若き鷹の羽ばたき

作:澄川 櫂

18.ア・バオア・クー(2)

「行こうか」
 パウエルのドッグタグを握り締めると、ミハイルはアルバートに呼びかけた。泣きじゃくるモニカを抱き留めるアルバートが頷くのを見て、自機のコクピットへ向けて床を蹴る。
 宇宙で首に下げたドッグタグを外すのは、勇気の要ることだった。パイロットスーツを開けないとならないからだ。構造上、ヘルメットを脱がせなければ首もとに触れることが出来ず、それをやれば仮にまだ息があったとしても、確実に死に至る。言い換えれば、それは死を決定づける儀式であった。
 残った三人の中では、ミハイルが一番階級が高い。自然と彼が指揮を取ることになる。手にしたドッグタグの軽さとは裏腹の、責任の重さがミハイルの肩にのしかかる。
「モニカ、周囲の索敵を頼む。アルバート、残弾は?」
「ビームガンが数発。マシンガンはフル。予備マガジン1。モニカのマシンガンは空だ。ミハイルは?」
「こっちも撃ち尽くした。隊長の置き土産に頼るよ」
 ミハイルはジムにパウエル機のシールドを拾わせながら答えた。裏に二つ架装された予備マガジンの一つをアルバート機に向かって放り、残る一つを自機のマシンガンに装着する。
「こいつもまだ使えそうだ」
 傍に浮かぶビームスプレーガンを乗機に握らせて続けるミハイル。残量的にはこちらも数発分と正直苦しいが、要塞を出るだけならなんとかなるだろう。
「キャノンの残弾3。周囲に目立つ動体反応なし」
 モニカの報告が無線を伝った。その声を聞く限り、どうやら落ち着きを取り戻したようだ。ミハイルは今一度、横たわるパウエルをディスプレイ越しに見やった。
 先に見たパウエルの死に顔は、実に穏やかだった。モニカの立ち直りが早い理由のひとつだろう。リーとヤンが文字どおりこの世から消え去ってしまったことを思うと、それはせめてもの慰めに思えた。
「……よし、元来たルートで要塞を出る」
 モニカ機がアルバート機からマシンガンを受け取ったのを確認して、ミハイルは指示を出した。
「アルバート、先導してくれ。しんがりは自分が務める」
「了解した」
「モニカは索敵と情報収集を」
「解ったわ」
「……ゴー!」

「……通信量が増えてきたな」
 先頭を行くアルバートが不意に口にした。言われてつかの間、無線に注意を向けるミハイル。断片的ではあるが、友軍の周波数帯を揺らす音声が確かに増えている。
「それだけ味方が押している、と思いたいな」
 ミハイルはそう応えて正面に視線を戻した。後方を固める彼のジムはモニカ機と背を合わせる形で後退している。敵の追撃に備えてのことだが、今のところその気配はない。
「まったくだ」
 アルバートの同意を耳にしながら、ミハイルは静かに息を吐いた。無意識のうちに片手をパイロットスーツの胸元に当てる。ちょうどお守りのブーメランがある辺りに。そこから少し左側の内ポケットに、亡きパウエルのドッグタグが入っている。ジャブローに散った同期のパイロット、アンドリュー・キーツのものと共に。
 
 ——生きて戻って、故郷の土に埋めてやれ。

 あの日、弔いの場でパウエルより託されたときの言葉が脳裏によみがえる。
(何があっても戻るんだ)
 パイロットスーツの下の小さなブーメランを押さえつけながら、ミハイルは強く誓った。パウエルとの約束を果たすために。そして、パウエルの魂を彼の故郷へと連れ帰る。モニカとアルバート、自分の三人で。
 これほど思いを込めたのは初めてではないだろうか。
(メイ……)
 宇宙に上がってからというもの、不思議と帰還できないと思ったことはなかった。モビルスーツでの初陣から無事生還したあの時、お守りの効果を本気で信じた。元来た場所に必ず戻るブーメラン。温もりに満ちた木彫りのブーメランは、自分が帰るべきところへ確実に導いてくれる。これさえあれば迷うことはない、と。
 もちろん、今もその思いに変わりは無い。だが、共にジャブローから宇宙に上がった仲間達が皆、一回の戦闘で揃って逝ってしまった現実は、ミハイルの心の片隅に小さな恐れを灯した。自分一人だけが生還してしまうことへの、孤独という名の恐怖の火種——。
(……頼む、メイ。俺たちを導いてくれ)
 だが、それは叶わぬ願いだった。
「え……? 嘘……。そんな……!」
 モニカのただならぬ声が、唐突に無線を伝う。
「どうした、モニカ」
「ヨークトンが……ヨークトンが沈んだ、て」
「なっ……!」
「みんなは⁈」
「分かんないよ! でも、爆沈したって言ってるから……」
 辛うじてパニックを堪えたモニカの、消え入るように続くその言葉に、ミハイルは絶句した。

