機動戦士フェニックス・ガンダム

作:FUJI7

1 トリコロール

<航空機の空気を切り裂く音というものは、不快だ>
 ジャン・アシドラルは、工場の薄い屋根を突き抜けてくる高い音を聞いて、それを仕草に出した。正確には、それは航空機ではないのだが、しかし、それも間違いではない。
「嫌いなのか?」
 ジャンの言外の弁を聞いて、隣にいる、中年に見える男がシニカルに笑った。
「いえ………」
 どうしてこうも思惟が前面に出てしまうのだろう? ジャンは男の笑みを振り払うように首を振った。
「駄目よ、コードおじさん。ジャンは感じやすいんだから!」
 姉貴ぶった言葉は、工場の敷地の隣で営業している喫茶店の娘、メリィが吐いたものだ。
「ククク………」
 コードと呼ばれた男の笑いは野卑をタップリ含んでいて、それなりに性的経験を積んでいたメリィには、その意味が明確に伝わった。
「………!」
 プッとふくれるメリィだったが、当のジャンにはメリィが怒る訳を想像出来ない。
「ククク………」
 そんな若者達のやり取りが、コードには心底おかしく、遠い過去を懐古させると同時に、羨望も感じさせるのだ。
「いやあね、」
 とメリィはコードのセクシャル・ハラスメントの視線から逃れようと、ジャンのイノセントな瞳に視線を移した。
「………………?」
 コードが笑っているので、意味もわからず釣られて笑っているジャンだったが、メリィの視線を感じ、軽い笑みを浮かべたまま視線を合わせる。メリィはジャンの目を見て、ハッとする。
<!………美少年なんだ………!>
 ジャンを一言で表現すれば、そうなるだろう。一八歳になるメリィよりも二つ三つ、若い筈だ。西洋系の顔立ちをしているメリィにとって、オリエンタル・ムードの漂うジャンの黒い瞳は、面細の印象も相まって、この上なく美しいものに見えた。
 ジャンの華奢な体には、年上の女性を『母代わりになりたい』と思わせる波動と言えば適切だろうか、『守ってあげたい』という衝動、どんな女性にも存在する、母性を喚起させるのである。
「おい、ジャン。少しはネエ様の思いも理解してやんな」
 ドン、とジャンの背中を叩くコード。この男も、細いと言えば細いのだが、『華奢』なのではなく、『シャープ』なのである。齢五〇を過ぎている筈だが、精悍な顔つきも相まって三〇代後半にしか見えない。そしてこのコードに年相応の落ち着きはない。基本的にせっかちで、意地悪。計算高い性質なのだ。
 ジャンは男の問いかけに軽く笑う。機械が散乱する工場内に、パッと小さな花が咲いたようになる。
「ジャンは良い子ね」
「ハッ、そうでなきゃ、誰が拾ってくるかよ」
「人を犬か猫みたいに!」
「怒るなよ。俺は事実を言っただけさ」
 それは真実だろう、とメリィにも思える。
「それに、コイツは機械に対してのセンスって言うかな、その、センスに長けてるんだ。丁度従業員も欲しかったしな、願ったり叶ったりだ」
「そうなの?」
 メリィが訊くと、ジャンはわからない、と首を傾げた。
「言葉が少ないのが『玉に瑕』だけどな」
 とコードが言ったところで、先の『騒音』よりも、一段激しい音が響いた。
「チッ………」
 コードは舌打ちし、傍らの窓を開けた。そしてもう一度、舌打ちし、独り言を吐いた。
「プロト・ゼータ?」
 その視線の先にはトリコロールに塗り分けられた航空機………と言うには余りにも不格好な機体が、ランディング姿勢に入るところだった………があった。
「物好きが塗ったんじゃないの?」
「そうかもな………」
 コードは鼻で息をしながら吐き捨てた。ミリィには、コードの目が血走っているように見えた。連邦軍には『ガンダム伝説』とやらがあるらしいのはアングラ雑誌などでミリィも見聞きしていた。が、実際に塗っている機体を見たのは初めてだった。
「ZPlus……F型ですよ、アレ」
 ジャンが口を挟んだ。
「わかるのか?」
 ジャンはおかしな事に、コードに訊かれた時、「わからない」と言った。それに対してコードはただ、「そうか」と言っただけだった。ジャンの、知識から出た言葉ではない事がわかっていたからだ。もっと、心の奥底にあるもの………深層意識に類するものが言わせた言葉だろう、とコードは知っていたからだ。
