機動戦士ガンダムΖΖ外伝三部作

作:銭湯犬

白兵戦 〜 U.C.0088/03/26 Yakutsk

 朝霧にぼやける丘の稜線に、二人の影が張りついていた。
 荒涼とした大地は氷点をはるかに下回る大気に包まれ、凍てつき、保温シートを介してもその冷たさが伝わってくる。
「……明日は、つらい一日になるわね」
 セイは、大型の双眼鏡から目を離すと呟いた。その声は、傍らの同僚にも聞こえたらしい。
「補充で送られてくる奴も、ついてませんね」
「そうね」
 セイはしばらく沈黙してから、小声で付け加えた。
「彼女は、いつもついてなかったわ……」
「お知り合いなんですか?」
「同期よ」

 エゥーゴとネオ・ジオンの挟撃によって、指揮系統が完膚無きまでに崩壊したにも関わらず、ティターンズの生え抜きは、その多くが抵抗を継続していた。
 上部構造の壊滅が、あまりに完璧だったからだ。新たな指令が降らない以上、最後の命令を遵守するのが組織である。
 終結したはずの(否、公式にはそもそも始まってすらいなかった)内戦が、地球の各地で継続しているのはそのためだ。
 一部の部隊は、ジオンの生き残りやネオ・ジオンとの同盟に生き残りを賭けているとすら囁かれており、一刻も早い武装解除が求められていた。
「ミヒャ・ハン中尉、本日付けで、第42師団第1連隊機動大隊、C中隊第09MS小隊に着任しました。以後、宜しくお願いします」
「小隊長のセイ・カヌマ中尉です」
「アレクセイ・コロリョフ少尉です。よろしく」
「早速ですが、明日の作戦の概略について、説明に入ります」
 セイは、手元のポインターを点けると、ボードに張り付けた液晶シートに向かった。
 表示された地図の上には、ウラジオストクで再編を終了した連邦地上軍第8軍が、包囲網を狭め、近隣の拠点を破壊しながら、ヤクーツクへと迫る様子がシンボルで動画表示されている。ヤクーツクは、東アジアにおけるティターンズ残党の最大の拠点である。
 セイ達が所属する第42師団は、第8軍の先陣として機能中であった。
 明日は、ヨーロッパ方面への最後の撤退路を預かる砦、閉鎖都市クレヤノフ34攻撃の日だった。 

 ブリーフィングの終了後、セイはミヒャを誘って、喫茶スペースのあるテントに出かけた。テントとは言っても、ちょっとした体育館ほどの広々としたスペースに、充分空調が効いている。
「久しぶりね、ミヒャ」
 腰を下ろすと、セイはくだけた口調で話しかけた。
「卒業以来、かな……いや、ティターンズの選抜試験以来ね」
「思い出したくないこと、さらっと言ってくれるじゃない?」
「あ……ごめん」
「あいかわらず、すぐ謝る。駄目よ、今は上官なんだから」
「わかってるなら、止めて欲しいな」
 ミヒャとセイは、どちらからともなく微笑んだ。
 彼女たちは、同じ東アジア系の女であるということもあって、士官学校でもいちばんの友人だった。
 二人と、まだティターンズにいるはずのエマ・シーンという娘は、いつも一緒に行動していた。
 女同士のこうした友情を理解できない他の学生達からは、奇異の目で見られたものだ。 3人で、一緒に旅行したこともあった。
 少し前までセイが展開していた、日本の北海道だ。
 エマの運転するオープンカーで、夏の日差しの中を走った。
 この時間が終わらなければいいと思っていた自分を、セイは思い出した。
 3人は、優秀な成績で学校を終了した。そして当然のように、そろってティターンズの選抜試験を受験した。
 そして、ミヒャだけが不適格と判断され、聖三角形は永遠に閉じた。

 セイのMS小隊は、モビルスーツ・GMII(PAC3)2機、後方支援用の新鋭機GMIII1機で構成されている。また、随伴歩兵として、”ガンドッグ”と呼ばれる偵察分隊が随伴していた。
 偵察分隊には、1輛の軽ホバークラフトに搭乗した、3人の乗員と4人の歩兵が加わっている。
 この、合計10人の命を、セイは預かっていた。一人きりで戦場に出ていた一月前までとは、責任の重さがまるで違う
「気楽じゃないよね、こういうの」
 セイは、不安を軽口で表現した。
「それで給料もらってんだ、愚痴らないの」
 ミヒャも昔と同じ調子で返してくる。
 セイとミヒャ、そしてもう1機のGMは、通信ワイヤーがぎりぎり届く、1キロの間隔をとっていた。
 ワイヤーが弛んで地面に落ちないように、同期を取っての自動歩行は、楽ではあったが、確実に戦場に近づいているという緊張感を与えた。それが軽口になっている。
「あと3キロで、敵性地域です。散布兵器情報は依然グリーン」
 先頭を行く、コロリョフ少尉からの報告が入った。
「そろそろワイヤーを切ろう。全員の武運を祈る」
「了解」
「了解、はやく終わらせてお風呂入りたい」
 ミヒャは、最後まで軽い調子だった。それが彼女なりの、緊張への対処方だということを、セイはよくわかっていた。