「ニューマン機、ロスト! 敵機、近づきます!」
「弾幕——」
 コーネリア・ルースとガーランド艦長のそのやり取りが、僚艦サスカトゥーンが受信したヨークトン最期の声である。艦長の記した報告によれば、それは一瞬の出来事であったらしい。
 前線のやや後方において、友軍モビルスーツ部隊への補給の任に当たっていたヨークトンを襲ったのは、ア・バオア・クーの決戦から本格的に投入された新型機ゲルググだった。ヨークトンの右舷後方よりたった一機で飛び込んだその機体は、迎撃するニューマン少尉のボールを難なく撃破。そして、弾幕をすり抜けざまにビームを放った。
 二条のビームはヨークトンのブリッジとモビルスーツデッキを貫通。折しも補給中だった機体に直撃したのだろう。庫内で発生した爆発は推進剤貯蔵庫、弾薬庫を巻き込み、モビルスーツデッキブロックを一気に粉砕。艦体は艦橋根元付近の接合部より二分された。
 ヨークトンは元来がルウム戦役で艦首を失ったサラミス級に、新造のモビルスーツデッキブロックを接合した再生艦だ。その接合部は他の構造物に比べ強度が僅かに劣っており、モビルスーツデッキを吹き飛ばす衝撃に耐えられなかったものと思われる。
 後部砲撃指揮所にあって危うく難を逃れたステファン中尉以下、生き残りの将兵達が脱出に際して目にしたのは、艦首から艦橋までをごっそり失ったヨークトンの、変わり果てた姿だった。
 だが、ア・バオア・クー要塞内を移動する今のミハイル達に、ヨークトンの詳しい状況を知る術はない。爆沈という単語より想像するより他はなく、焦燥が募るばかり。
(コーネリア……)
 自分を待つと言ってくれたオペレーターの顔が脳裏に浮かぶ。合わせた拳の感触がよみがえる。まだ戦死したと決まったわけでもないのに、この深く沈み込むような喪失感はなんだろう。ミハイルは目を閉じた。シートにもたれ、顔を上げる。
 仲間達がいとも簡単に死んで行くさまを立て続けに目にしたからだろうか。それとも、戦場という空間を共有していたからだろうか。コーネリア・ルースが既に此の世の人ではないことを、ミハイルはこの瞬間に悟っていた。
 なぜと問われても答えようがない。ただなんとなしに、彼女の存在が抜けていくと感じたからだ。出撃直前にくれた微笑みが宇宙に溶けるようにして消えていく。

 ——あの二人、幸せになれると良いね。

 遠くに聞こえるコーネリアの声。ミハイルは我に返って正面を見やった。ジムのセンサーがけたたましい警告音を発するのとほとんど同時に、敵機の放つ光を視認する。ミハイルに躊躇いはなかった。
「ミハイル⁉︎」
 遅れて敵影に気付いたモニカが口にした時には、ミハイル機は正面——彼女らの進行方向とは真逆——へと飛び出している。その手より落とされたハンドグレネードが炸裂し、彼らの間に壁を築く。程なく無線も断絶し、警報音のみが流れるばかりとなったコクピットで、ミハイルは吠えた。
 シールドでマシンガンの攻撃を受けつつ、ビームスプレーガンを二射。機体速度はそのまま、爆発するザクにも構わず、前へ、前へ。