 この辺り、メリィはジャンに不思議な人物だ、との感触を得るのである。今、目の前にいるジャンは、本当は違う名前で、違う人物なのではないのか、と。そして、強ちその想像は強引ではなさそうだ、とも。でなければ、一年前に、まるで逃亡者のような出で立ちで現れ、工場の経営者であるコードに拾われ、旧式のジェガンタイプとは言え、いきなりモビルスーツの修理をこなせた事を、どう説明すればよいのか?
 これまた伝説の、『ニュータイプ』とやらか? いや、あれは単なる戦争の道具だろう、とメリィは自説をあっさり否定する。あんなものはプロパガンダに過ぎない筈だ。それに、ここは地球である。『ニュータイプ』は『宇宙人』でなければ発現しないものだ、と、これもアングラ雑誌が言っていたことだ。
「この間の『三角形』と言い………プサン基地に新型配備だって?」
 コードはこれから何かが始まる予感を感じたのだろうか、再びシニカルに笑ってみせた。ZPlusそのものは決して珍しい機体ではなく、急進的な反地球連邦運動の、衰退もあって、GMタイプのモビルスーツ以外では、少数で広範囲をカバーできるZ系モビルスーツは人員削減の為に配備は必然とされ、この時代にも改良、量産が続けられている。が、この田舎基地のプサンには、Z系は配備されていない筈なのだ。
「コードおじさん、じゃ、私、もう行くね。お母さんに怒られちゃう」
「ああ。サンドイッチ、有り難うな。母さんにも宜しく言っといてくれ」
「ふふ……私に届けさせないで、偶には店に食べに来たら?」
 お母さんもまんざらじゃないのよ、とメリィは含み笑いを返す。
「ハッ………コイツが外に出たがったら、考えとくさ」
 手間の掛かるヤツだな、とコードはジャンの髪の毛をグシャグシャ、とかき回す。
「そうね。それもそうね………」
 メリィは勿論、この一年の間、ジャンが工場から一歩も外へ出ようとしない事を知っている。だからこその配達であり、それが楽しみでもあるのだ。
「じゃ、ね」
 うん、とジャンも寂しそうに言った。メリィの姿が見えなくなると、小さく溜息をついた。
「ハン、色気付きやがったか?」
「え………」
 ジャンは頬を染め、俯いた。その恥じらいが嫌味でなく、似合ってしまう少年が、ジャンであった。
 コードは先刻よりも野卑さをグレードアップした笑いを見せた。
<興奮している?>
 ジャンはコードを見て思った。が、その理由までは思いつかない。
「さ、このポンコツを直してやろうぜ!」
 コードは背伸びをしてジャンに背を向けた。その、背中に、ジャンは興奮している理由を見付けたような気がした。
<この人は、元来、戦士なんだ。不測の事態が起こることを期待してる………退屈な日常を打破したいと願っている………>
 と。これはジャンの意識が感じたもので、思う程にボキャブラリは豊富ではない。言葉にすればそうなる、と言うことである。
 そして、ジャンの想像する『理由』は、正しいのだ。
 第一次ネオ・ジオン抗争の時期に地球に降下して以来、流れついたのが、旧韓国の港町、ここ、プサンなのである。抜け目のない彼は、連邦の海・空軍統合基地に隣接するように暮らす人々に紛れて、ジャンク屋を営んでいるのだ。軍の方も、コードが不法居住者であることを知ってか知らずか、自分達で手の回らないモビルスーツの修理を依頼してきたりもする。
 それは、統合基地とは名ばかりの小基地であるプサンならではの統制の緩やかさであり、その寛大さが、ここを不法居住者の巣窟としている要因でもあるのだ。
 安穏さが覆っているプサンに何が起ころうとしているのか? その想像はコードにとって楽しく、血の騒ぐ出来事なのだ。
<不謹慎、かも>
 ジャンは思い、それもコードの性癖なのだろう、と諦めてもみる。何しろ、彼はジャンを拾ってくれた恩人なのだから。

 宇宙世紀0106年。この田舎の基地から、抗争の火種が撒かれるとは、ジャンに予想のつく事ではなかった。

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