GoyouDa! - 冬の夜の大捕物 -

作:澄川 櫂

第1話 始まり時は丑三つ

 突然降って湧いた金髪の大男に、菜穂は声もなかった。呆然とまん丸く見開く目の前で、今し方書き上げたばかりのレポート八十枚が、コタツもろとも見るも無惨に砕け散る。
 ここは彼女の自宅マンション、時間は午前三時を過ぎたところだ。
「あ、あ……」
 頭を振り、左手で頭を押さえながら大男が立ち上がってもなお、菜穂は口をパクパクするばかりで、言葉もそれしか出てこない。今日が期限のレポートを台無しにされたのだから、仕方ないと言えばそれまでだが、この時ばかりは迂闊すぎた。
 ひたすら六時間後の講義の心配をする菜穂をよそに、大男は自らが潰したコタツの足を拾い上げる。そして、野獣の如き雄叫びを上げると、それを大きく振りかざすのだった。
 耳をつんざく野太い声に、ようやく我に返る菜穂。顔を上げると、そこには野人がいた。いや、なにも比喩でものを言っているのではない。
 男の顔はいつの間にやら毛むくじゃらで、張り裂けたシャツの胸元に覗く胸毛も、それこそ毛皮のように茂っていた。菜穂の太ももほどはあろうかという、筋骨たくましい二の腕。胸板は厚く野性の力を得、シャツを下から押し上げる。野人という表現がぴったりの変わり様だ。
 そんな大男が、形相も凄まじく石斧、じゃない、コタツ足(割れた天板付き)を振り上げ、彼女に躍りかかって来るではないか。その恐怖、推して量るべし。
「———!」
 声にならない悲鳴を上げて、菜穂はその場にうずくまる。両の腕で頭を押さえ、ただただ身を固くするばかり。
 だが、苦悶の叫びを上げたのは、意外にも大男の方だった。
「ぎぃやぁぁぁぁっ!!」
 バリバリッ、という空気を震わす激しい音。叫びから呻きへ変わる男の声。そして、
「あー、やだやだ。子供相手に薬まで使うなんてさー」
 場違いとも思える間延びした言葉が、子供の声音で部屋に響く。
 恐る恐る顔を上げる菜穂。すると、そこにはいつどこから現れたのか、男の子が一人、片膝を突く野人を前に立っていた。
 歳の頃は小学校の一、二年生くらいだろうか。ヘルメットにプロテクターと、まるでローラーブレードでもするかのような格好であるが、メットにはバイザーと短いアンテナのようなものが付いていて、なんとなく勇ましい感じだ。
「おっちゃん、意地ってものが無いんだね」
 にっ、と歯を見せて笑う少年。その顔は冬のただ中にあっても夏を連想させる小麦色だった。目元を隠すバイザーのおかげで顔立ちまでは判らないが、明朗快活な印象を受ける。
「ほらほら、そろそろ降参すれば?」
 手にした十手でつんつんと、楽しそうに野人を突っつく少年。一方、突っつかれる側の方はと言えば、焼け焦げた顔で怒りも露わに少年を睨み付ける。
 一体、この子は男に何をしたんだろう?
 ようやく回転の戻った頭で、菜穂がぼんやり思っていると、
「うがぁっ!」
 吠えると同時に、野人が左手で少年を振り払った。続けざまに薙ぐ右手の爪が、瞬時に鋭く長く伸びる!
 菜穂は思わず両手で顔を覆った。男の子がその刃のごとき爪の一閃で切り刻まれる姿を想像したからだ。
 だが——。
「よっ、と」
 少年は空を裂く爪に手を突き、ぴょんと身のこなしも軽やかに、難なくそれをかわして見せた。そして空中で十手を左に持ち替えると、右手をつっと前に出す。
 次の瞬間、彼の右手は狙いを定めていた。小さなその手の中に、一体いつ取り出したのか、銃身のないおもちゃのような銃一つ。

 パウッ!