 セイは、コロリョフのGMIIIを後方に残し、ミヒャとバディを組んで前進を開始した。
 なるべく慎重に進みたいところだが、作戦展開のスケジュールと少ない持ち駒の制約から、それにも限度がある。
 前線の歩兵は、哀れな血塗れの山羊なのだ。
<09小隊、散兵線に穴が開いている、1機を丘の側方に展開させろ>
 前線統制官にそう言われれば、従うしかない。
「ミヒャ、私が迂回する。慎重にね」
「りょう、かい!」
 いつもより太く強い声が、ミヒャが不安を押し殺していることを、セイに教えた。

 戦場とは、本質的に偶然性が支配する空間である。
 戦闘に勝利するには、偶然性を味方につけねばならない。
 しかし、偶然はいつか裏切るから偶然なのである。
 その偶然を、如何に必然に近づけるか。それを心がける努力こそ、戦闘に生き残るためには最も重要な要素だ。
 セイは、決して戦場で英雄になろうとしたことはなかったし、細心の注意を払って生き残ろうとしてきた。
 しかし、丘を迂回した直後、彼女のMSは機能を停止させられるほどの打撃を受けた。 対戦車壕と爆導索を組み合わせたごく原始的な罠に、両膝を折られたのだ。

 これが現実。受け入れるしかない。
「白兵か……」
 頭を振り、転倒時に受けた打撃を振り切ろうとしながら、セイはサバイバルキットの突撃銃と、腰の大型拳銃を点検し、弾薬を装填した。
 狙撃兵がいるかも知れない。ハッチを開けた途端に死んだ戦車兵の話が頭を過ぎる。
「南無三!」
 緊急開放したハッチから転がり出ると、防御姿勢を取り、”ガンドッグ”を探した。
 ”ガンドッグ”の主な任務は、ソナー情報の収集による索敵と、歩兵などの低レベルな障害の排除だが、脱出したパイロットの保護もその一つである。
 耳をすませ、軽ホバーが装備するバルカン砲の、特徴ある射撃音をさがした。
(戦場って、うるさいものね)
 普段、周囲の環境から遮断されたコックピットにいると、そのうるささは耐え難いものに感じる。昔演習場で聞いた、砲弾が装甲に着弾する音によく似た音が、続けて響いていた。
 そのはずだった。轍を這いずりながら丘の稜線を超えた途端、数キロ先の路上で、ミヒャの機体が十字砲火を浴びているのが目に入った。
 120mmクラスの徹甲弾が、GMの、決して厚くはない装甲をぼろぼろにしていた。セイの支援を失ったミヒャは、迂闊な機動で罠にはまったのだ。
「ミヒャ! もう保たない、脱出して!!」
 セイはこめかみの振動マイクを押さえて、叫んだ。通信を敵に捕まれる恐れもあったが、
そんなことを言っている場合ではない。
 激しいノイズに混じって、恐怖を必死でこらえるミヒャの声がかえってきた。
「セイ!? わかってる。でも……」
 砲撃が激しすぎて、ハッチから出るに出られないのだ。
 かといって、背を向けたら薄い背面装甲を破られ、即座に撃破されるだろう。
 セイは歯がみした。こんな時に何もできないなんて……。
 否。
 何もできないなんて事はない。
 セイは、サバイバルキットからガン・コンピュータを取り出すと、銃口をミヒャのGMに指向させた。トリガーを引いている間、音声と電磁波の情報が入力されてゆく。
 着弾しているのは、やはり、120mmマシンガンの徹甲弾だ。弾道を探る。
「戦場観測機はどこ!?」
 空を見上げると、鳶に似た無人機が旋回しているのが目に入った。
 コンピュータの狙いを鳶に定めると、セイは情報を送信した。
 長い十数秒が過ぎた。そして地響きが起こった。さらに少し遅れて、黒い影と亜音速の風切り音。
 GMIIIが装備するロケット重砲の列が、マシンガンの予想位置に向けて火を噴いたのである。

