の救出作戦には、カラバのアウドムラ隊の他に、宇宙から降りてきたアーガマという宇宙戦艦が参加していた。反地球連邦政府運動の頭文字を取ってエゥーゴと称する軍隊の、中核に位置する艦である。
 数日前にダブリンを発ったアーガマだったが、同盟関係にあるカラバの要請に応じて、その白い船体を再びダブリンの空に浮かべていた。救助活動に専念するアウドムラ隊に代わり、防空任務の大半を引き受けてくれたのである。だが、艦載機の若すぎるパイロット達を知ったとき、支援を求めたことが果たして正しかったのか、ノーマンなどは本気で悔やんだものだ。
 ガンダムのパイロットが若いことは、噂には聞いていた。が、あそこまで若いとは思いもよらない。十五歳と言えば、まだ子供もいいところだ。それがアーガマの戦力の中心というのだから、暗澹たる気分にさせられる。
「確かに、腕は良いが……」
 敵機と交戦中のコアファイターをメインディスプレーに拡大させると、ノーマンは呟いた。モビルスーツの脱出用ポッドに過ぎない機体で、完全装備のモビルスーツを翻弄する様は尋常ではない。
「これでは、まるで……」
 その時、グレーのモビルスーツがモノアイを煌めかせながら彼に迫った。けたたましい警報音。急制動で回避するジムの脇をビームが掠め、その腕からシールドを吹き飛ばす。
 激しい振動に耐えながら顔を上げる。眼前には、サーベルを振り上げるザクの姿。右腕を突き出し、引き金を引く。が、ビームはグレーの残像をむなしく引き裂くばかり。
 ベースジャバーを蹴ったザクが、飛びかかりざま、彼に向かってビームサーベルを振り下ろす。初撃を辛うじてライフルで受けたノーマンのジムは、ライフルの残骸を投げつけると宙に逃れた。無駄と知りつつ、頭部のバルカン砲を連射する。
 案の定、爆煙を突き破って襲い来るグレーのザクに、目立った損傷は見受けられない。四散するドダイ改の破片をものともせず、腰のビーム砲で応戦するその瞳には、血に飢えた獣のごとき光が赤々と灯っている。そして、息も詰まらんばかりの威圧感は、彼を圧倒した。
 ベースジャバーに降り立った狩人は、自由落下に身を任す、哀れな獲物に狙いを定めた。一気に距離を詰めると、再びサーベルを抜いて彼に肉薄する。
 迫り来る光の刃。その向こうで彼を見つめる赤い瞳に、ノーマンは懐かしい死神の姿を見た——。

※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。