 間髪入れずに引き金を引く少年。ビーム、とでも言うのだろうか、鮮やかな紫の光が一直線に野人を目指す。そして当たる直前、光は野人の眼前で弾けると、パッとその全身を包み込んだ。
「な——!?」
 男が驚愕の声を出す。そう、紫の光の中で、爪の長い野人は金髪の大男に戻っていたのだ。けれども、菜穂がそれを確認できたのは、本当に一瞬のことだった。
 男を包む光が瞬時に内へと収縮する。男の姿もそれにつれて見えなくなり、

 ポン!

 小さく乾いた音を残して、ピンポン大のガラス玉に姿を変えた。この間、わずか数秒。
「イテッ!」
 その向こうに、少年が頭から着地する。
 ……いや、単に落ちただけか。両手で頭を抱え、必死に痛みに耐えている。
「あたた……」
 少ししてようやく立ち上がった少年は、片手で頭を押さえつつ、足下に転がるガラス玉を拾い上げた。ぶつけた頭はかなり痛かったようで、口元はなおもへの字に結ばれている。だがそれも徐々に緩んでいくと、やがて心底嬉しそうに、ガッツポーズを決めるのであった。
「へっへ—、三人目ゲットぉ」
「い……一体、何なの?」
 一方の菜穂はと言えば、さっぱり状況が掴めず困惑するばかり。と、そんな対照的な二人の顔が、不意に合った。
「……あ」
 先に声を出したのは少年の方だ。バツが悪そうに頭をかく。
 どう対応すべきか悩んでいるのだろう。チラチラと菜穂を気にしつつも、視線が合いそうになると慌てて目を逸らす様子が、バイザー越しに伝わってくる。
 だが、それも僅かな間のことだった。少年は一つ頷くと、てくてくと菜穂に歩み寄る。
 そして、
「ゴメンよ! お姉ちゃん!」
 実にフレンドリーな口調でもって、ぺこりと頭を下げるのだった。
「……へ?」
「壊したお部屋はすーぐ元に戻すから、だから、堪忍して。ねっ?」
 両手を合わせ、上目遣いに哀願しつつ、ぺろっと小さく舌を出す少年。
「も、元に戻すって……」
「さっすがお姉ちゃん! 話が分かるぅ」
 困惑しっぱなしの菜穂に構わず、彼は勝手に話を進めた。くるりんっ、とその場で一回転して、粉のようなものを部屋に撒く。黄色い光の粉が、辺り一面にふんわり広がった。
「えっ!? ええーっ!?」
 菜穂の目が再びまん丸く見開かれる。なぜなら、砕け散ったコタツやビリビリに破けたレポートが、瞬きする間に元の状態へと戻っていたからだ。
「ねっ、ねえ、一体何を……」
 恐る恐る少年に尋ねる菜穂。ところが、訊いた先に少年はいない。
「……あれ?」
「こっちこっち」
 きょとんと辺りを見回す菜穂の耳に、少年の声は別のところ、窓の方から流れてきた。冬の香りも色濃い寒風と共に。
 慌てて振り向くと、少年は桟の上に立って楽しげに笑っていた。左手にした十手を掌で器用に回すと、逆手に持って腰に差す。月明かりを反射して、メットのバイザーが一瞬だけ不思議な光沢を放った。
「じゃあね、お姉ちゃん」
 菜穂に向かって小さく手を振ると、少年はふっと窓の外に身を躍らせる。
「ちょ、ちょっと! ここ三階よ!」
 ギョッとして窓に駆け寄り、身を乗り出すようにして下を覗き込むが、彼の姿はそこに無かった。街灯が照らす駐車場はうっすらと白く、足跡一つ見あたらない。細かな粉雪が絶え間なく闇夜に舞うばかり。
「夢、じゃないよね……?」
 自分の頬をつねりながら、菜穂は寒さに震えるのも忘れ、しばし呆然と佇むのであった。