 セイとミヒャの通信を拾った”ガンドッグ”は、セイを回収するとすぐに、ミヒャの救出に向かった。
 ミヒャからの通信は途絶えていた。彼女の機体の通信システムは、完全に死んでしまったらしい。そしておそらく、彼女はまだコックピットに閉じこめられている。
「中尉、急いで下さい。敵の歩兵が展開してくる可能性が高い」
 偵察分隊を指揮するバーリントン軍曹が、緊張でうわずった声で怒鳴った。
 ティターンズは、MSやロケットといった重装備の数で劣る点を、歩兵による白兵突撃で補う戦術を採っていた。
 それは、すでに八方破れになった軍の捨て身の選択だったが、それだけに危険なものがあった。前世紀の大戦でも、原始的な装備しか持たない日本人を相手に、世界最高の装備と練度を誇るアメリカ海兵隊が大損害を出した例がある。
 ホバーは、立て膝の姿勢で盾を構えたまま擱挫しているGMの、正面に横付けした。
 4人の歩兵は、側面ハッチを開き、突撃銃を構えて周辺に展開した。ホバークラフトの装甲は薄く、本格的な攻撃には気休めにしかならないが、迫撃砲の破片を避ける位の役には立つ。
 セイは、一直線にGMのハッチに取りついた。ひどい損傷だ。嫌な想像が頭をよぎる。 銃声が響き、装甲が火花を発した。とっさに伏せるが、射点の見当がつかない。
「支援して!!」
 セイは絶叫すると、上半身を起こして突撃銃を乱射した。”ガンドッグ”も、弾薬をセーブしながらもバルカン砲を掃射する。
 交差点に立つ壊れかけた商店が、土煙と共に完全に崩壊した。
 弾切れを起こした銃を投げ捨てると、セイは再びハッチに取りついた。
「待っててね……今出してあげるからね……」
 コンソールが直撃で吹き飛ばされていたため、手動開放用のハンドルを引っぱり出す。クランクが歪んでいる。下手な力を掛けると折れそうだ。
「ちっきしょう!」
 セイは苛立ちながらも、渾身の力を込めてハンドルを回した。クランクの歪みは軸にまで伝わっていて、本来なら数十グラムの力で動くハンドルの操作を、ひどく困難なものにしていた。
 少しずつ、ハッチが開いていく。良かった。
 また銃声。セイはもう気にしなかった。
 やっと身体が入るほどの隙間が出来た。セイは、ケミカルライトを放り込んでから、コックピットにもぐりこんだ。
 ミヒャは、生きていた。涙や鼻汁でぐちゃぐちゃになった顔は、苦痛に歪んではいたが、
はっきりと彼女の暖かな息吹を伝えてきた。
「遅くなって、ゴメン。助けに来たよ」
「ホント、遅いよ」
 ミヒャはとぎれとぎれに、それだけ言った。

 ”ガンドッグ”は、ミヒャを回収するとすぐに、後衛として防御態勢を取っているコロリョフ少尉の展開線まで後退を始めた。
 衛生兵が、痛み止めの麻薬を圧入すると、ミヒャは、少し落ち着いた。
 少しすると、ミヒャは、薬のせいか妙に潤んだ目をして、セイのことを見た。
「な……何よ」
 あまり長いことみつめ続けるので、セイは照れくさくなって聞いた。
 しかし、ミヒャは答えなかった。
「私ね、生きて帰れたらあなたに言おうと思っていたことがあるの」
 しばらくして、ミヒャは突然そんなことを言った。
「へぇ。何か大切なこと?」
「うん。……私、あなたの事好きだったのよ。知ってた?」
「え……?」
「私が連絡を切ったの、ティターンズに落とされたからだと思ってたでしょ。違うわ」
「じゃあ、何故?」
「エマから聞いちゃったの。あんたに男が出来たって」
 男、と言う単語は、セイの傷を抉った。
「私、北海道で、……ミッシェルを殺したわ。殺して、しまった」
「知ってる」
「今は、人を愛したくない。愛せない」
「そんなこと……」
「私には人を想ったり、他人を愛する資格なんて、きっとないんだ」
「そんなことないよ! 私を救ってくれたじゃない!」
「え……? それは、任務だから……」
「嘘よ!」
 ミヒャは、それっきり横を向いて黙り込んだ。

 クレヤノフ34の陥落後、ヤクーツクのティターンズは降伏した。
 ティターンズの武装解除に当たっている最中に、退院したミヒャが小隊に復帰した。
 セイは、何となく気まずくて、ミヒャに話しかける言葉がみつからなかった。
 だが、ミヒャはそんなことお構いなしに、にこにこしながら近づいてきた。
「セイ、あのね」
「な、なに?」
「この前言ったことね、あれね」
「う、うん」
「う・そ」
「な、何が?」
「うふふ」
「ちょっと!、なにがよ!」
 コロリョフが、話に加わった。
「何ですか小隊長。楽しそうじゃないですか、私も混ぜて下さいよぉ」
 新たな三角形の始まりだった。

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