 ——ミハイル、自棄はなしよ。

 コーネリアの言葉が再び耳の奥で響く。空になったスプレーガンを投げさせつつ、小さく頭を振るミハイル。
(自棄じゃないよ、コーネリア)
 先ほどのポイントから侵入口まではもう大した距離もない。アルバートの腕と二人のコンビネーションをもってすれば、無事の脱出も可能だろう。自分は自分で、身一つならば多少遠回りをしても抜け出すことはできる。その自信がある。
 ならば、自分は後顧の憂いを断とう。三人揃って生き延びるために。
 敵が怯んだ一瞬を逃さず、左手にビームサーベルを握るミハイル機。ドムに寄って得物を斬り落とし、右手にしたマシンガンを叩き込む。ブーメランに導かれるままに通路を折れ、出会い頭の新型を薙ぎ払う。
 その爆炎を抜けた先、振り向きざまにマシンガンを撃ち鳴らす敵機の奥に、目指す宇宙の広がりが見えた。
 シールドをかざしてミハイルのジムが加速する。応戦のマシンガンが敵機に向かって吸い込まれるも、対向する弾丸がジムの右腕を吹き飛ばす。次いで砕けるシールド。
「ちぃっ!」
 衝撃に顔をしかめつつ、間近に迫ったザクに頭部バルカンを浴びせる。そして、その光跡を追って弧を描くビームサーベルが、仰け反るグリーンの巨体を袈裟に一閃した。
「うおぉぉぉっ!」
 勢いそのまま、損壊した右肩をぶつけて物言わぬ鉄塊を押し倒す。鮮やかなスラスターの軌跡を残し、ミハイル機はア・バオア・クー要塞の外、依然として激戦の続く星の海へと至った。
 ほっとするのもつかの間、現在位置を確認するミハイル。上陸したポイントからそうは離れていない。
「……二人は?」
 モニカとアルバートは無事に脱出できただろうか。僚機の識別信号を気にしつつ、侵入口の方角に向けて機体を流す。
 ミハイルはこの時、センサーの反応の少なさをもっと疑うべきであった。彼のジムは過酷な戦闘によく耐えていたが、数多のダメージは確実に機体中枢を蝕んでおり、センサー系統の部分的な不調として顕在化しつつあった。
 敵機を認識できないという、最悪の形で。
「なっ⁉︎」
 突如、眼前に現れたリックドムの姿に、ミハイルは息を呑んだ。センサーの不調を知らない彼にしてみれば、降って湧いたように現れたも同然だ。咄嗟のことに身体も動かず、ジムは十字に獲物を求める狩人の一眼に、その無防備な姿を晒すばかり。
 スクリーンいっぱいに迫ったジャイアントバズーカの砲口に、ゆっくりと光が灯り行く——。

 作り手の元を離れた小さなブーメランが、短い弧を描いてその手へ戻る。二回、三回と繰り返し放っても、それはきちんと元来た場所に戻るのだった。
「へぇ、そんな小さいのにちゃんとブーメランしてるんだな」
「見てくれは悪いかもしれないけど、性能は折り紙付きなんだから」
 掌にすっぽり収まる大きさのそれをペーパーで仕上げながら、メイはもう一度、小さなブーメランを放った。白い帆をかけた建物をバックに、雲ひとつない真っ青な空へと抜けるくの字の木片を掴もうと、右腕を伸ばすミハイル。
「たまには帰ってきなさいよ」
 と言ったメイの横顔に、コーネリアの面影が重なる。
「待っていてあげるから。あたし」

 虚空に右腕を伸ばしたミハイルの視界に、岩肌に直接吊るされた裸のランプが映る。しばしぼんやりとそれを眺めていたミハイルは、慌てて身を起こそうとして、全身を伝う激痛に呻いた。
 副え木をあてがわれた左腕が、その身を支えることを全力で拒否している。
「まだダメですよ! 動いちゃ。ドクター!」
 慌てて駆け寄る年増の看護婦が、ミハイルをベッドに寝かせながら声を荒げる。その制服は、彼には馴染み深い連邦軍のものだった。
「戦争は?」
「終わりましたよ。連邦軍の勝利で」
「もう二週間も前の話だ」
 冴えない風体のドクターが看護婦との間に入って続けた。
「気分はどうかね、准尉」
「二週間、て……。そんなに経ってるんですか」
「運び込まれた時の出血はかなりのものだったからな。まあ、こんなもんだろう」
 にこりともせず淡々と口にするドクター。
「その腕、幸いにして神経は無事だ」
「え?」
「リハビリさえサボらなければ、これからもパイロットを続けられるだろうて」
 そうして彼は、ミハイルが回収された経緯を話した。
 あの時リックドムの放った砲弾は、辛うじてコックピットへの直撃を免れたらしい。左腕と頭部、それに左胸の一部を持っていかれたミハイルのジムは、程なく近くを通りかかった友軍の巡洋艦に拾われた。内に向かって食い込んだ装甲板に圧迫された彼の左腕は、傍目には切り落とすしかないような状態にあったとのことだ。
「あれで複雑骨折に至っていなかったんだから、お前さんの悪運も相当なもんだな」
「あの、自分の私物は?」
 そこでようやく、小さなお守りブーメランを身につけていないことに気付くミハイル。多少取り乱した様子の彼に、ドクターはやはりにこりともせず告げた。
「ちゃんと保管しておるよ」
「そうですか……。良かった」
「もっとも、少しばかり厄介なことになってるがな」
「え?」
 意外な言葉に面食らうミハイルの耳元に顔を近づけると、ドクターは周囲を気にしながら囁いた。
「自分を見失うなよ。道はいくつもある」
 それはどういう、とミハイルが口にしかけたその時、
「儂のおる間に目覚めるとは、これも何かの縁かな」
 いささか大層な口ぶりでその男は現れた。大柄で恰幅の良い男の襟元に光るは少将の階級章——。
「まだ意識を取り戻したばかりです。会話は手短に」
「無事の帰還を果たした勇者には無用の気遣いだろう。なあ」
 笑いながら続けたその言葉は、背後に控える痩身の少佐に向けたものだ。
「かもしれませんが、無理強いは禁物ですよ。閣下」
 目深に被った制帽にグレーの髪を覗かせる少佐は、細面の顔を多少歪めて応えた。少将の振る舞いを快く思っていないことは明らかだったが、当の少将閣下はそれを気にする様子もなく、人払いをするのだった。
「さて、准尉。意識を取り戻して早々に尋ねるのは私としても本意ではないのだが、君の意向を直接確認しておきたくてな」
「意向? 自分の?」
「准尉、君の今後のことだが、儂の元で連邦の秩序維持のために働いてはくれまいか」
 不審な顔で見返すミハイルに構わず、少将は言った。
「今回、我々はここア・バオア・クーで辛うじて勝利したが、各地の戦線に残るジオン将兵の中には、本国の命に従わず、戦闘を続ける者が多い。ところが、今の連邦軍にはこれを一掃するだけの戦力の無いのが実状でね。終戦とは名ばかりで、あと数年は戦闘状態が続くだろう」
 抑揚に手振りを添え、いかにも芝居じみた様子で言葉を続ける。
「そんな状況を鑑み、軍内部に情報部とモビルスーツ部隊を組み合わせた特務部隊を新設する動きがある。目下、創設に向けて潜入工作と敵戦力の破壊を同時に行うに足る人材を集めているところだ」
「……なぜ、自分が?」
「亡くなったドゥアー大佐の推挙でね」
 前哨戦で散った艦隊司令の名を出す少将。
「地上と宇宙の両方でそれなりの戦果を上げたパイロットとなると、数が限られる。それに、任務の性格上、家族がいないというのも都合が良い。他に危険が及ばない、という意味でだが」
「……」
 ミハイルはそれは嘘だと直感的に悟った。咄嗟には分からなかったものの、顔面に愛想笑いを貼り付けた少将の瞳に浮かぶ無慈悲なまでに冷たい光に気付く。決して表沙汰にできない類の、いわゆる「裏の仕事」の香りを感じ取ったのだ、と。
 黙ったままのミハイルに、少将は軽く肩をすくめてみせた。
「まあ、時間はたっぷりあるんだ。前向きに考えてくれたまえ」
 いささか乱暴にミハイルの背中を叩くと、少将は戸口に向かって歩いて行った。付き添いの少佐が頭を下げて見送る。そのまま立ち去るかに思えたが、少将は不意に立ち止まって振り向いた。
「そうそう、デュラン曹長とコーレン軍曹だが、先日、結婚したそうだよ。めでたいことだな」
 こうべを垂れるミハイルに構わず、少将は品のない笑いを残して去って行った。
「すまん。何分にも困ったお方なので、気にしないでほしい」
「……よかった」
「ん?」
「二人も生きていてくれた……」
 アルバートとモニカを守ると誓ったミハイルにとって、二人の消息を伝えた少将の言葉は、この上ない喜びであった。天井を見上げる伏せた目元から、一条の涙が伝う。
 ひとしきり涙を流すミハイルがようやく落ち着くのを待って、少佐は口を開いた。
「ダニエル・オーウェンだ。君が部隊入りを望めば、直接の上官になる」
「自分は……」
 少佐の言葉を受けて名乗ろうとするミハイルだったが、少佐はそれを手で制した。
「君のことは知っている。この場で名乗るのは控えてもらえるとありがたい」
「……?」
「実のところ、君はア・バオア・クー戦で未帰還の扱いになっている。ここに収容されているのは、氏名不詳のパイロットだ。セルゲーエフ先生も君の名は知らないことになっている」
 想定外の状況に言葉を失うミハイルに、少佐は続けた。
「もう想像がついていると思うが、私の部隊に入る人間は過去を抹消される。この世に存在しない架空の人物になる」
 そこで言葉を区切ると、懐から封筒を取り出す。
「これは君に返しておく。その上で、別人になる勇気があるのなら、手を挙げてくれ」
 封筒の中身を取り出したミハイルの目に真っ先に飛び込んできたのは、お守りのブーメラン。そして、サイド2ハッテ義勇軍の四人と自分が屈託無い笑顔で写る写真だった。
「二日後にまた来る」
 そう告げた少佐の声が靴音と共に遠ざかる。
「もう答えは出ているんだろうが、心の整理をつける時間は必要だろう」
 ようやくミハイルが顔を上げたときには、少佐の姿は既に無い。入れ替わりに戸口に立ったドクターが、複雑な表情で彼を見やっていた。

※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。